南大夕張駅
日本の北海道の鉄道駅
南大夕張駅(みなみおおゆうばりえき)は、北海道夕張市南部大宮町にあった三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の駅(廃駅)である。大夕張鉄道線の廃止に伴い1987年に廃止された。
南大夕張駅 | |
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![]() 南大夕張駅舎/1980年 | |
みなみおおゆうばり Minami-Ōyūbari | |
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所在地 | 北海道夕張市南部大宮町 |
所属事業者 | 三菱石炭鉱業 |
所属路線 | 大夕張鉄道線 |
キロ程 | 7.6 km(清水沢起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
開業年月日 | 1911年6月1日 |
廃止年月日 | 1987年7月22日 |
備考 | 路線廃止に伴う廃駅 |
歴史 編集
大夕張炭鉱の開発に伴い、1906年(明治39年)に馬車鉄道が開通。その後炭鉱の発展により専用鉄道が敷設された。三菱鉱業移管後は更に発展し、昭和初期には操業拠点が北部(大夕張・夕張市鹿島地区)に移行したが、道路も無く同駅が中継点となった。夕張岳山麓から切り出された木材の他、大夕張ダム建設当時は資材の搬入で賑わった。末期は三菱南大夕張炭鉱の石炭搬出駅となっていたが、同炭鉱の合理化による鉄道廃止により、廃止となった。
- 1911年(明治44年)6月1日 大夕張炭礦専用鉄道二股駅として開業するが駅舎は無し。
- 1918年(大正7年)6月14日 三菱鉱業に移管後労務係詰所を大夕張駅と称した。
- 1929年(昭和4年)1月22日 南大夕張駅に改称。
- 1939年(昭和14年)4月20日 三菱鉱業株式会社線として地方鉄道に改組。社内旅客荷物小口取扱及び車扱連絡運輸開始。
- 1941年(昭和16年)12月1日 旅客荷物小口扱連絡運輸開始。
- 1950年(昭和25年)4月25日 三菱鉱業株式会社線大夕張鉄道の駅となる。
- 1956年(昭和31年)6月1日 三菱鉱業株式会社大夕張鉄道線の駅となる。
- 1969年(昭和44年)10月1日 三菱大夕張炭礦株式会社大夕張鉄道の駅となる。
- 1973年(昭和48年)12月15日 三菱石炭鉱業株式会社線の駅となる。
- 1973年(昭和48年)12月16日 当駅-大夕張炭山間廃止により終着駅となる。
- 1987年(昭和62年)7月22日 廃止。
- 2007年(平成19年)11月30日 経済産業省より近代化産業遺産として認定。
駅構造 編集
駅舎は50mほどのゆるい坂道の先にあり、ホームより小高い位置に建っていた。そのため、改札を抜けた後小道を降りてホームへ向かう。
駅跡 編集
廃止後駅舎は解体撤去。ホームには以下の車両が保存され、夕張市の公園になっている[1]。
これらの車両は荒廃し、ナハフ1にいたっては雪の重みで転倒、ホーム自体も崩れ始めていたが、三菱大夕張鉄道保存会の手によって修復され、往時の姿を回復した。2022年(令和4年)6月には、夕張市により崩れかかったホームの修復が行われる[1]。
機関庫は廃止後、関連会社が使用していたが、現在は撤去され跡形もない。
駅周辺 編集
- シューパロダムインフォメーションセンター(夕張シューパロダムに関する資料の他、大夕張地区や大夕張鉄道などに関する若干の郷土資料も展示)
- 夕張市南部連絡所
- 南大夕張神社
- 南大夕張郵便局
- 南部分遺所
- 南大夕張貯木場事業所(現在は閉鎖)
- 夕張市立南部小学校(廃校)
駅前にはかつては美鉄バス及び夕張鉄道(夕鉄バス)の「南部」停留所があったが、美鉄バスは1997年、夕鉄バスも2017年10月1日に路線廃止となった[2]。
隣の駅 編集
脚注 編集
- ^ a b “風雪で木材腐食、砂利や土流出も 旧南大夕張駅ホーム補修へ 市が土留め新設、7月完了”. 北海道新聞. (2022年5月17日). オリジナルの2022年5月17日時点におけるアーカイブ。 2022年6月2日閲覧。
- ^ “夕張地区ダイヤ改正のお知らせ”. 夕張鉄道. 2017年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月25日閲覧。
参考文献 編集
- 奥山道紀・赤城英昭『三菱鉱業大夕張鉄道』ネコ・パブリッシング〈RM LIBRARY #47〉、2003年。ISBN 4-7770-5002-5。
- 奥山道紀「RM LIBRARY通信 三菱大夕張鉄道の現在」『レイルマガジン』第251号、ネコ・パブリッシング、2004年8月、pp. 104-107。