南満洲鉄道ミカイ型蒸気機関車

南満洲鉄道ミカイ型蒸気機関車(みなみまんしゅうてつどうミカイがたじょうききかんしゃ)は、南満洲鉄道が製造した単式2気筒で過熱式テンダー式蒸気機関車である。

南満洲鉄道ミカイ型蒸気機関車
基本情報
運用者 南満洲鉄道満洲国国有鉄道華北交通華中鉄道朝鮮民主主義人民共和国鉄道省中国国鉄
製造所 アメリカンロコモティブカンパニー (スケネクタディ)、沙河口、川崎、汽車製造、日本車輌、日立、四方,大連、チチハル、太原、川崎、三菱(戦後)
製造年 1924年 - 1960年
製造数 2095両(戦後の中国製も含む)
愛称 ミカイ
主要諸元
軸配置 1D1
軌間 1,435 mm
全長 23,750 mm (77 フィート 11 インチ) (ミカコ)21,906 mm (71 フィート10インチ)+1 ⁄ 2 in) (新国大ミカ/JF1)22,634 mm (74 ft 3 )+1 ⁄ 8 インチ (JF1 mod)
機関車重量 98.72t 動輪上重量(同) : 76.17t
総重量 185.11トン(182.19トン、204.05ショートトン)(ミカイ)174.85トン(172.09ロングトン、192.74ショートトン)(JF1)
動輪径 1,370mm
軸重 20.00 t
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程)

584 mm × 711 mm(22.992 in × 27.992 in) (Mikai)、584 mm × 710 mm(22.992 in × 27.953 in) (国大ミカ) 580mm × 710 mm(22.835 in × 27.953 in) 、(Mikako)584 mm × 710 mm

(22.992 インチ × 27.953 インチ) (新国大ミカ)580 mm × 710 mm(22.835 インチ × 27.953 インチ) (JF1)
弁装置 ワルシャート式
ボイラー圧力 13.4 kgf/cm 2 (191 psi ; 1,314 kPa ) (ミカイ/国大ミカ)、14.0 kgf/cm 2 (199 psi; 1,373 kPa) (ミカコ/新国大ミカ/JF1)
過熱伝熱面積 337.79 m 2 (3,635.9 sq ft) (ミカイ)338.10 m 2 (3,639.3 sq ft) (国大ミカ)274.30 m 2 (2,952.5 sq ft) (ミカコ/米国大ミカ)299.80 m 2 (3,227.0 sq ft) (ミカコ) 1575-76)282.11 m 2 (3,036.6 平方フィート) (JF1)
燃料 石炭
最高運転速度 80 km/h (50 mph)
最大出力 1,400 PS
定格出力 1,545馬力 (1,152kW) (ミカイ/国大ミカ)1,545馬力 (1,152kW) (ミカコ/新国大ミカ)1,545馬力 (1,152kW) (JF1)1,945馬力 (1,450kW) (JF1 mod)
引張力 235.6kN (53,000ポンドf ) (JF1)
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主に貨物輸送のために用いられて、総生産数はわかっているだけで1746両(中国で戦後作られた物を除く)であり、D51型蒸気機関車を抜いて日本製蒸気機関車で一番多く生産されている。

概要 編集

第一次世界大戦時の貨物輸送増加に対応するため、主として本線の奉天以南の石炭輸送などで使用する目的で製造された。当初の輸入機は25両で、その後1924年 - 1928年までに満鉄および日本の工場で増備された。満鉄の貨物輸送の主力機であり、満洲事変後はデカ形に代わって安奉線でも使用されるようになった。動輪径がソリニ - ソリシ形のものを踏襲して1370mmと小さかったため、本来の貨物輸送のほか九四式装甲列車の牽引機としても使用された。満洲国鉄線でもミカイ形の設計を採用し、1933年にはミカ形「国大ミカ」として敦図線用に34両を製造、その後ミカナ形として40両が増備された。これらは転車台の小さい満洲国鉄線用に炭水車を短くしていた。満鉄線、満洲国鉄線とも、以後の増備は改良型であるミカコ形の設計によった。1938年の車両称号改正では満鉄線ミカコ形、満洲国鉄線ミカナ形はミカイ形に統一された。 また計画された物にミカイを2-8-4のバークシャーに改造してブースターを取り付けたリクイ型蒸気機関車[1]もあったが、輸出直前で終戦となり実現しなかった。

戦後 編集

旧ミカイ形、旧ミカコ形、旧ミカナ形を合わせて、大連埠頭局管内 (26) 、奉天 (319) 、錦州 (154) 、吉林 (185) 、牡丹江 (157) 、哈爾浜 (188) 、羅津 (6) の各鉄道局管内と、他鉄道に貸出中 (59) のもの1124両が存在し、中華民国に引渡された。朝鮮総督府鉄道局線に貸出中で韓国や北朝鮮に接収されたもの、中華人民共和国所属機で朝鮮戦争の際に韓国側に接収されたものなども存在すると考えられる。また、朝鮮戦争時に国連軍向けに日本の工場で44両のミカイ形が製造されている。中華人民共和国成立後は「MK1」形、のちに「解放 (JF) 1」形として華中鉄道、華北交通の分を合わせて1400両以上が使用された。番号は1 - 2100までが与えられたと考えられる。1950年には四方工場で、既存の部品を用いた組み立てが始まり (2101 - 2120)、1952年 - 1960年には四方、大連、斉斉哈爾の各工場で455両 (2121 - 2500, 4001 - 4101) が増備されている。貨物列車用機関車の主力として中国全土で使用された。産業用に使用されているものは、2000年代に入っても現役のものがあった。

日本で製造されたミカイは戦後も朝鮮戦争の特需で売れた物もあったが、終戦後に余剰となった。一部では新幹線の路盤固めに使われるとの報道もあったが使われることなく解体されて、新幹線の路盤固めは私鉄の電車が使われた。

保存 編集

北京の中国鉄道博物館の5両をはじめ、保存機も多い。

 
中国鉄道博物館に保存されているミカイ型蒸気機関車

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ 高木宏之『満洲鉄道発達史』株式会社潮書房光人社、2012年、P154

参考文献 編集