厲公(れいこう)は、西周の諸侯であるの君主。姓は子、名は鮒祀。湣公の次子。湣公の死後、その弟の煬公が即位したが、鮒祀はこれに不満を抱いて、叔父の煬公を殺害し、兄の弗父何を公位につけようとした。弗父何は受けず、鮒祀は自ら立って宋の公となった。弗父何を栗に封じ、宋の国卿とした。弗父何は孔子の遠祖とされる[1] [2]

脚注 編集

  1. ^ 史記』「宋微子世家」にこのような記述は存在せず、単に煬公を殺害した鮒祀が自分で公になったとしか書かれていない。『史記』宋微子世家第八「丁公申卒,子湣公共立。湣公共卒,弟煬公熙立。煬公即位,湣公子鮒祀弑煬公而自立,曰「我當立」,是為厲公。」 s:zh:史記/卷038
  2. ^ 『古史』卷三十一 孔子列傳第八「孔子の先は宋湣公の長子、曰く弗父何。湣公の亡くなり、公弟の煬公熙が立つ。弗父何の弟の鮒祀が煬公を弑し、以って国を何に授ける。何は受けず。鮒祀、立ちて厲公となる。何は宋の大夫となる」s:zh:古史_(四庫全書本)/卷31