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吉野 美奈子(Minako Yoshino, よしの みなこ、11月1日 - )は、日本芸術家(モニュメントアーティスト・彫刻家画家富山県富山市出身。ニューヨークを拠点に活動している。

Minako Yoshino
吉野 美奈子
Minako Yoshino at Holocaust Memorial Dedication, Englewood Synagogue in NJ, USA.jpg
米国ホロコーストメモリアル彫刻除幕式にて(2018年)
生誕 11月1日
富山県富山市
国籍 日本の旗 日本
教育 ハーバード大学
アート・スチューデンツ・リーグ
武蔵野美術大学短期大学部
職業 芸術家
著名な実績 彫刻絵画
パブリックアート
代表作 『Lovers (恋人たち)』
『ホロコースト記念庭園』
『Tears (涙)』
『Awaken (目覚め)』
『Emerge (光へ)』
影響を受けたもの アメリカ同時多発テロ
ミケランジェロ
斎藤誠治
公式サイト minakoyoshino.com

大理石をはじめを素材としたモニュメント彫刻と、石粉や砂を交えた独特のテクスチャー描く油彩画が特徴である。具象・抽象のいずれの表現も使う。立体では有機的で滑らかな曲線・曲面を得意とし、平面では主に碧を基調とした螺旋を描く。制作テーマは初期より一貫して「宇宙的生命のつながり。」 命と宇宙に関する独自の世界観をベースとした愛と平和に関する作品が多い。また芸術を通しての地域社会貢献、及び生涯教育生涯学習を推進している。エッセイ等の執筆、講演、着物のデザイン等も行う。活動コンセプトは「ART FOR ALL - すべての人にアートを。」

2013年、ニューヨーク市リバーサイドパークに設置するパブリックアートコンペでの受賞がきっかけとなり、ニューヨーク近郊の都市開発に関わるようになった。2017年より制作を続けながらハーバード大学で「都市デザイン」の単位を修得し「現代都市とパブリックアートとの理想的な関係」を研究している[1]。また、米国ナチュラルストーン・インスティチュートで「建築・芸術石材に関する専門知識」の単位を修得し、天然石を用いたグリーン・ビルディング(環境建築)とサスティナブル・アート(使い捨てでない芸術作品)の導入を都市計画に提案している[2]

2018年6月、米国ニュージャージー州に、自作の石彫刻と天然石を使った「ホロコースト記念庭園」を完成させた[3]

目次

経歴編集

富山県立富山女子高等学校(現在の富山県立富山いずみ高等学校)卒業後、富山市立富山外国語専門学校で実務英語を学ぶ[4]。卒業後、両親から堅実な道を望まれたため、一度はそれに従ってJTBの社員となるが、在職中ローマ出張時にミケランジェロの作品に感銘を受け、心の中の「絵を描きたい」という想いをあきらめきれず、働きながら武蔵野美術大学短期大学部2003年武蔵野美術大学に全面改組)で油絵グラフィックデザインを学ぶ[5][4]。仕事と学業の両立が難しくなり「一生のうちの半年でもいいから、24時間自分の好きなことがしたい」と考え、退社を決意[2][4]

2001年 渡米、石彫刻との出会い

卒業後、東京で子ども達に絵を教えた後、2001年単身渡米。ニューヨークの美術大学スクール・オブ・ビジュアル・アーツでアート概念を学びながら、美術解剖学を学ぶ目的で通い始めたアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークで、後に師となる彫刻家・斎藤誠治と出逢う。吉野は建設現場に捨てられていた大理石をみつけて、「もったいない」と胸を痛め、懸命に受け入れ先を探したがうまくゆかず、期せずして斎藤の勧めによりその石を彫ることになってしまった[2]。苦闘の末、 初めて彫った大理石作品のトルソー『Life(生命)』が2003年の学生展で彫刻科優秀賞を受賞、美術コレクターに買い上げられた[6]。また、このトルソーを含む処女作三点シリーズでメリット奨学金を受賞する。以降12年間、斎藤に師事し、石彫刻の具象では困難とされている直彫りを習得した[7]

アメリカ同時多発テロ、『平和のためのシリーズ』以降 

 
左『Missing - 失くしたもの』・右『Tears - 涙』(富山市nowhere)

