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概要編集

成り立ち編集

吉備高原都市とは1973年(昭和48年)に当時の岡山県知事・長野士郎が岡山県総合福祉計画の中で打ち出した構想で、岡山県のほぼ中央部に横たわる吉備高原のうち、御津郡加茂川町上房郡賀陽町の境に位置する1,800ha東京都新宿区の面積に匹敵)の地域(現:吉備中央町)に自然環境や風俗伝統文化を生かしながら、保健福祉・文化・教育などの機能を中心とした新しい都市を標榜・計画されたものである。

基本計画では、新都市の区域を福祉のむらや総合リハビリテーション施設などを配置する「保健福祉区」と国立少年自然の家や農林業実践学習の里などを配置する「自然レクレーション区」、それに「研究学園区」「産業区」「センター区」「住区」「農用区」の7つのゾーンに分け、環状道路で機能的に結び整備することになっている。前期(432ha)と後期(880ha)に分けて進められ完成年次は1995年(平成7年)(当初は1990年(平成2年))、人口は3万人とされ1981年(昭和56年)に都市本体の整備が始まった。1993年(平成5年)までに前期計画区域全域と、1997年(平成9年)に後期計画区域のうちAゾーンの612haが整備完了した。

その後と現状編集

 
空き地の目立つ分譲住宅地

1996年(平成8年)に任期満了で引退した長野知事の後を引き継いだ石井正弘知事が逼迫する県財政の建て直しに着手、莫大な資金のかかる吉備高原都市も見直しの対象とされた。1997年(平成9年)11月策定の行財政改革大綱により、まず後期計画B、Eゾーンの建設が凍結された。そして、整備済みの住宅地や産業施設用地の分譲完了と整備済区域の熟度が高まった時点で、改めて整備内容の検討と事業主体や整備手法の見直しを行うこととされ事実上未整備地区の全事業が凍結されている。

整備済みの地区では都市の核施設である『きびプラザ』、幼稚園、小学校、警察駐在所、消防署等の公共施設の設置やCATVケーブルの埋設するなど都市機能の充実が図られてきた。しかし、センター区から離れた最後に完成した後期Aゾーンの高原住区では空き地が目立ち、職場を提供する産業区も多くが売れ残り、計画人口7,000人に対して2,000人程度にとどまっている。県の調査でその要因として住区の分譲地は岡山市近郊と同水準の分譲価格設定となっていることが敬遠され、高齢者や障害者のための「保健・福祉・文化のセンター」を標榜しているにもかかわらず、公共交通機関が未発達であるため[注釈 1]マイカー無しではかなりの不便を強いられる生活を余儀無くされることなどがあげられている。

吉備中央町による整備計画編集

2004年(平成16年)、平成の大合併により御津郡加茂川町と上房郡賀陽町が合併し加賀郡吉備中央町が発足。都市を中心にした町づくりを掲げ、センター区に一部の行政機能を移転しイベント等も開催するなどの都市と町の一体化を進める政策を進めている。

政策の一つに将来役場を都市内に移転する構想があるが、町の財政難により具体的な計画には至っていない。また岡山市倉敷市を結ぶ新交通システムやボールパークを建設するなどの構想もある。

沿革編集

年表編集

  • 1973年昭和48年) - 岡山県が吉備高原地域の新都市構想を発表。
  • 1975年(昭和50年) - 岡山県が基本構想を作り、同年に用地取得を始める。
  • 1977年(昭和52年) - 岡山県が建設基本計画を作成。
  • 1981年(昭和56年) - 新都市起工式が行われる。吉備新線・新都市~国道429号(岡山市北区掛畑)間開通。
  • 1984年(昭和59年) - 高度技術工業集積地域開発促進法(テクノポリス法)により吉備高原地域がテクノポリスに指定される。
  • 1987年(昭和62年) - 吉備環状線の一部、公共下水道等が供用開始。
  • 1990年平成2年) - 岡山県土地開発公社吉備高原現地用地事務所設置[1]
  • 1991年(平成3年) - 岡山県や地域振興整備公団等の出資による管理会社「株式会社吉備高原サービス」設立。
  • 1992年(平成4年) - 吉備新線・岡山空港~新都市間(岡山市北区掛畑~石妻)開通。第2期吉備高原地域テクノポリス開発計画承認。
  • 1993年(平成5年) - 前期計画区域の基盤整備事業が完了。
  • 1996年(平成8年) - 吉備新線の全面供用開始(岡山市北区田益~新都市間)
  • 1997年(平成9年) - 後期計画区域のうち、Aゾーンの基盤整備事業が完了。岡山県行財政改革大綱により、B、Eゾーンの新規事業着手を3カ年延期。
  • 1998年(平成10年) - 岡山県土地開発公社吉備高原現地用地事務所閉所[1]
  • 2000年(平成12年) - 吉備高原都市整備検討委員会発足。
  • 2002年(平成14年) - 「吉備高原都市の今後の整備方針」を決定。新規事業は事実上の凍結。

