升田尚宏

日本のアナウンサー (1966-2022)

升田 尚宏(ますだ なおひろ、1966年昭和41年〉10月8日 - 2022年令和4年〉6月9日)は、TBSテレビの社員(最終所属部署は財務戦略局)・元アナウンサー。元NHKアナウンサー。

ますだ なおひろ
升田 尚宏
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 愛媛県の旗 愛媛県
伊予郡松前町
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1966-10-08) 1966年10月8日
没年月日 (2022-06-09) 2022年6月9日(55歳没)
身長 177cm
最終学歴 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了(環境法専攻:修士(法学)
東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程修了(環境理工学創造専攻:博士(工学)
大宮法科大学院大学法務研究科修了(法務博士
勤務局 NHKTBSテレビ
部署 編成局アナウンス部(アナウンスセンター)および報道局→事業局赤坂サカス推進部(プロデューサー)→事業推進部→財務戦略局
職歴 NHKアナウンサー→TBSアナウンサー→TBS事業局→TBS財務戦略局
活動期間 1989年 - 2017年(アナウンサー職)
ジャンル 報道スポーツ情報バラエティドラマ
出演番組・活動
出演中 本文参照
出演経歴 多数:本文参照
その他ROOKIES』鳥谷役などドラマ・映画30作品に出演;本文参照
備考
博士(工学)の学位をもつため、宇宙飛行士受験資格(大西卓哉宇宙飛行士選抜と同時期)を与えられた。

概要 編集

愛媛県伊予郡松前町出身。松前町立岡田小学校松前町立岡田中学校愛媛県立松山東高等学校(生徒会長)、日本大学藝術学部演劇学科演技コース卒業。

その後、早稲田大学大学院法学研究科修士課程環境法専攻修了修士(法学)及び東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程環境理工学創造専攻修了[1]。専門は環境アセスメント(環境政策・環境とメディア)。博士(工学)を取得したドクターコースの4年半について、JAXAから宇宙飛行士受験資格である「3年の理科系の実務経験」とみなされて、宇宙飛行士を受験した経験がある(大西卓哉飛行士選抜時)。飛行士の中でも、ペイロードスペシャリストを目指していた。

ニュースからバラエティ番組司会ドラマ出演、ナレーションや朗読等、幅広くこなす。趣味はクラシックバレエ野球、週一ペースの映画鑑賞。

2017年にアナウンスセンターを離れ、社内の別部署に異動してからも『木曜JUNK おぎやはぎのメガネびいき』(TBSラジオ)の人気コーナー『おぎやはぎ批評』に出演していた[2]

2022年6月9日朝に自宅で倒れ、同日に死去した[3]。55歳没。亡くなる前日まで落語家の三遊亭歌橘と仕事の打ち合わせをしていた[4]

経歴・人物 編集

日本大学藝術学部在籍中の学生時代は『東京ホームシックブルース』(主演、ぴあフィルムフェスティバル出品作品)などの自主制作映画に出演・制作した。自主映画出身の森田芳光監督の『の・ようなもの』をこよなく愛している。

1989年愛媛南海放送(RNB)や名古屋中部日本放送(CBC)からも内定を得たが、TBSでは3人の最終面接で升田一人だけ落選。NHKに合格し、アナウンサーとして入局。

NHKアナウンサーの同期には草野満代吉田たかよし等がいる。NHK高知放送局に4年間[5]NHK沖縄放送局に1年間勤務し、各局のニュース番組のメインキャスターを務めた。

NHKでは特に、入局直後の22歳の時、高知県開催のインターハイ('89高知総体)のメインキャスターを務めた。また、記者として、子宮頸がんの原因ヒトパピローマウイルスのスクープや、10フィート運動沖縄戦のフィルム保存)の番組を制作した(ともに全国放送)。

1994年6月、TBSに中途採用で入社、当初はスポーツ番組キャスター野球バレーボールVリーグ)の実況中継等)を担当[5][6]

その後、報道局に属し、JNN報道特別番組に多数登場した。台風や地震の災害特番、イラクフセイン元大統領の拘束時の特番などを担当。『関口宏のサンデーモーニング』のリポーターを務めたこともある。『JNN報道特集』や『筑紫哲也 NEWS23』の企画特集を記者として多数制作・リポートし(以下参照)、アメリカ同時多発テロ事件後はパキスタンイスラマバード支局に特派員として派遣され多数のリポートを届け、最後の支局長を務めた。パキスタン・サッタル外相の単独インタビュー等、閣僚へのインタビューやアフガニスタンとの国境付近にある難民キャンプからのリポート等を送り続けた。報道以外はほとんど出演してこなかったが、『四番 なかやま』でNEWSすぽりと!のコーナーを担当し始めた。