2001年の渡米直後にアメリカ同時多発テロを間近で体験した吉野は、その追悼碑『Tears(涙)』『Pain(痛み)』とイラク戦争に反対した『Pray(祈り)』を含む『平和のためのシリーズ』を制作し、2004年米国最古の彫刻協会ナショナル・スカルプチャー・ソサエティーより新人賞を受賞[8]。その後、2005年3月、国連アースソサエティ表彰式にて、詩と絵画『Earth & Humanity (地球と人類)』を発表する。高さ2メートル以上のキャンバスに、男女が浮遊し抱擁し合う姿が描かれたこの作品は、テロや戦争で命を落としてゆく「人々」と、人類の戦争行為によって破壊されてゆく「地球」の、双方への慈悲が表現されている[9]。それは、かつてローマでミケランジェロピエタに感銘を受けた「吉野的ピエタ」とも呼べる作品であり、後に誕生するモニュメント『Lovers - 恋人たち』の前進とも考えられている。

 
『修復後のハーストタワー・ファサードとバルコニー彫刻』(ニューヨーク57丁目)

2005年6月、アメリカ同時多発テロ以降、初めてマンハッタンに建築された超高層ビル、ハースト・タワーの保全修復・新築プロジェクトに参加。3階バルコニー柱に設置されていた12体の彫刻修復プロジェクトを一人で完成させ、ニューヨーク・タイムズで報じられる。これらは悲劇、喜劇、音楽、美術、科学、印刷など、初回建設当時(1928年ごろ)を文化的に象徴する各3メートル高の彫像群であり、歴史的重要文化財となっている。吉野はファサードの全面再生塗装においても総合監督を務め、ハースト・タワーはニューヨーク市における「21世紀最初のランドマークビル」として認定された[10][11]。また、このビルは環境持続性におけるパイオニア的建築物でもあり、「ニューヨーク市初のグリーンオフィスビル」にも認定されている。

2006年、ベルギー産黒大理石の代表作『Awaken (目覚め)』で人類の覚醒の瞬間を表現し、NPOPen&Brush国際女性作家協会(1894年ニューヨーク設立)より、日本人初の彫刻名誉賞を受賞する[12]。2008年、世界の環境破壊に警告を鳴らす『Missing(失くしたもの)』『Earth is in your hands(地球はあなたの手の中に)』を含む大理石彫刻群「地球のためのシリーズ」により、1930年から続くエドワード・マクドーウェル欧州留学賞を受賞。翌年ミケランジェロ彫刻を学ぶためイタリアフィレンツェへ留学し、帰路のパリでロダン塑像を学んだ。

東日本大震災『祈りのシリーズ』、彫刻作品『光へ』破壊事件と再生

2011年東日本大震災直後、マリンバ奏者のSINSKE作曲家松村牧亜と共に募金個展&コンサート『夢幻』をニューヨークのSOHOで開催し、売り上げの全額を寄付した[13]。鎮魂と復興を願い大理石彫刻三部作『祈りのシリーズ』を制作中、石から浮かび上がるような女性の肖像作品『Emerge(光へ)』が、深夜のうちに何者かによって作業台から落とされ、壊されるという事件が起こった。現場の彫刻スタジオには日夜人が出入りしており、犯人は特定できなかった。吉野はインタビューで「現実を受け入れ難く、ただ泣いていた。でも、これは私が彼女(作品)と共有しなければならない運命だったのだと思う」と応えた。また「世界は完璧ではなくアクシデントは起こる。その時、問われてるのは、”自分はどうするのか?”ということ。」「壊れた彫刻はどんなに修復しても決して元には戻らないけれど、再び命が吹き込まれれば別の芸術作品として生きてゆくだろう」とも語っている[14]。吉野は厳しい精神状態の中、修復作業を続け、「Rebirth - 再生」の願いとともに、東日本復興に捧げる『祈りのシリーズ』は完成。大震災より2周年めの2013年3月11日在ニューヨーク日本国総領事館にて追悼個展『祈り』を開催、その会場で、国籍、人種、宗教を超えて、世界の人々と共に祈りを捧げた[15]

2013年 モニュメント『Lovers』以降

 
『Lovers - 恋人たち』(ニューヨーク・リバーサイドパーク)

2013年7月、母校アート・スチューデンツ・リーグ彫刻科で助教を務めている際に勧められて、ニューヨーク市の野外彫刻コンペティションに応募、選抜される。ニューヨーク市からは「自然を建築・創造するもの」というテーマが与えられ、他のアーティストたちが水や大地や光や風など、自然のパーツを題材とする中、吉野は「自然を分けることは不自然」と考え、「自然はつながりー愛の創造物である」という意表を突いたプレゼンを行った。この日本神話の「イザナギイザナミ」を題材としたモニュメント『Lovers - 恋人たち』案は、即座に満場一致で承認され、吉野は自身初の大作、3メートル45センチ高の彫像を制作。2014年6月、マンハッタン・リバーサイドパークに『Lovers - 恋人たち』を設置した[16]ウォール・ストリート・ジャーナルをはじめ各種メディアで紹介され、日本では、週刊金曜日「建国神話を考える」特集の表紙を飾った[17]。これを機に、ニューヨーク界隈の都市計画に関わるパブリックアートを制作しはじめる。

