南将之

日本のバレーボール元選手、指導者

南 将之(みなみ まさゆき、1941年7月8日 - 2000年4月7日)は、日本のバレーボール元選手(元全日本代表)・指導者。福岡県福岡市出身。元バレーボール全日本男子代表監督。

オリンピック
バレーボール
1972 男子
1968 男子
1964 男子

来歴 編集

福岡市立当仁小学校出身[1]福岡大大濠高校卒業後、1960年旭化成に入社。196cmの大型スパイカーとして活躍した。1961年全日本代表初選出。オリンピックでは1964年東京五輪で銅メダル、1968年メキシコ五輪で銀メダルを獲得。

そして1972年ミュンヘン五輪では念願の金メダルを獲得。特に準決勝のブルガリア戦では、相手チームのエース・ズラタノフの活躍で先に2セットを奪われて、絶体絶命の状況で第3セット途中から出場し、ミュンヘンの奇跡として語り継がれる逆転勝利の立役者となった。日本バレーボール界で3種類のメダルを持っているのは南と猫田勝敏のみである。


現役引退後は、全日本男子バレーボール・コーチ、全日本男子ジュニアチーム監督を経て、1989年監督に就任し、1990年に退任。また旭化成バレー部監督・部長も務めた。長男の南克幸全日本入りし、父子鷹と呼ばれた。

2000年4月7日午後11時24分、心筋梗塞の為、福岡市内の病院で死去。58歳没。 長年糖尿病を患い、1999年には大動脈瘤の手術を受けるなど入退院を繰り返していた。

球歴・受賞歴 編集

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集