友竹正則

日本のバリトン歌手、詩人

友竹 正則(ともたけ まさのり、1931年昭和6年〉10月9日 - 1993年平成5年〉3月23日)は、日本の声楽家バリトン歌手・詩人広島県福山市出身。

ともたけ まさのり
友竹 正則
生年月日 (1931-10-09) 1931年10月9日
没年月日 (1993-03-23) 1993年3月23日(61歳没)
出生地 日本の旗 日本広島県福山市
国籍 日本の旗 日本
職業 バリトン歌手・詩人
ジャンル 映画舞台
配偶者 友竹みどり(妻)
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来歴・人物 編集

広島県福山南高等学校(現・広島県立福山葦陽高等学校)から国立音楽大学声楽科に進み、卒業後二期会に所属。1955年、「カルメン」のモラレス役でオペラデビュー。

1960年キングレコード専属となる。 その後、童謡・オペラ・ミュージカルなど幅広く活躍し多くの人に親しまれた。

1979年1月から1981年12月まで、料理番組『くいしん坊!万才』で3代目レポーターを務めた。しかし大の梅干し嫌いであったため、番組内で梅干しが出された際も断るわけにはいかず、結局苦渋の表情で食べるシーンが後年の「NG大賞」などでも放送された。

また、「友竹辰(ともたけ たつ)」の筆名で詩人としても活動し、大岡信谷川俊太郎らと詩の同人誌「櫂(かい)」に参加。『声の歌』などの詩集を刊行。なお、郷里の福山女子高校(現・銀河学院高等学校)の校歌を作詞・作曲している。

1984年2月16日にはTBS系『ザ・ベストテン』に「わらべ」の「もしも明日が…。」のコーラスとして出演したことがある。

1986年頃から内臓疾患のため入退院を繰り返したが、舞台・テレビなどに出演を続けた。

1993年3月19日に最後の舞台となったミュージカル「人生はこれからだ」に出演。その4日後の1993年3月23日、肝臓癌で逝去。享年61。勲四等瑞宝章追贈。

ディスコグラフィー 編集

シングル 編集

シングル(委託盤) 編集

アルバム 編集

  • バラ色の街で(キングレコード SKK-182)
  • 友竹正則 日本の郷愁を歌う(キングレコード SKF-102、1967年)
  • 赤とんぼ 友竹正則童謡集(キングレコード CNT-1883、1988年)[1]
  • 友竹正則童謡集“ぞうさん”(CBS・ソニー 32DG-5061、1989年6月21日)[2]
  • 心のうた(キングレコード KICS-322、1993年6月23日)

その他 編集

  • 不思議な気持 - 『ミュージカルアニメーション あしながおじさん うたとおはなし』(日本コロムビア CS-7155、1979年)収録

出演 編集

テレビ 編集

  • みんなの歌、たのしい歌(NET(現・テレビ朝日))
  • うたのおじさん(NHK)- この番組で童謡「大きな栗の木の下で」を彼が動作付きで歌ったのがきっかけで、日本に広まったといわれる。
  • ドレミファ船長(NHK)
  • でんわで相談10時半(東京12チャンネル)
  • 奥さまクッキング(フジテレビ、1977年10月 - 1978年9月)- 毎週金曜日「世界の自慢料理」司会と聞き手
  • ザ・ベストテン (TBS) 1984年2月16日放送
  • くいしん坊!万才(フジテレビ)
  • 生徒諸君!(テレビ朝日、1980年9月 - 1981年3月)- 蒔枝校長 役
  • 明日(日本テレビ開局35周年記念ドラマ)
  • 月曜ドラマランド 包丁人味平(フジテレビ、1986年) - 特別出演
  • 天までとどけ 2(TBS、1992年) - 中山修三 役

ラジオ 編集

吹き替え 編集

  • シンデレラ(ウォルト・ディズニー・プロダクション) - プリンス・チャーミング
  • '84小樽博覧会 くらしの百科館「ホクレンメロディーランド キッチンミュージカル」

舞台 編集

CM 編集

受賞歴 編集

著書 編集

  • 『オトコの料理』三月書房、1977年6月20日。NDLJP:12101985 
  • 『いい味いい旅あまたたび』六興出版、1986年12月25日。NDLJP:12101634 
  • 日本人万歳

脚注 編集

  1. ^ 赤とんぼ 友竹正則童謡集、インターナショナル・カルチャー - 2020年11月24日閲覧。
  2. ^ ぞうさん 友竹正則童謡集、インターナショナル・カルチャー - 2020年11月24日閲覧。