 
『眠る人魚像』(米国NJ州エッジウォーター)

2014年12月、ハドソン川対岸のニュージャージー州に開発中であったエッジウォーターハーバー・コミュニティのため、全長2メートル50センチの『眠る人魚像』を完成させる。素材に選ばれた15トンのブルーストーンはアメリカ東海岸の特産であるが、その石の特徴から大掛かりな彫刻素材としての起用は世界でも初めてで、この規模の芸術作品としては世界初のブルーストーン彫刻となった[7]2015年4月、『眠る人魚像』はエッジウォーターに永久設置され、同年5月には、『Lovers - 恋人たち』も、隣接するピアに移設された[18]。同じく2015年11月、マンハッタン・ファッション地区にあるネペンテス・ニューヨークで、初の試みであるソフト・スカルプチュア展『Continuum - つらなり』を開催。作品の素材にはすべてメンズブランド「エンジニアド ガーメンツ」の生地が起用された[19]。この年、吉野は「つらなり」というテーマで2つの展覧会を開催しており、石彫刻のみによるハード・スカルプチュア展(硬い彫刻展)と、生地を使用したソフト・スカルプチュア展(柔らかい彫刻展)で、異なる素材の可能性に挑戦している。

2016年5月、18トンのブルーストーンから、ニューヨーク州のシンボルフィッシュであるチョウザメをモデルとした、古代魚モニュメント『ハドソン川の主』(全長4メートル)を彫り上げ、ニューヨーク州テリータウンに設置される。その制作ドキュメンタリーは読売テレビの「グッと!地球便」でも紹介された[20]

また、2016年より精力的に講演を行なっている。2017年5月、富山県の10高校(富山いずみ高校雄峰高校富山高校呉羽高校富山西高校高岡西高校八尾高校伏木高校富山東高校富山中部高校)に招聘され講演した。この後、岡山大学での講演も含めて12連続講演を行い、述べ5000人の生徒・学生達に、自分らしく生きること・夢の追い方を伝えた。[21][1][22]

2018年 ホロコースト・メモリアル彫刻と記念庭園

 
ホロコースト・メモリアル彫刻『歴史の本を読む子ども達』(米国NJ州イングルウッドシナコーグ)

パブリックアートの設置現場で様々な疑問を抱いていた吉野は、ハーバード大学都市デザインを学び、米国ナチュラルストーン・インスティチュートで建築・芸術石材の専門知識を学び、それらのすべてを投入して、2018年6月、ニュージャージー州のイングルウッドにあるシナコーグ敷地内に、ホロコースト記念庭園を完成させた。非ユダヤ人である吉野は「可能なかぎり彼らの心に寄り添いたい」と考え、何百ページもの関連文献を読み、ワシントンDCにあるホロコースト記念博物館にも出かけた。犠牲となった150万人ともいわれる子ども達の実態を知り「写真が脳裏から離れずとても辛かった」と語っている[23]。歴史の悲惨さを後世に伝える決意を確固としてプロジェクトに関わり始めた2015年より、メモリアル庭園完成までには実に3年もの年月が要された[24]

記念庭園で、メモリアル彫刻『歴史の本を読む子ども達』が座るのは、ダビデの星をデザインしたベンチの中央部分で、素材には彫刻と同じブルーストーンが用いられた。子ども達の読む本には一言だけ「REMEMBER(忘れない)」と刻まれており、本の中央には小さなガーネットが埋められた[23]。それはかつて6000人のユダヤ人を救ったと言われる杉原千畝の孫、杉原千弘から提供されたもので、このガーネットを吉野は「平和な世界の種」と呼んでいる[25]

除幕式の挨拶では、自らが彫り上げた『歴史の本を読む子ども達』の前で、「歴史を学び、どうしたら平和な世界を築けるのか、みんなで一緒に考えていきましょう」と呼びかけた。この記念庭園は、非ユダヤ人アーティストが手がけた世界でも珍しいホロコーストメモリアルであり、「芸術によって言葉、国籍、人種、宗教の垣根を超越したい」と願う吉野芸術の本質に迫る作品と言える[26][3]

