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君よ憤怒の河を渉れ』(きみよふんどのかわをわたれ)は1974年発行の西村寿行の小説。2005年に徳間書店から再版された。またそれを原作として大映・永田プロが製作し、1976年(昭和51年)2月11日松竹系で封切り公開された日本映画

2017年にジョン・ウー監督のリメイク映画『マンハント』が公開[1][2]

目次

あらすじ編集

映画編集

君よ憤怒の河を渉れ
監督 佐藤純彌
脚本 田坂啓
佐藤純彌
製作 永田雅一
出演者 高倉健
中野良子
原田芳雄
倍賞美津子
池部良
田中邦衛
伊佐山ひろ子
大滝秀治
西村晃
岡田英次
内藤武敏
音楽 青山八郎
撮影 小林節雄
編集 諏訪三千男
配給 松竹
公開   日本 1976年2月11日
  中国 1979年
上映時間 151分
製作国   日本
言語 日本語
配給収入   2.4億円[3]
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西村寿行の同名小説(1974年発行)を原作とした、佐藤純彌監督によるサスペンスアクション映画。高倉健の東映退社後の第一作目であるとともに、大映社長だった永田雅一の、映画プロデューサーとしての復帰第一作目でもある。151分、カラー、シネスコ

この映画は中華人民共和国でも、1979年に『追捕』として公開され、文化大革命後に初めて公開された外国映画となった。公開は無実の罪で連行される主人公の姿と、文化大革命での理不尽な扱いを受けた中国人自身の姿を重ね合わせて、観客に共感を持たせ大変な人気を呼び[4]、中国での観客動員数は8億人に達したとされ[5][6]高倉健中野良子は中国でも人気俳優となった[4]

また、後に佐藤純彌は『未完の対局』、『敦煌』を中国で撮影し、高倉健は、今作品により高倉のファンとなった張芸謀監督の『単騎、千里を走る。』で主役を演じた。

タイトルの「憤怒」は「ふんど」と読まれているが、これは映画化された時にそう読ませた(映画のエンドロールやポスターにも振り仮名付きで表記された)ためである。原作本の裏表紙には、原作者の顔写真とともに「ふんぬ」とルビ表記がある。

1979年(昭和53年)1月5日ゴールデン洋画劇場』にてテレビ初放送。

音楽編集

あらすじ(映画)編集

1976年(昭和51年)10月10日の新宿。ある代議士の不審死事件を単独捜査していた東京地方検察庁刑事部検事・杜丘冬人は、突然、警察官に強盗傷害容疑で連行された。警察官は水沢恵子と名乗る女性の通報を受け、杜丘を拘束したのだった。新宿警察署へ連行された杜丘は旧知の警視庁捜査第一課・矢村警部を呼び出し、無実を主張する。すると今度は寺田俊明と名乗る男性が「この男にカメラを盗まれた」と杜丘を名指しで通報してきた。杜丘には身に覚えのない事だったが、証拠が揃いすぎていた。完璧な罠だ。

杜丘は、家宅捜索の隙をみて逃亡する。新聞は“現職検事が凶悪犯"“杜丘検事即日免職"と書きたてた。杜丘は水沢恵子を捜しに彼女の郷里・能登へ向かった。恵子は本名を横路加代といい、寺田は彼女の夫の横路敬二と判明した。だが、その時にはすでに加代は殺されていた。杜丘は加代あての手紙から、横路敬二が北海道様似に居る事を知り、北海道に飛んだ。杜丘の逮捕状は「強盗犯」から「横路加代殺人容疑」に切替えられた。その頃、矢村警部は横路の経歴を洗い、彼がモルモットハツカネズミを飼育し、製薬会社の実験用に売りさばいていた事を突き止めたが、杜丘との関係はでてこなかった。北海道様似で杜丘は横路の家を見つけたが、そこには刑事が待ちうけていた。杜丘は日高山中の林の中に逃げ込む。だが、その杜丘を散弾銃を待った二人の男が追って来た。逃げる杜丘はある事件を回想した--。

ホテルのレストランから飛び降り、即死した朝倉代議士。証人である政界の黒幕・長岡了介は飛び降り自殺だと言い、矢村警部は自殺説を主張し、杜丘は他殺説をとった。あの日、杜丘は朝倉代議士の妾が経営している新宿の小料理屋に聞き込みに行った。そして、横路加代がいきなり--。

