原博 (作曲家)
経歴 編集
1957年、東京芸術大学卒業。池内友次郎に師事した。1958年、日本音楽コンクール第3位。1961年から渡仏し、パリ国立高等音楽院でシモーヌ・プレ=コサード、ジャン・リヴィエに師事、ニースでアレクサンドル・チェレプニン、アンリ・デュティユーにも師事した。1962年、ニース国際作曲コンクール第1位。1963年の冬からヴェネツィアに移るも、1964年3月に帰国した。その後、作品発表会等をはじめとして活発な音楽活動をする。
創作活動は晩年まで行われ、2002年に癌で没した。
なお、夫人の原嘉壽子も作曲家であった。
作風 編集
デビュー当時の「ピアノ協奏曲」などでは新古典主義の継承に力点が置かれたような作風ではあったが、「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」で「新古典」から「古典」音楽の再作曲へ作風を転換する。バッハやモーツァルトに傾倒しその作風をそっくりそのまま引き継ぐ方法であるが、当時柴田南雄はこれを純粋な作曲行為とは見ないで「西洋音楽演習」と呼び、多くの現代音楽の作曲家から嘲笑の的となる。
作曲家に最も必要な個性が欠如しているとの見解も強かったが、「ソナタ第4番」、「トッカータ」では「ありえたけれどなかった古典音楽」の創造が認められる。本人は当時「音楽芸術」に投稿して自己の技法による作曲法を強く主張したが、そのオリジナリティまで認められることはなかった。
晩年に作曲された「弦楽四重奏曲第9番ヘ長調」、「ピアノのための60のバガテル(抒情的小品集)」では、古典回帰をさらに強めていた。
和声言語 編集
ド、ミ♭、ミ、ソ、のような長三和音と短三和音を混ぜたジャズのブルー・ノート・スケールの和音と非常に似ている和音を終止に用いることが多い。「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」では「学習フーガの特色は『二手で必ずしも演奏できなくても良い』ことにあった」と述べ、この利点もしばし登場する。手の届かない和音をピアニストに要するあたりも、古今の鍵盤楽器のためのフーガ作曲法とは異なっている。
主な作品 編集
- 交響曲
- 弦楽のためのセレナード第1番ハ長調
- ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
- フルート・ソナチネ
- ピアノ四重奏曲
著書 編集
- 『無視された聴衆―現代音楽の命運』(アートユニオン、1996年) ISBN 978-4915994456
- 『実力養成のための和声実習110課題集』(全音楽譜出版社、1998年) ISBN 978-4118102504
関連項目 編集
- 第36回全日本吹奏楽コンクール課題曲
- 委嘱作として『マーチ「スタウト・アンド・シンプル」』を作曲した。なお、同第50回の課題曲として『ミニシンフォニー 変ホ長調』を委嘱作曲している。