古内 広雄(ふるうち ひろお、1907年10月24日[1] - 1972年11月5日)は、日本の外交官政治家衆議院議員(2期)。位階は正三位。勲等は勲二等。正式には古内廣雄と表記する。

略歴 編集

宮城県岩沼市生まれ。伊達忠宗の家老職を務めた古内家の末裔である。第二高等学校文科乙類[2]から東京帝国大学法学部に進み、大学在学中に高等試験外交科合格。外務省に入省してからはドイツに赴任して経験を積み1941年に本省に戻る。終戦直後は進駐軍との終戦連絡の折衝にあたるも、いわゆる「Y項パージ」で一時期省外へ出され公正取引委員会事務局総務部長、公正取引委員会事務局長などを務めた。

1953年に外務省に戻るとレバノン、オーストリアパキスタンインドネシアの各国大使を歴任し、池田勇人首相の奨めもあって1964年に退官して自由民主党公認で1965年の参院選宮城県選挙区から出馬するが、地元組織の分裂から次点に終わる。翌1966年仙台市長選挙でも落選し、1967年の衆院選宮城1区から出馬してようやく政界入り。2期務め1972年7月の第1次田中角栄内閣防衛政務次官となるが、暮れに総選挙を控えた11月5日に死去。同月11日に岩沼市で市民葬が執り行われた。

栄典 編集

脚注 編集

  1. ^ 『人事興信録 第25版 下』(人事興信所、1969年)ふ150頁
  2. ^ 「旧制高等学校物語 第2」財界評論社 1966年
  3. ^ 官報昭和47年本紙第13799号 19頁

関連項目 編集

先代
内田藤雄
公正取引委員会総務部長
1952年
次代
廃止
先代
新設
公正取引委員会事務局長
1952年 - 1953年
次代
小川清四郎