人物編集

  • 十代の頃の吉野は、自分のやりたいことについて堅実な両親の理解を得られず、特に父親とはよくぶつかっていたが、「二十歳になったら成人なんだから自分の責任」と判断し、JTBで働きながら学費を稼ぎ、両親に黙って武蔵野美術大学で絵画の勉強をはじめた[20]。ボーナスも有休も授業と課題制作に使い果たしていたが「幸せで幸せでしょーがなかった。毎月100冊本を読んで睡眠3時間でこなし続けた。できることなら24時間のすべてをアートのために使えたらと、切ないほどに願った」と語っている[27]
  • 卒業後、「画家としてどのように日本で生きてゆけばいいのかわからない」と悩んでいた時に、道端に100号の絵を出して眺めていたところ、日本人は皆黙って通り過ぎてゆくだけだったが、3人のニューヨーカーがやってきて、いろいろと感じることを述べてくれた。この体験が、言葉や国籍を超えて「世界の反応を知りたい」と考えていた吉野に、渡米決断への後押しをした[28]。両親には相談せず、渡航費用は貯金をくずして実行した[20]
  • 全くツテもなく誰も知らないニューヨークに単身で渡った動機は、大それた夢を描いていたわけではなく「ただ自分を試してみたいだけ」だった[27]
  • 制作のインスピレーションについて聞かれ、「人が聞いたら笑うけど、石とお話する。石がこうなりたいって言ってくるから、その形が(石の中に)見えてくるまで決して石には触らない」[6][12]。作品はどこまでいけば完成なのかと聞かれ、「石も絵も作品が教えてくれる。『美奈子、もう触らなくていいよ』って聞こえてくる」と答えている[20][29]
  • 2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロを直近で体験しており、長くその話をすることはなかったが、2017年にハーバード大学都市デザインを学んで以降、講演会やシンポジウムでも「災害時の都市において、いかに公共芸術が人の心に寄り添えるか」自身の体験を伝えている[30][31]
  • 2012年のインタビュー「10年後の自分について」で、「5年後10年後のことはわからないけど、今やらなきゃいけないことはわかるから、今日を限界まで『明日の朝、目が覚めなくても良い』と思えるぐらい生きるのが好き」と話した[28]
  • 人生で大切にしていることは「私らしいこと」。未来の自分へのメッセージは「Keep Going (前進し続ける)」と答えている[32]

著書編集

  • 吉野美奈子 「夢追人」Kindle eBooks 2013年11月1日

講演編集

TV出演編集

  • グッと!地球便 #373 アメリカ・ペンシルバニア 2016年4月17日 10:25~放送、読売テレビ。アメリカ東部ペンシルバニア州で彫刻家として奮闘する吉野美奈子さんを描くドキュメント[20]
  • ワンエフ#31 吉野美奈子 2018年12月14日 18:55〜放送、KNBテレビ北日本放送。講演会、現在はまっているもの、未来へのメッセージを収録[32]
  • 夢の追い方 2017年5月17日放送、チューリップテレビ放送。高校生への講演会とインタビュー[22]
  • NYC-ARTS A profile of The Art Students League of New York” 2014年9月18日 Thirteen New York Public Media[6]
  • NB Bushwick #Minako Yoshino 2010年3月17日 BRIC TV[29]
  • 「石彫刻にかける思い」2006年8月 NHK富山放送局[12]

ラジオ編集

  • ミュージアム・ブレイク(富山シティエフエム 2002年6月 - 2003年5月)ニューヨーク発信でアートを語るパーソナリティを務めた。時代に制約されない普遍的な内容で再放送や他局ネットにも広がった。

