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王塚古墳(おうつかこふん)は、兵庫県神戸市西区王塚台にある古墳。形状は前方後円墳

王塚古墳
Otsuka Kofun (Kobe), zenkei.jpg
墳丘全景(左に前方部、右奥に後円部)
所在地 兵庫県神戸市西区王塚台3丁目(王塚公園内)
位置 北緯34度40分20.52秒
東経134度58分19.68秒
座標: 北緯34度40分20.52秒 東経134度58分19.68秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長69m(推定復原74m)
埋葬施設 不明
出土品 円筒埴輪形象埴輪
築造時期 5世紀前半
被葬者宮内庁推定)舎人姫王
陵墓 宮内庁治定「玉津陵墓参考地」
地図
王塚古墳の位置(兵庫県内)
王塚古墳
王塚古墳
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王塚古墳の航空写真(1985年)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「玉津陵墓参考地」(被葬候補者:第31代用明天皇皇子当麻皇子妃舎人姫王)として陵墓参考地に治定されている。

概要編集

兵庫県南部、明石川右岸の印南野台地の東縁部に築造された古墳である。現在は宮内庁の治定墓として同庁の管理下にあり、2000年度(平成12年度)には宮内庁書陵部により墳丘裾部で発掘調査が実施されている[1]

墳形は前方後円形で、前方部を南方に向ける。墳丘の段築は現在では認められないが、元は3段築成と推定される[1][2]。推定墳丘長は約74メートルを測り、明石地域では五色塚古墳(神戸市垂水区)に次ぐ規模になる[2]。墳丘表面では、葺石(主に明石川から採石)や円筒埴輪形象埴輪(家形・盾形・蓋形・壺形埴輪)が検出されている[1][2]。主体部の埋葬施設は不明[3]。墳丘周囲には墳丘と相似形の周濠が巡らされているが、元来の濠の形状は詳らかでない[1]。また、周辺には陪塚として3基が存在したと伝えられ、うち2基が現存し王塚古墳同様に宮内庁の管理下にある[4]

この王塚古墳は、出土埴輪から5世紀前半(古墳時代中期)の築造と推定される[2]。明石川流域では白水瓢塚古墳(神戸市西区伊川谷町潤和)に続く首長墓に位置づけられる[5][3]。なお王塚古墳の周辺では、弥生時代の播磨吉田遺跡や古墳時代-中世期の出合遺跡などの遺跡の分布も知られている[4]

規模編集

古墳の規模は次の通り。値は宮内庁の測量図に基づく[4](括弧内は推定復原値[1][2])。

  • 墳丘長:69メートル(推定74メートル)
  • 後円部 - 3段築成か。
    • 直径:38メートル(推定44メートル)
  • 前方部 - 3段築成か。
    • 幅:34メートル(推定42メートル)

2000年度(平成12年度)の調査によって墳丘裾部の全周が削り取られていることが判明しており、括弧内はそれを加味し復原した場合の値になる[1]

被葬者編集

本古墳の被葬者は明らかでない。宮内庁では被葬者を特に定めない陵墓参考地に治定しているが、被葬候補者として用明天皇(第31代)皇子の当麻皇子の妃の舎人姫王(とねりのひめおおきみ、舎人皇女<とねりのひめみこ>)が想定されている[6]。この舎人姫王は飛鳥時代の皇族で、『日本書紀推古天皇紀によれば、推古天皇11年(603年)に夫の当麻皇子が征新羅将軍として出征する際に付き従ったが、同年7月にその途上の播磨の赤石(= 明石)で薨じ、赤石の「檜笠岡の上」に葬られたという[7][8]。本古墳が宮内庁により陵墓参考地に治定されたのは、その墓に擬されたことによる。ただし、前述のように本古墳が実際には舎人姫王のはるか以前(5世紀前半)の築造になることは明らかで、本古墳の被葬者としては不適当であり、また正確な「檜笠岡の上」の所在も未だ詳らかでない[7][8]

陪塚編集

王塚古墳の周囲では陪塚(陪冢)3基の築造が伝えられ、うち次の2基が現存する。

  • 北陪塚(位置
    「飛地い号」として玉津陵墓参考地の陪冢に治定。通称「幣塚」。王塚古墳の北方の幣塚公園内に位置する。直径約10メートルの円墳状であるが、詳細は不明[3]
  • 東陪塚(位置
    「飛地ろ号」として玉津陵墓参考地の陪冢に治定。王塚古墳の東方に位置する。一辺約15メートルの方墳状であるが、詳細は不明[3]

現地情報編集

所在地

交通アクセス

周辺

  • 吉田郷土館 - 周辺の遺跡・古墳の資料を展示。

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f 書陵部紀要 第53号 & 2002年, pp. 20-50.
  2. ^ a b c d e 史跡説明板。
  3. ^ a b c d 兵庫県史 考古資料編 & 1992年, pp. 428-430.
  4. ^ a b c 王塚古墳(平凡社) & 1999年.
  5. ^ 新修神戸市史 歴史編1 & 1989年, p. 612.
  6. ^ 外池昇 『事典陵墓参考地 もうひとつの天皇陵』 吉川弘文館、2005年、pp. 49-52。
  7. ^ a b 舎人皇女(古代氏族) & 2010年.
  8. ^ a b 『新編日本古典文学全集 3 日本書紀 (2)』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、pp. 540-541。

参考文献編集

  • 史跡説明板(神戸市教育委員会、2012年2月設置)
  • 地方自治体発行
    • 『兵庫県史 考古資料編』兵庫県、1992年。
    • 『新修神戸市史 歴史編1 自然・考古』神戸市、1989年。
  • 事典類
    • 「王塚古墳」『日本歴史地名大系 29-2 兵庫県の地名 2』平凡社、1999年。ISBN 4582490611
    • 「舎人皇女」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588
  • その他文献
    • 『書陵部紀要 第53号』宮内庁書陵部、2002年。
      • 「玉津陵墓参考地墳丘裾・外堤内法裾護岸工事区域の調査」、奥田尚 「玉津陵墓参考地の葺石の石材」。

外部リンク編集