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吉良町(きらちょう)は、かつて愛知県幡豆郡にあった。2011年(平成23年)4月1日に西尾市に編入合併された。吉良の名は八ツ面山に産する雲母(きらら)に由来する。中世には足利氏族の東条吉良氏が領主を務めた。

きらちょう
吉良町
Flag of Kira Aichi.JPG Kira Aichi chapter.JPG
町旗 町章
廃止日 2011年4月1日
廃止理由 編入合併
吉良町幡豆町一色町西尾市
現在の自治体 西尾市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
幡豆郡
団体コード 23482-6
面積 35.98km2.
総人口 22,280
(推計人口、2010年2月1日)
隣接自治体 西尾市一色町幡豆町幸田町
町の木 キリ
町の花 ツツジ
吉良町役場
所在地 444-0596
愛知県幡豆郡吉良町大字荻原字川畑20
外部リンク 閉鎖

吉良町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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地理編集

三河湾に面していた。海上には無人島の梶島がある。

隣接していた自治体編集

歴史編集

江戸時代、町域は西尾藩大多喜藩沼津藩川越藩寺社旗本といった様々な領主の下にあった。江戸時代初期の著名な領主に高家旗本吉良義央がいた。

  • 1906年(明治39年) - 横須賀村・荻原村・富田村・瀬門村・厨村の各村が合併して改めて横須賀村が発足。吉田村・宮崎村・保定村の各村が合併して改めて吉田町が発足。
  • 1955年(昭和30年)3月 - 横須賀村吉田町が合併して吉良町が発足。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 西尾市に編入合併される。同日に吉良町廃止。

行政編集

歴代町長
  • 2003年4月-2011年3月 山本一義

経済編集

産業編集

 
町の中心部を流れる矢崎川河口

第一次産業が盛んな町であり、北部横須賀地区の農業、南部吉田地区の漁業に大別される。このうち農業は花卉(かき)園芸や野菜の栽培が盛んであり、漁業は三河湾内の沿岸漁業アサリ海苔の養殖が中心である。工業も吉田港で水揚げされる海産物の加工品に関連したものが中心である。矢作古川河口付近には塩田があり製塩業も行われたが、1970年に廃止された。

沿岸部の観光も主要な産業である。幡豆山地がそのまま突き出た宮崎海岸は岩石海岸として風光明媚を誇る。また、温泉が沸くために吉良温泉として保養地となっている。

提携都市編集

教育編集

  • 保育園
    • 吉良町立横須賀保育園
    • 吉良町立吉田保育園
    • 吉良町立白浜保育園
    • 吉良町立離島保育園
    • 吉良町立荻原保育園
    • 吉良町立津平保育園
  • 小学校
    • 吉良町立吉田小学校
    • 吉良町立白浜小学校
    • 吉良町立横須賀小学校
    • 吉良町立荻原小学校
    • 吉良町立津平小学校
  • 中学校
    • 吉良町立吉良中学校
  • 高等学校

施設編集

郵便局編集

  • 吉良町郵便局(集配局・取扱局番号:21077)
  • 吉良吉田郵便局(無集配局・21147)
  • 吉良宮崎郵便局(無集配局・21254)
  • 吉良津平簡易郵便局(21891)

警察編集

  • 愛知県西尾警察署
    • 町内には吉良交番と宮崎駐在所がある

文化施設編集

交通編集

町の中心には名鉄西尾線名鉄蒲郡線吉良吉田駅があり、西尾線は北に向かって、蒲郡線は東に向かって伸びている。蒲郡線ではワンマン運転が実施されている。碧南市方面には西に向かって名鉄三河線が通じていたが、2004年3月31日に廃止され、現在は沿線だった2市2町から運行委託された名鉄バス東部によるふれんどバス(代替バス)が運行されている。道路交通としては、国道247号が町の中心を東西に貫いている。

鉄道路線編集

西尾線、昔は上横須賀駅、東富田駅、三河荻原駅、吉良吉田駅、今は東富田駅と三河荻原駅は廃駅されて、上横須賀駅、吉良吉田駅

道路編集

一般国道編集

主要地方道編集

一般県道編集

広域農道編集

  • 広域農道幡岡線
  • 広域農道西幡線

一般農道編集

娯楽編集

昭和30年代の映画黄金期、吉良町には映画館の横映劇場と吉田座があった。なお、1960年(昭和35年)の幡豆郡には、幡豆映画劇場(幡豆町)、朝日座(一色町)、一色映画劇場(一色町)も含めて5館の映画館があった[注 1]

  • 横映劇場 - 上横須賀にあった映画館。
  • 吉田座 - 吉田にあった映画館。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事編集

 
吉良家の菩提寺である華蔵寺

出身者編集

 
吉良義央の命で作られた黄金堤

吉良町ウェブサイトでは上記の3人を「吉良三人衆」として紹介している。

詩人の茨木のり子(出生時の名前は宮崎のり子)は大阪市に生まれて西尾市で育ったが、医師をしていた父の故郷が吉良町であり、父は吉良町で宮崎医院を開業した。のり子自身も子供のころに短期間だが吉良町に住んでいたことがある。宮崎医院は吉良吉田駅の西側に現存する。

吉良町が舞台の作品編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[1]

出典編集

  1. ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。

関連項目編集

外部リンク編集