2006年10月より『チャンネル☆ロック!』にレギュラー出演。番組では小林麻耶とコンビを組み、週刊マスダニュースを担当し、これまで見せたことの無い境地を開拓。マスダEYEというコーナーでは、自らカメラを持ち、二宮和也と一緒にトランプをする等、ドラマ現場に入り込み出演者とのトークを数多くオンエアしドラマを宣伝した。自らも数多くのテレビドラマに出演し、出演ドラマ作品は合計30作品にも及ぶ。

ROOKIES -卒業-』には鳥谷先生役、『MOZU』にはキャスター役で出演。『中居正広のキンスマ』等のバラエティ番組にも多数出演し、特に、升田自身が挑戦する「ロングブレスダイエット」企画は一大ムーブメントを巻き起こし、高視聴率を獲得した。その後、『ビビット』の特集ビビットFOCUSに度々出演し、温泉や食、アミューズメントパークのレポートを数多くこなした。特に、田丸麻紀と行ったななつ星 in 九州の旅では、田丸とともにナビゲーターを務めた。

2017年7月1日付で事業局赤坂サカス推進部に異動した[7]。赤坂サカスのイベントプロデューサーや企画開発を担当。その後、事業推進部に異動している。但し『おぎやはぎのメガネびいき』(TBSラジオ)の人気コーナー『おぎやはぎ批評』については、同年9月まで続けた。『批評』のコーナーの前身は『隠語講座』と呼ばれるコーナーで、升田のフレーズを無視した破天荒な節回しと歌声に人気が集まった。『おぎやはぎ批評』は10年以上続き、同番組の10周年オフィシャルブック『めがね』には、升田のセクシーショット写真集が袋とじで編集されている。同年9月28日が『メガネびいき』最後の放送日と決まり、その一週間前に番組卒業をTwitterにつぶやいたところ、20万人の目に触れた。升田が生出演した『マスダ卒業スペシャル』がオンエアされた直後から、Twitter上にて#升田が急上昇し、ツイート、トレンド共に#升田が1位を独占した。マスダ卒業スペシャルでは、写真集ではスタッフ判断でボツになったという、升田が調子に乗ってカメラマンに撮らせた乳首写真が公開され、サーバーがパンクした。しかし、2019年1月、『おぎやはぎ批評』に復活出演している(このコーナーを担当して12年目に突入)。

早稲田大学大学院法学研究科修士課程に通い始めてから、趣味は法律の勉強らしく、ロー・スクール法科大学院)も修了(法務博士)し、司法試験に挑戦したり、博士(工学)学位を生かし、宇宙飛行士の受験経験もある。また、『朗読の教科書』も執筆中であり、日芸演劇学科では、アナウンサー時代に何度も開催した朗読会(戦争等をテーマにしていた)の経験を生かし、朗読も教えていた。

過去の出演番組 編集

ニュース・報道 編集

以下は、全て升田が企画・取材・演出・出演をした番組である。
『アメリカタバコ訴訟〜タバコ情報を開示せよ』
『これでいいのか大学入試問題』
『NATOコソボ空爆の劣化ウラン弾〜現地調査』
『点滴殺人か医療過誤か?仙台筋弛緩剤事件の怪』

バラエティ番組 編集

テレビドラマ 編集

ラジオ 編集

※同番組の特別企画「魔法中年ますだ☆マスーダ」においてプルギスとして登場。『マス音ミク』として「マイクの前の少女」や「ふんわり綿菓子」など、歌声も披露した。

脚注 編集

  1. ^ 博士(工学, 2002年 東京工業大学)
  2. ^ TBS元アナウンサーの升田尚宏さんが急死、55歳 キャスターやナレーションで活躍”. 日刊スポーツ (2022年6月10日). 2022年6月10日閲覧。
  3. ^ "TBS元アナウンサー升田尚宏さんが急死 55歳 自宅で倒れ帰らぬ人に". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 10 June 2022. 2022年6月10日閲覧
  4. ^ シャレがキツイぜ…”. 三遊亭歌橘おふぃしゃるぶろぐ Powered by Ameba (2022年6月10日). 2022年6月17日閲覧。
  5. ^ a b c d 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、32-33頁。"94.6 <中途採用> 升田尚宏…<NHK高知〜沖縄> 『スポーツ、報道番組』 TV「JNNスポーツ&ニュース(97)」「報道特集(企画リポート)」 BSも担当"。 
  6. ^ a b c 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、240頁。"1994.6<中途採用> 1人入社(男1)升田尚宏 『スポーツ、報道番組』 TV「JNNスポーツ&ニュース(1997年)」「報道特集(企画リポート)」 BSも担当"。 
  7. ^ JUNK おぎやはぎ 「升田尚宏アナ、サカス推進部へ異動!”. TBSラジオ (2017年7月7日). 2017年7月7日閲覧。

参考文献 編集

  • 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。 

関連項目 編集

外部リンク 編集