人口編集

吉備高原都市 地区別人口(2010年国勢調査)[2]
大字 地区名 人口
(人)
世帯数
(世帯)
面積
(ha)
人口密度
(人/km2
主な所在施設
湯山 高原西住区 75 26 51.63 145.3 高原西住区、研究産業区
吉川 日の上I 31 21 0.93 3336.6 リハビリーテーションセンター職員宿舎
長坂II 207 45 14.50 1427.6 北部住区、吉備高原総合福祉センター
日の上II 207 74 20.00 1034.9 南部住区
総合リハビリ 99 4 11.91 831.4 国立吉備高原職業リハビリテーションセンター、中学校用地
長坂I 72 50 2.49 2889.9 医療リハビリテーションセンター宿舎
国少 7 5 134.12 5.2 センター区(きびプラザ、吉備中央公園)、国立吉備青少年自然の家林原生物化学研究所吉備製薬工場吉備研究所
高原東住区 189 60 56.28 335.8 高原東住区、岡山県生物科学総合研究所
上野 - 307 19 19.44 1579.3 吉備高原学園高等学校
- 116 4 5.83 1988.1 吉備の里
北部住区 330 121 31.19 1057.9 北部住区
竹部 - 74 1 7.27 1018.0 介護老人福祉施設きびハイツ、吉備NC能力開発センター、オーニック、パナソニック吉備
北部住区第1次 125 47 11.36 1100.2 北部住区、岡山北警察署吉備高原駐在所、岡山西消防署吉備中央出張所、吉備高原小学校・幼稚園
合計 1839 477 366.96 501.1  

立地施設編集

 
センター区のサンサン広場

※( )内は立地年度

センター区編集

きびプラザ(1992年)
  • 1F
    • スーパーマーケット「パーティーズ」
    • 障害者支援センター
    • ふれあいプラザ「きびのさと」
    • 中国銀行吉備高原都市支店
    • 岡崎嘉平太記念館
    • 吉備総合カルチャーセンター
    • 吉備中央町 - 吉川支所、吉備高原総合調整事務所、教育委員会事務局
    • 第一会議室
    • 吉備高原都市サービス
    • 吉備ケーブルテレビ「吉備中央町支局」
  • 2F
    • 飲食街
    • 和風宴会場
    • 中ホール

研究学園区編集

保健福祉区編集

  • 吉備高原保健福祉のむら(1981年)
  • 吉備高原医療リハビリテーションセンター (1987年) - リハビリテーション専門の労災病院。
  • 国立吉備高原職業リハビリテーションセンター(1987年) - 「吉備高原広域障害者職業センター」と「吉備高原障害者職業能力開発校」を併設する施設。
  • 吉備の里(1982年)
  • 介護老人福祉施設「きびハイツ」(2004年)

自然教育レクレーション区編集

産業区編集

  • 吉備松下株式会社(1981年)
  • 吉備NC能力開発センター(1983年)
  • 株式会社オーニック(1988年)
  • エヌイーシール株式会社 吉備高原工場(2001年)
  • タカノフーズ中四国(2002年)

その他編集

位置編集

交通アクセス編集

自動車
路線バス

脚注編集

注釈編集

  1. ^ この地域は鉄道空白地帯であり、バス路線も県内の他のニュータウンである山陽団地岡山ネオポリスと比較すると、バス路線の輸送力は脆弱である。

出典編集

  1. ^ a b 5分でわかる吉備高原都市の魅力”. 吉備高原都市. 2018年6月28日閲覧。
  2. ^ 平成22年国勢調査、小地域集計、33岡山県”. 総務省統計局(e-Stat) (2012年12月11日). 2014年9月8日閲覧。
  3. ^ 吉備高原ニューサイエンス館【閉館しました】

参考文献編集

  • 岡山文庫『吉備高原都市』 著作:小出公大 出版:日本文教出版 1994年2月

関連項目編集

外部リンク編集