半田 春平(はんだ しゅんぺい、天保2年(1831年) - 明治6年(1873年3月22日)は、幕末から明治時代にかけての一揆指導者[1]

経歴・人物 編集

三河設楽郡杉山村(現:愛知県新城市)の名主[1]明治3年(1870年)年貢の減免を要求した設楽八名宝飯の3郡75か村に及ぶ大規模な百姓一揆(蓑着騒動)を指導[2]。一揆は周辺藩兵により鎮圧され、春平は信濃桔梗ヶ原に送られ獄死した[2]

新城市杉山字野中には春平の屋敷跡がある[2]

脚注 編集

  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『半田春平』 - コトバンク
  2. ^ a b c 半田春平屋敷跡 キラッと奥三河観光ナビ、2018年10月29日閲覧。