原田 明夫(はらだ あきお、1939年11月3日 - 2017年4月6日[1][2])は、日本弁護士。元検事総長東京府東京市生まれ、兵庫県相生市育ち。

原田 明夫
はらだ あきお
生年月日 1939年11月3日
出生地 東京府東京市
没年月日 (2017-04-06) 2017年4月6日(77歳没)
出身校 東京大学法学部
前職 弁護士
称号 法学士(東京大学・1963年
弁護士(2004年
配偶者

日本の旗 第21代 検事総長
在任期間 2001年7月2日 - 2004年6月25日

在任期間 1999年12月22日 - 2001年7月2日

在任期間 1998年6月23日 - 1999年12月22日

在任期間 1996年 - 1998年6月23日

在任期間 1993年 - 1996年
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来歴・人物

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主要8か国司法・内相会合にて(2004年5月11日)

盛岡地方検察庁勤務時に新渡戸稲造の思想にふれ感銘を受け、司法、検察の中枢に身をおきながら、新渡戸研究を続けてきた。則定衛が東京高検検事長を女性問題で辞職したことにより、堀口勝正の代替として名古屋高検検事長から村山弘義がそのイスに座ったが、検事長定年制により、予想より早く原田に東京高検検事長の座が回って来た。そのため、検事総長在任も異例の3年に及んだ。また法務事務次官当時、政党行脚に出て、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律の成立に尽力した。

略歴

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その他、国際民商事法センター理事長、グルー・バンクロフト基金評議員[7]、社団法人日本倶楽部理事[8] などを務めている。

脚注

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先代
則定衛
法務事務次官
1998年 - 1999年
次代
松尾邦弘
先代
村山弘義
東京高等検察庁検事長
1999年 - 2001年
次代
松浦恂