メインメニューを開く

(しゅ)とは、サンスクリット語およびパーリ語ウパーダーナ: upādāna)に由来する言葉であり、「ある活動を活性化させ維持させる源や手段となる、燃料、物質的原因、気質」という意味である[1][2]

仏教用語
取(しゅ)
英語 clinging, grasping, attachment or fuel, material cause
パーリ語 upādāna
サンスクリット語 उपादान, (upadana)
ビルマ語 ဥပါဒါန်
(IPA: [ṵ pà dàɴ])
中国語
(ピン音)
日本語
(ローマ字: shu)
クメール語 ឧបដ្ឋាន
(Upathan)
韓国語
(RR: chui)
シンハラ語 උපාදාන
チベット語 ལེན་པ
(Wylie: len.pa)
ベトナム語 取 (thủ)

仏教では、アタッチメント、執着、掌握といった意味を指す重要概念である[3]。これはトリシュナー(tṛṣṇā、渇愛)の結果として生じるものであり、煩悩の一種とされる [4]

目次

仏教において編集

執着の種類編集

経蔵においては[5]、釈迦は4つの執着を示している。

  • 感覚-喜びへの執着 (kam-upadana, 欲取)
  • 間違った視点への執着 (ditth-upadana, 取)
  • 儀式と象徴への執着 (silabbat-upadana, 戒禁取)
  • 自己信条への執着 (attavad-upadana, 我語取)

この4つを総称して、四取(ししゅ)と呼ぶ。

釈迦は、最初の3種への執着については他宗派による適切な分析を取り入れたが、一方で、自己とそれに伴う苦しみへの執着については、彼自身だけで完全に解明したのだと述べている[6]

アビダンマ[7]とその解説書[8]では、四取についてさらに以下を定義している。

  1. 欲取: 世俗的なものへの繰り返される渇愛(トリシュナー)。
  2. 見取: たとえば永遠論(世界と自分は永遠である)や虚無主義[9]六師外道も参照。
  3. 戒禁取: テキスト通りの修行だけを行えば、ストレートに解脱できると信じている。例えば「牛の練習」や「犬の修行」など[10]
  4. 我語取: 自己を不変の主体であると識別している。たとえば中部 44[11]や、五蘊無我などで語られる。[12]

ブッダゴーサによれば[13]、この四取は上から挙げた順番に減少していくという。

四取の相互作用編集

我語取
見取
 
戒禁取   欲取

ブッダゴーサは、この四取が相互接続されていることを発見している[14]

  1. 我語取: まず、不変の「自己」を持っていると仮定する。
  2. 見取: そのため彼は、自己は何か永遠なものであるとか、この生の終わりには消滅するのではないかとの考え(ディッティ)を持つ。
  3. この結果として生じやすい行動は、
    1. 戒禁取: 自分が永遠のものであるなら、浄化の修行を頑張ろうと儀式に執着する。
    2. 欲取: この生の後に消滅するのであれば、次の生のことは考えずに欲望に浸る。

こういった取の相互関係を右図に示す。したがってブッダゴーサの分析によれば、取は習慣化した感情経験(欲取)よりも、中核的信念(我語取)の根本的に誤りが本質である。

取の表現編集

アビダルマにおいては、欲取と、その他の取(見取,戒禁取,我語取)の違いについて、それは悪見の違いであることを特定している[15]。取は経験的に、アビダルマの4分類において以下の表として特定される[16]

特徴 作用 現れ 考えうる原因
(lobha, ローバ) 物体を手にに入れる 取りつくようなもの 諦めることができない 束縛を楽しんでいるから
悪見 (ditthi, ディッティ) 解釈が間違っている 推定による判断 間違った信念 ダーマをまだ聞いていない

渇望(トリシュナー)と取(ウパーダーナ)の区別として、ブッダゴーサは以下の喩えをあげている[17]

「トリシュナーは、泥棒が暗闇の中で手を伸ばしているように、まだ到達していない物体を目指していることである。ウパーダーナは、泥棒が目的のものを握りしめるように、到達した物体を離さないことである。これらは、探すこととの苦しみと、守り抜くことの苦しみの原因である」

従って、釈迦が「取の」について語っているのは、肉体的、精神的、意識的な経験について、それを掴み守り抜くことであり、それらは我々が間違って真実だと信ずるものである。

