古賀ゴルフ・クラブ(こがゴルフクラブ)は、福岡県古賀市鹿部に広がるゴルフ場である。

古賀ゴルフ・クラブ
Koga Golf Club
古賀ゴルフ・クラブ
古賀ゴルフ・クラブの空中写真。
2007年7月27日撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 地図
所在地 日本の旗 日本
福岡県古賀市鹿部1310-1番地
座標: 北緯33度43分31.83秒 東経130度27分20.35秒 / 北緯33.7255083度 東経130.4556528度 / 33.7255083; 130.4556528
概要
開業 1926年(大正15年)5月9日
運営 メンバーシップコース
設計 上田 治
運営者 古賀ゴルフ土地株式会社
トーナメント1940年 第15回 日本プロゴルフ選手権大会
1961年 第29回 日本プロゴルフ選手権大会
1997年 第62回 日本オープンゴルフ選手権競技大会
2008年 第73回 日本オープンゴルフ選手権競技大会
2019年 第84回 日本オープンゴルフ選手権競技大会
コース

OUTコース INコース
HOLE PAR YARD HOLE PAR YARD
1 4 414 1 4 412
2 4 389 2 3 194
3 4 341 3 5 522
4 3 177 4 4 399
5 5 488 5 5 533
6 4 434 6 3 148
7 5 568 7 4 365
8 3 238 8 4 435
9 4 419 9 4 344
36 3468 36 3352

その他
公式サイト 古賀ゴルフ・クラブ
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概要 編集

古賀ゴルフ・クラブは、かつては、福岡県小郡市大保に、1926年大正15年)5月9日、9ホール、2,800ヤード、パー36規模のゴルフ場が開場した「福岡ゴルフ倶楽部大保コース(1944年閉鎖、設計 川崎保[1])」が前身である。九州では、雲仙ゴルフ場に次ぐ第2番目に開場のゴルフ場である[1]

1934年昭和9年)10月、コース設計を赤星六郎に依頼し9ホールを増設、18ホールとなった[2]1940年(昭和15年)9月、第15回 日本プロゴルフ選手権大会が開催[3]された。1944年(昭和19年)、陸軍被覆廠により接収され、倶楽部を閉鎖、法人の「大保土地株式会社」は残し、後に、「古賀ゴルフ土地株式会社」と改称された[2]1045年(昭和20年)、敗戦後、旧コースでの再建を試みたが叶えられなかった[2]

1947年昭和22年)、西日本鉄道株式会社・木村重吉が、「福岡県の古賀にゴルフ場を造ろう、西鉄の土地がある」と土地を提供した[2]。各界のゴルファーが集結し、初代理事長には木曽重義が就任した[4][5]1948年(昭和23年)5月、資金不足の中で、「福岡国際カンツリー倶楽部」サンドコース9ホール(現・インコース)が完成した[2]

旧大保コースの関係者の18ホールの願望は強く、唐津ゴルフクラブの9ホールと古賀コースの9ホールを、バスで繋いだ18ホールで「九州カントリー倶楽部」を設立した[2]1953年(昭和28年)、工事を開始、客土は古賀町(現・古賀市花見(現・花見 (福岡県))地区のひと山といわれた[4]。同年10月10日、本格的な9ホールが完成、開場された。

1957年(昭和32年)9月10日、名称を福岡国際カンツリー倶楽部から「古賀ゴルフ・クラブ」に改称した[2]。同年12月26日、旧9ホールをインコースとして、18ホールの設計を上田治に依頼し、18ホール規模のゴルフ場が開場した。玄海灘に面したリンクスコースが開場した[4]

上田治設計の代表的な8コースで「上田治クラシック会」を結成している、地域を越えてお互いにゴルフを楽しみ、会員間の親睦交流をはかり、倶楽部運営の活性化の一助としている[6]。「門司ゴルフ倶楽部」(福岡県、1934年(昭和9年)開場)、「大阪ゴルフクラブ」(大阪府、1937年(昭和12年)開場)、「古賀ゴルフ・クラブ」(福岡県、1953年(昭和28年)開場)、「下関ゴルフ倶楽部」(山口県、1956年(昭和31年)開場)、「奈良国際ゴルフ倶楽部」(奈良県、1957年(昭和32年)開場)、「小野ゴルフ倶楽部」(兵庫県、1961年(昭和36年)開場)、「茨城ゴルフ倶楽部」(茨城県、1962年(昭和37年)開場)、「広島カンツリー倶楽部」(広島県、1963年(昭和38年)開場)[6]

所在地 編集

〒811-3105 福岡県古賀市鹿部1310-1番地

コース情報 編集

  • 開場日 - 1926年5月9日
  • 設計者 - 上田 治
  • 面積 - 700,000m2(約21.1万坪)
  • コースタイプ - シーサイドコース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,820ヤード、コースレート75.0
  • グリーン - 2グリーン、ベント(ペンクロス)&バミューダ
  • プレースタイル - 歩行、キャディ付き
  • 練習場 - 14打席 220ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日・2日、8月14日、2月最終火・水曜日 [7][5]

クラブ情報 編集

ギャラリー 編集

交通アクセス 編集

鉄道

道路

1958年10月から2007年3月までは、西鉄宮地岳線(現・貝塚線)の古賀ゴルフ場前駅が最寄りとして存在した。

メジャー選手権 編集

エピソード 編集

  • 古賀ゴルフ・クラブは、大正時代の開場時は、倶楽部名を「福岡ゴルフ倶楽部」といい、発祥の地は、福岡市の大保池と東野池の間にあった、現在の小郡市で、約600年前に南北朝が戦った古戦場跡である[2]
  • 1945年昭和20年)、敗戦、その後、旧コースでの再建はならなかった、旧大保コースの関係者が、1947年(昭和22年)頃、福岡市郊外の二日市にショートコース6ホールを開場し、「筑紫カンツリー倶楽部」として営業していた[2]
  • 1948年(昭和23年)5月、現在のインコースに当たる9ホールが仮オープンした当時は、グリーンは芝がまばらで、カップはブリキを埋めただけ、「赤土の土俵グリーン」といわれていた[2]
  • 古賀ゴルフ・クラブは、英国のゴルフ場のようだ、白いクラブハウスに、人間の身長の2倍もある深さのバンカーなど、まさに、玄海灘に面したリンクスコースなのである[2]

脚注 編集

関連文献 編集

  • 『建築と社会』、「作品作風 古賀ゴルフ・クラブ」、大阪 日本建築協会、1958年4月、2020年8月6日閲覧
  • 『ふるさと飛行』、「古賀ゴルフ・クラブ 福岡県航空写真集』、福岡 西日本新聞社、1983年10月、2020年8月6日閲覧
  • 『月刊ゴルフマネジメント』、「ゴルフ倶楽部を考える(162)古賀ゴルフクラブの創設と発展」、井上勝純著、東京 一季出版、1999年10月、2020年8月6日閲覧
  • 『月刊ゴルフマネジメント』、「ゴルフ倶楽部を考える(163)古賀ゴルフクラブ、18ホールに拡張」、井上勝純著、東京 一季出版、1999年11月、2020年8月6日閲覧
  • 『現代建築』、「古賀ゴルフ・クラブ クラブハウス 福岡県古賀市 設計・監理/日建設計 施工/大成建設」、東京 近代建築社、2016年1月、2020年8月6日閲覧

関連項目 編集

外部リンク 編集