脚注編集

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  1. ^ a b 小原源「with Radio - クローズアップ:吉野美奈子 」- 富山シティFM 2017年5月22, 23, 24, 25日放送
  2. ^ a b c 美術屋・百兵衛vol.42「吉野美奈子・自分を試すために富山からニューヨークへ」- 麗人社 2017年7月18日 66-71頁
  3. ^ a b 在米作家・吉野美奈子の彫刻 世界平和の願い込めNJ州のシナコーグに奉納”. Yomitime. 2018年6月29日閲覧。
  4. ^ a b c 小林淳子「吉野美奈子さんのLOVERS」- KNB北日本放送ラジオ2018年2月5日放送
  5. ^ 沢岡ヒロキ「吉野美奈子・光のシンフォニー展」- Nicheeeインタビュー 2010年05月13日号
  6. ^ a b c NYC-ARTS A profile of The Art Students League of New York.”. Thirteen New York Public Media. 2014年9月18日閲覧。
  7. ^ a b 塩田眞実「運命に引き止められて13年
」- Yomitime 2014年8月15日号
  8. ^ 全米具象彫刻協会NEWS- 2004年7月8月号 Vol.70#4 11頁
  9. ^ 小澤香里「ピープル」 - 朝日新聞国際衛星版 2005年4月22日 13版 5頁
  10. ^ Angel Franco - ニューヨーク・タイムズ 2005年9月18日
  11. ^ 牧野容子「過去の時間を未来につなぐ 吉野美奈子」- NISSAN Magazine Sift 2008年 12-17頁
  12. ^ a b c 「吉野美奈子 石彫刻にかける思い」- NHK富山放送局 2006年8月
  13. ^ Susan Hamaker「吉野NY個展でNZ震災と東日本大震災の募金呼掛け」- Examiner.com 2011年3月17日
  14. ^ dankuzeer (2014-03-10), Minako Yoshino - INORI - Pray for Japan(日本語字幕付), https://www.youtube.com/watch?v=WA7O_Hk8xQI 2018年7月22日閲覧。 
  15. ^ 東日本大震災追悼「祈り」展覧会開催 - 在ニューヨーク日本国総領事館 2013年3月4日
  16. ^ 桑原一久「 ニューヨークの日本神話」- 週刊金曜日 2015年2月6日号
  17. ^ WSJPhoto リバーサイドパーク新野外彫刻 - ウォール・ストリート・ジャーナル 2014年6月13日
  18. ^ 「吉野美奈子・人魚像 エッジウオーターに永久設置」- Yomitime 2015年5月15日号
  19. ^ 「ネペンテス・ニューヨークにて初ソフトスカルプチャー展」- NNY 2015年11月19日号
  20. ^ a b c d e 山口智充「グッと!地球便:#373アメリカ・ペンシルバニアー吉野美奈子編」- 読売テレビ2016年4月17日放送
  21. ^ テラウチマサト「多士彩才#44芸術家・吉野美奈子」- 北日本新聞:2017年6月5日号
  22. ^ a b 天野なな実「高校生に夢の追い方を伝える」- チューリップテレビ 2017年5月17日放送
  23. ^ a b ホロコーストの歴史刻む 米国で吉野さん(富山出身)がモニュメント制作 |北日本新聞ウェブ[webun ウェブン]」『』。2018年7月21日閲覧。
  24. ^ Schwartz, Bracha. “Ahavath Torah Plans Holocaust Memorial Dedication for This Sunday” (英語). https://www.jewishlinknj.com/community-news/bergen/25623-ahavath-torah-plans-holocaust-memorial-dedication-for-this-sunday 2018年6月27日閲覧。 
  25. ^ NPO 杉原千畝命のビザ” (日本語). www.facebook.com. 2018年7月22日閲覧。
  26. ^ M.I Production 今村. “ホロコースト記念庭園に吉野さんの平和願う彫刻”. 週刊NY生活683号4頁. 2018年6月23日閲覧。
  27. ^ a b msbマガジン107号 P8 海外#29 吉野美奈子「夢追人の条件」”. 武蔵野美術大学校友会. 2018年12月18日閲覧。
  28. ^ a b hot person NYで活躍する芸術家・吉野美奈子さん”. 北日本放送制作. 2012年5月12日閲覧。
  29. ^ a b Minako Yoshino: NB Bushwick”. BRIC TV. 2010年3月17日閲覧。
  30. ^ パブリックアートが人の心と生活にあたえる影響~9.11同時多発テロ前後のニューヨークで”. 富山県民生涯学習カレッジ新川地区センター. 2018年10月19日閲覧。
  31. ^ シンポジウム「岡山から文化芸術資源の保存について考える」”. 岡山大学. 2018年10月26日閲覧。
  32. ^ a b ワンエフ人物紹介#31 吉野美奈子(芸術家)”. 北日本放送. 2018年12月14日閲覧。

関連項目編集

  • 高村光太郎(彫刻家・詩人) 先輩。リーグで塑像を学び、吉野と同じく特待生となって欧州に渡った。
  • 斎藤誠治(彫刻家) 恩師。石井鶴三から木彫の直彫りを学び、石彫刻に起用して吉野に伝授。
  • 石井鶴三(彫刻家・洋画家) 斎藤誠治の芸大の恩師。石を彫らなかったので明石亀太郎を芸大に招いた。
  • 明石亀太郎(昭和の名工) 芸大で石彫の非常勤講師を勤め、日本の初期石彫作家に技術を教えた。
  • イサム・ノグチ(彫刻家)石井鶴三の紹介で、斎藤誠治はNYでイサムの助手を務めた。
  • 国吉康雄(画家) 先輩。リーグで学び講師となる。吉野は岡山大学横浜そごう美術館などで国吉について講演。
  • 杉原千畝(日本の外交官) ホロコーストメモリアルの制作で、孫の杉原千弘とコラボレーション。

外部リンク編集