厙狄 盛(しゃてき せい、生没年不詳)は、中国東魏北斉軍人は安盛[1]本貫懐朔鎮[2][1]

経歴 編集

高歓の側近として都督となり、伏波将軍に任ぜられ、征戦に従った。功績により行唐県伯に封じられ、安北将軍を加えられた。幽州刺史となり、中軍将軍を加えられた。豫州鎮城都督となった。爵位は長広県公に進んだ。征西大将軍・開府儀同三司・朔州刺史に任じられた。天保元年(550年)、北斉が建国されると、華陽県公に改封された。朔州刺史に任じられたが、華陽県の封邑が遠かったので、并州石艾県肆州平寇県原平県馬邑県の各数十戸を割いて、合わせて200戸をその食邑とした。まもなく辞任して、特進の位を受け、死去した。使持節・都督朔瀛趙幽安五州諸軍事・太尉公・朔州刺史の位を追贈された[2][1]

脚注 編集

  1. ^ a b c 北史 1974, p. 1908.
  2. ^ a b 北斉書 1972, p. 255.

伝記資料 編集

参考文献 編集

  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4