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千葉 卓朗(ちば たくろう、1934年3月8日 - 2011年5月31日)は、日本のフェンシング選手、指導者。宮城県本吉町長(4期)。宮城県生まれ。

来歴編集

宮城県本吉町(現在の気仙沼市)津谷松岡出身。実家は味噌醤油で知られるカネセン徳田屋。宮城県仙台第一高等学校明治大学卒業。

仙台一高ではフェンシング部を創設。大学時代には、全日本選手権エペ3位、フルーレ5位の成績を収めている。

1955年宮城県鼎が浦高等学校フェンシング班コーチに就任。同校にフェンシング同好会を発足させた顧問と共に、鼎が浦高校を宮城県高校総体団体・個人優勝に、さらにインターハイ団体優勝、1958年には4連覇に導いた。教え子には1964年東京オリンピック出場の大和田智子などがいる[1]

1958年、全日本フェンシング選手権大会個人フルーレで優勝した。

1979年、本吉町長に就任(第7~10代。4期16年)。町内全行政区で自治会組織である「振興会」の組織化を進めた。

1990年、宮城インターハイ(フェンシング競技を本吉町で開催)、2001年新世紀みやぎ国体等の開催に尽力。日本フェンシング協会理事長[2]宮城県フェンシング協会会長を歴任した。

2011年5月31日午前3時、心筋梗塞のため逝去、77歳[3]

その他編集

  • 千葉卓朗杯ジュニア フェンシング大会は、フェンシングの普及・発展に尽力した千葉の功績を記念し、2015年に第1回が開催された。
千葉が提唱した「ジュニア世代の育成」を目的に、県協会や仙台一高フェンシングOB会の仙台一剣会が主催している。

主な成績編集

選手として
指導歴
  • 宮城県高校総体は出典[5][6]を参照。
  • インターハイは出典[7]を参照。

出典編集

外部リンク編集