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前後左右将軍(ぜんごさゆうしょうぐん)は、中国の秦・前漢以降の官職名。軍を率いる将軍位の一つ。
の四種の総称である。
『漢書』百官公卿表上、『続漢書』百官志一によれば周末に生まれた官であるという。金印紫綬で、常に置かれたのではなかった。征伐を掌り、任務が終われば官自体も終了した。
『宋書』百官志上によると、後漢の光武帝の建武7年(31年)に一旦廃止され、魏以降にまた置かれるようになったというが、『後漢書』光武帝紀によれば建武13年(37年)に左右将軍が廃止されており、後漢末以降また置かれるようになっている。
『宋書』百官志上、下によると、宋においてはいわゆる四征将軍(中国語版)・四鎮将軍などより下位にあった。