卯原内駅

かつて日本の北海道網走市にあった日本国有鉄道の駅

卯原内駅(うばらないえき)は、かつて北海道網走支庁網走市字卯原内に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)湧網線廃駅)である。電報略号ウイ事務管理コードは▲122413[2]

卯原内駅
うばらない
Ubaranai
北見平和 (3.5 km)
所在地 北海道網走市字卯原内
北緯44度0分50秒 東経144度6分41秒 / 北緯44.01389度 東経144.11139度 / 44.01389; 144.11139座標: 北緯44度0分50秒 東経144度6分41秒 / 北緯44.01389度 東経144.11139度 / 44.01389; 144.11139
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 湧網線
キロ程 76.6 km(中湧別起点)
電報略号 ウイ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1935年昭和10年)10月10日[1]
廃止年月日 1987年昭和62年)3月20日[1]
備考 湧網線廃線に伴い廃駅
仮乗降場との距離は実キロ
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1977年の卯原内駅と周囲約500m範囲。右下が網走方面。上は能取湖。島式ホーム1面2線であるが、駅舎側は副本線扱いで、さらに駅舎側に貨物積卸線と貨物ホームを有していた。貨物ホームに貨物車両が留置されているのが見える。後に副本線は網走側分岐が切られて保線用の待機線となり、貨物線も後年撤去されて駅裏側本線へ棒線化された。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歴史 編集

  • 1935年(昭和10年)10月10日 - 鉄道省湧網東線の網走駅 - 当駅間開通に伴い、開業[1]一般駅[1]
  • 1936年(昭和11年)10月10日 - 当駅 - 常呂駅間の延伸開通に伴い、中間駅となる。
  • 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
  • 1953年(昭和28年)10月22日 - 中湧別駅 - 網走駅間全通により路線名を湧網線に改称、それに伴い同線の駅となる。
  • 1972年(昭和47年)2月8日 - 業務委託駅となる[3]
  • 1982年(昭和57年)3月29日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止し[1]、無人駅化[4]。乗車券発売は簡易委託化[3]
  • 1987年(昭和62年)3月20日 - 湧網線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]

駅構造 編集

廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の南側(網走方面に向かって右手側)に存在した[5]。かつては島式ホーム1面2線を有する、列車交換が可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった駅舎側の1線は交換設備運用廃止後も転轍機が中湧別方のみ維持され、行き止まりに切られた形で側線として残っていた[5]。そのほか、本線中湧別方の旧交換設備ポイント手前より分岐し駅舎寄りを通る側線を1線有していた[5]

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っており、無人駅化後の乗車券は近くの商店に委託販売されていた[3]。駅舎は構内の南側に位置し、構内踏切で側線を渡りホーム中央部分とを結ぶ通路で連絡した[5]木造板張り駅舎であった[5]。また、1983年(昭和58年)時点では使われなくなった貨物ホームが残存し、附近の農協の駐車場として利用されていた[5]

駅名の由来 編集

当駅が所在した地名より。アイヌ語に由来するが諸説あり、河川が能取湖に流れ込むあたりの川口が不明瞭であるさまを示した「ウパライ[6]」(互いに・川口・死ぬ)、もしくは「オパライ[7]」(河口の死んでいる?)のほか、「オパナイ[8]」(川口・広い・川)に由来する説もある[9][10]

利用状況 編集

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は81人[5]

駅周辺 編集

駅跡 編集

卯原内交通公園(2007年8月)
 
網走市鉄道記念館

旧駅構内は1988年(昭和63年)1月から網走市により[12]卯原内交通公園」として整備され、ホーム及びレール、またホームに横付けされ現役当時を再現する形で[12]9600形蒸気機関車49643号機[13]と、それに連結して国鉄の旧型客車であるオハ47形オハ47 508静態保存・展示されている[12]。オハ47は車内の一部が小上がりに改装されており、以前は夏期に車内での宿泊が可能だった。49643号機の近くには踏切警報機も設置されている[14]。公園の案内板には歴史を記した「湧網線のあゆみ」と路線地図が記載されている[15]

また、同公園に隣接した敷地内に、バスターミナルを兼ねた瀟洒な建物である[12]網走市鉄道記念館」が開設され、2階に閉塞器、通標、保線用具、備品、乗車券、写真パネルなどの湧網線関連資料が保存・展示されている[12]。中には喫茶店「エルコンドル」が入居する。

以上は2010年(平成22年)時点[14]2011年(平成23年)時点でも同様の状況であった[15]

当駅跡附近の線路跡は、北海道道1087号網走常呂自転車道線として自転車歩行者専用道路に再利用されていた[15]

隣の駅 編集

日本国有鉄道
湧網線
北見平和駅 - 卯原内駅 - <二見中央仮乗降場> - 二見ヶ岡駅

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、916頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、244頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  3. ^ a b c 記念史編集委員会 編『郷土史うばらない』開基・開校八十周年記念事業協賛会、1987年9月7日、107頁。 
  4. ^ 「通報 ●深名線上多度志駅ほか9駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1982年3月29日、3面。
  5. ^ a b c d e f g h 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、162頁。ISBN 978-4093951012 
  6. ^ アイヌ語ラテン翻字: u-par-ray
  7. ^ アイヌ語ラテン翻字: o-par-ray
  8. ^ アイヌ語ラテン翻字: o-para-nay
  9. ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、170頁。ISBN 978-4893915498 
  10. ^ アイヌ語地名リスト イチャ~エリ P11-20”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
  11. ^ a b c d 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、46頁。 
  12. ^ a b c d e 白川淳 編『全国保存鉄道III 東日本編』JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、1998年10月、58頁。ISBN 978-4533030963 
  13. ^ 日比政昭『蒸気機関車完全名鑑』 166巻(ビジュアル改訂版)、廣済堂出版廣済堂ベストムック〉、2011年1月、44頁。ISBN 978-4331801697 
  14. ^ a b 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、51-52頁。ISBN 978-4533078583 
  15. ^ a b c 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、106-107頁。ISBN 978-4894536128 

関連項目 編集