ドゥッカの因果関係の一環として編集

  十二因縁  
無明(無知)
名色
六処
(存在)
(出生)
老死(加齢と死)
 

四諦ににおける1つ目の諦では、苦の中核的経験の一つとして(ウパーダーナ)を挙げている。2つ目の諦では、苦の基礎として渇愛(タンハー)を挙げている。このように、仏教の最も根本的な教えには、渇望と執着の因果関係が見いだされる[18]

十二因縁(十二縁起)において、「取」は9番目に登場する[19]

  • ウパーダーナは、タンハーが存在している状態へ依存している。
タンハーの条件を満たすとき、ウパーダーナが発生する。
  • ウパーダーナはまた、次の条件であるビハーバ(有)の発生要件である。
ウパーダーナの条件を満たすとき、ビハーバが発生する。

ブッダゴーサによれば、欲取のウパーダーナとは、タンハーによって発生し、その状態が維持されるのだという[20]

ヒンズー教において編集

脚注編集

  1. ^ Thomas William Rhys Davids; William Stede (1921). Pali-English Dictionary. Motilal Banarsidass. pp. 149. ISBN 978-81-208-1144-7. https://books.google.com/books?id=0Guw2CnxiucC. 
  2. ^ Monier Monier-Williams (1872). A Sanskrit-English Dictionary. Oxford University Press. pp. 171. https://books.google.com/books?id=_3NWAAAAcAAJ. 
  3. ^ Paul Williams; Anthony Tribe; Alexander Wynne (2002). Buddhist Thought. Routledge. pp. 45, 67. ISBN 978-1-134-62324-2. https://books.google.com/books?id=e9SFAgAAQBAJ. 
  4. ^ ひろさちや 『完全図解 仏教早わかり百科』、1999年12月1日、38頁。ISBN 978-4391123951 
  5. ^ Examples of references to upādanā in the Sutta Pitaka can be found in the "Culasihanada Sutta" ("Shorter Discourse on the Lion's Roar", MN 11) (see Nanamoli & Bodhi, 2001, p. 161) and the "Nidanasamyutta" ("Connected Discourses on Causation", SN 12) (see Bodhi, 2000b, p. 535).
  6. ^ Cula-sihanada Sutta ("Shorter Discourse on the Lion's Roar", MN 11) (Ñanamoli & Bodhi, 1993).
  7. ^ In the Abhidhamma, the Dhammasangani §§ 1213-17 (Rhys Davids, 1900, pp. 323-5) contains definitions of the four types of clinging.
  8. ^ Abhidhamma commentaries related to the four types of clining can be found, for example, in the Abhidhammattha-sangaha (see Bodhi, 2000b, p. 726 n. 5) and the Visuddhimagga (Buddhaghosa, 1999, pp. 585-7).
  9. ^ It is worth noting that, in reference to "wrong view" (Pali: miccha ditthi) as used in various suttas in the Anguttara Nikaya's first chapter, Bodhi (2005), p. 437, n. 10, states that wrong views "deny the foundations of morality, especially those views that reject a principal of moral causation or the efficacy of volitional effort."といったディッティ
  10. ^ See, for instance, Buddhaghosa (1999), p. 587. For a reference to these particular ascetic practices in the Sutta Pitaka, see MN 57, Kukkuravatika Sutta ("The Dog-Duty Ascetic," translated in: Nanamoli & Khantipalo, 1993; and, Nanamoli & Bodhi, 2001, pp. 493-97).
  11. ^ Thanissaro (1998a).
  12. ^ ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。--方丈記[出典無効]
  13. ^ Buddhaghosa (1999), pp. 586-7.
  14. ^ Buddhaghosa (1999), p. 587.
  15. ^ Bodhi (2000a), p. 267.
  16. ^ Bodhi (2000a), pp. 83-4, 371 n. 13.
  17. ^ Buddhaghosa (1999), p. 586.
  18. ^ The idea that the Four Noble Truths identifies craving as the proximate cause of clinging is mentioned, for instance, in Thanissaro (2000).
  19. ^ See, for example, SN 12.2 as translated by Thanissaro (1997a).
  20. ^ Buddhaghosa (1999), pp. 586, 593.

参考文献編集

  • Buddhaghosa, Bhadantācariya (trans. from Pāli by Bhikkhu Ñāṇamoli) (1999). The Path of Purification: Visuddhimagga. Seattle, WA: BPS Pariyatti Editions. 1-928706-00-2.

関連項目編集