南郷三郎
日本の実業家 (1878-1975)
来歴
編集兵庫県灘(現・神戸市)に生まれる[3]。父は元加賀藩士の南郷茂光[4]、兄に講道館2代館長の南郷次郎、弟に画家の九里四郎がいる。
1900年、高等商業学校(現・一橋大学)を卒業[4]。高商在学中は柔道部を創設するなどスポーツ面でも活動した[3]。卒業同年に日本綿花(現・双日)に入社。1932年に日本綿花社長に就任する。その後、尼崎土地をはじめ複数の企業で社長を歴任した[4]。団体役員としては、日中輸出入協会理事長、日本貿易振興会会長、貿易統制会長、財団法人日本貿易振興協会副会長などを務めた。
1918年にアキレス腱断裂の怪我を負い、そのリハビリとしてゴルフを始める[3]。1924年に日本ゴルフ協会(JGA)が設立された際に代表メンバーの一人となり、初代チェアマンも務めたほか、関西ゴルフ協会の創設にも関与した。
1954年、民間貿易の再開を働きかけるため、日中輸出入組合が設立され、初代理事長に日綿社長の南郷三郎が就任した。そして昭和33年に輸出入組合として訪中した際、毛沢東首席と会談した。[5]
脚注
編集- ^ a b 『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年、な232頁。
- ^ 『昭和人物事典戦前期』580頁。
- ^ a b c 垂水ゴルフ倶楽部の歴史について - 垂水ゴルフ倶楽部(リンク先の南郷三郎の説明も参照)
- ^ a b c 尼崎土地 - Web版尼崎地域事典「apedia」(執筆・天野雅敏)
- ^ “【日綿實業・ニチメン】日中輸出入組合理事長として訪中し、毛沢東首席と会談した元社長の南郷三郎 │ 画像・資料でみる歴史 │ 双日歴史館”. 双日株式会社. 2025年5月4日閲覧。
- ^ 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月~昭和53年4月 上』日本叙勲者協会、1978年、p.682。
- ^ 『経団連月報』第23巻第12号、経済団体連合会、1975年12月、p.37。
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