原田 彰俊(はらだ としあき、1919年大正8年)10月25日[1][2] - 没年不明)は、日本医師政治家東京都保谷市(現・西東京市)長(3期)。

来歴 編集

広島県出身[1]1945年金沢医科大学を卒業[1]。卒業後は福島県伊達郡霊山村(のち霊山町、現在の伊達市)にある大東学園霊山村分園に勤務し、同村で開業を始めた[1]1950年東京都北多摩郡保谷町に移り、開業した[1]1952年保谷町教育委員に当選。1957年に保谷町長に当選した[1]。町長時代には町の人口増加に伴い、中原地区に出張所や小学校を設置、上水道の建設、保育園の増設などに尽力した[1]1967年に保谷町は市制施行により保谷市となり、都市計画の決定、市役所新庁舎の落成があった[1]1968年暮れで翌年までの任期満了を待たずに市長を退任した。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1004頁。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、146頁。

参考文献 編集

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。