南信州新聞

南信州新聞(みなみしんしゅうしんぶん)は、長野県飯田市に本社を置く南信州新聞社が発行しているローカル新聞。エリアは飯田下伊那地域(飯伊地域)と上伊那地域の一部。発行部数は約2万3000部。媒体名は「南信州新聞」だが、題字は「新聞」を用いず伝統的に「南信州」の3文字を使っている。サイズはブランケット判。2005(平成17)年に創刊50周年。日本新聞協会および日本地域紙協議会に加盟している。

南信州新聞
Minamishinshu Newspaper 1.JPG
本社
種類 日刊紙(月曜休刊)
サイズ ブランケット判

事業者 南信州新聞社
本社 飯田市
代表者 関谷邦彦
創刊 1954年(昭和29年)10月1日
前身 信州合同新聞
言語 日本語
価格 1部 70円
月極 1700円
発行数 約2万4000部
ウェブサイト http://minamishinshu.jp/
株式会社 南信州新聞社
Minamishinshu Newspaper
本社所在地 日本の旗 日本
〒395-0152
長野県飯田市育良町2-2-5
事業内容 新聞発行、印刷出版
業種 情報・通信業
資本金 3611万5000円 
従業員数 37人
主要子会社 伊那谷オフ輪
外部リンク 南信州新聞社(会社案内)
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目次

沿革編集

敗戦から3か月後の1945年(昭和20年)11月に創刊された『新信州日報』が現在の『南信州新聞』のルーツである。2年後の1947年(昭和22年)9月に新信州日報は廃刊となり、旧『飯田の新聞』と合併して旧『南信州新聞』が創刊される。翌年1948年(昭和23年)6月には旧『信州日報』に名前を変えた。1954年(昭和29年)10月には『飯田の新聞』(旧・飯田の新聞の編集者が旧・南信州新聞から分離独立して改めて創刊した)『南信時事新聞』の2紙を統合して現在の『南信州新聞』が創刊された。現在の南信州新聞は統合時の1954年10月1日を創刊日としているが、号数は新信州日報創刊時からのものを引き継いでいる。

その後1956年(昭和31年)4月には旧・信州日報の社員が南信州新聞から分離独立し、改めて『信州日報』を創刊している。その後57年にわたり飯田下伊那地域のローカル紙として『南信州新聞』と『信州日報』が共存してきたが、発行部数では南信州新聞が圧倒しており、そのあおりで2013年(平成25年)に『信州日報』が10年以上の経営難の末に同年11月30日をもって『休刊』(廃刊)、自己破産を申請。ローカル紙は『南信州新聞』のみとなった。

南信州新聞は飯田市松尾町、今宮町を経て、1993年(平成5年)から飯田市育良町(飯田インターチェンジそば)に本社を置いている。1998年(平成10年)、日本新聞協会に加盟。2004年(平成16年)に日本地域紙協議会を設立し、代表取締役の関谷邦彦が初代理事長を務めている。

概要編集

基本的には朝刊だが、かつて本社が飯田市の中心市街地にあったことから、伝統的に市街地の一部エリアに限り発刊日の前日夕方に夕刊として発刊される。記事は朝刊発刊分と前日の夕刊発刊分で同じであり、すべて前日午後2時頃に印刷されるため、記事の内容は発刊日前日の午前中までのものとなる。毎週日曜日は休業日であり、月曜日付が休刊となる。

印刷出版部門があり、郷土作家らの書籍などを発刊している。

なお、同一エリア内に競合紙の「信州日報」があった頃、信州日報も南信州新聞と同じ発刊システムだった。

紙面編集

紙面は概ね8〜12ページで、8ページの場合は1・3・5・8面がカラーとなる。1面のコラムのタイトルは日言(にちげん)。昭和後半からリニア中央新幹線計画関連の記事に注力しており、さながらプロパガンダ紙的な一面を見せている。記事のコーナーとしては『各駅停車』『飯田の老舗』『巨大断層聖なる地』『我ら同級生』『南信州経済自立への道』『どんな物!変なもの?』『イイダウォッチャー』などがある。

発行エリア編集

長野県の南部にある飯田市下伊那郡松川町高森町阿南町阿智村平谷村根羽村下條村売木村天龍村泰阜村喬木村豊丘村大鹿村の14市町村で構成する南信州広域連合の範囲(飯田下伊那地域)を発行エリアとしているが、配送ルートの都合上上伊那郡飯島町の一部と中川村の一部も発行エリアに含まれる。

外部リンク編集