矢村の追跡は執拗だった。その非常線を突破して、深い森の中に入り込んだ杜丘は獣のに仕掛けてあった銃をとりはずした。その時、巨大なが女性にいましも襲いかかろうとしていた。熊めがけて発砲した杜丘だが、手傷を追った熊に追われ、激流に落ちた。翌日、杜丘は遠波牧場の寝室のベッドで目を覚ました。昨日、熊に襲われそうになった牧場の娘・真由美が、今度は杜丘を救ったのだった。真由美の父・遠波善紀は北海道知事選に立候補中だという事もあり、一人娘が杜丘に好意をよせているのに困惑する。

彼の秘書・中山が警察に通報した為、真由美は杜丘を奥深い山の中の小屋にかくまった。しかし、食料を運ぶ所を矢村警部に突き止められ、杜丘は逮捕された。その時、熊が三人を襲い、矢村が負傷した。杜丘と真由美は矢村を介抱したが、気がついた矢村がなおも杜丘を逮捕しようとしたので、杜丘は再び逃げた。岩場の穴に逃げ込んだ杜丘と真由美は二人の愛を誓い合った。一方、遠波は娘のために知事選をあきらめ、杜丘を逃がす決心をした。牧場の周囲は警察が包囲している為、自家用セスナ機を杜丘に提供した。操縦のできない杜丘だが、命を賭けた。止めるようにと絶叫する真由美を後にセスナは本州へと飛びたった。

セスナは東京付近の海岸に着水し、杜丘は警察の裏をかいて東京に潜入する。その頃、真由美も牧場の仕事で東京に来ており、杜丘が新宿で警察に包囲されていた時、を暴走させ杜丘を救出した。やがて杜丘は矢村の協力から横路が何者かに強制収容された精神病院に患者を偽って潜入するが、横路は既に投薬によって廃人となっていた。そして長岡了介が院長・堂塔正康に命じて、秘かに新薬の生体実験をしている事をつきとめた。また朝倉代議士の不審死事件の真相も、長岡了介による暗殺である事が浮かび上がった。長岡や堂塔は横路を廃人に追い込んだ新薬を利用して杜丘を殺害しようとするが、これに失敗。まもなく矢村達も駆け付けるが、一連の真相が明るみに出る前に、堂塔は自殺してしまう。

杜丘の無実を確信した矢村は韓国に逃亡しようとしていた長岡の下に杜丘と共に踏み込んだ。矢村は長岡に拳銃を向け「堂塔の様に、飛び降り自殺しろ」と迫る。長岡は抵抗の末、射殺される。

長岡の死により真相が明るみに出て、杜丘の無実が明白となった。杜丘は矢村と上司の伊藤検事正に「法律では裁けない罪や悪がある事を知った。二度と人を追う立ち場にはなりたくない。」と言い残し、真由美と共に去って行くのだった。

出演者編集

スタッフ編集

製作編集

大映倒産させた永田雅一[8]、1975年4月に自宅や劇場などを売って弁済[9]、法律上の責任を終えたことから三年半ぶりにプロデューサーとして復帰した[9]。ただ組合との紛争は未解決であった[9]。このため永田は金を全然持っておらず、生活するのがやっとの状況[9]。本作は大映を買った徳間康快が、国際的に知名度の高い永田を引っ張り出したものであった[9]。永田は映画界に大きな功労のあった人ではあったが、業界からは「あんなに迷惑をかけておきながら、よくもカムバックされたものだ」という見方が強く[9]、業界からは全然人気がない人で[9]、旧大映の重役にも慕う者はおらず[9]、当然お金を進んで貸す人もいないため、製作費2億円[8]のほとんどは徳間が工面した[9][10]

1975年5月19日、東京ヒルトンホテルで永田のプロデューサー復帰会見があり[8]、永田は「映画に生き、映画に死んでいきたい。いま一度映画プロデューサーとして生きていきたいと恥を忍んで復帰しました」と述べた[8]。この時、本作を第一作とし1975年6月末クランクイン、1975年10月公開を予定していると話した[8]。永田は一プロデューサーとして東奔西走[8]。『新幹線大爆破』を観た本作のプロデューサー・宮古とく子が『新幹線大爆破』の坂上順東映プロデューサーに「監督に佐藤純彌を貸してくれ」と頼んだとされ[11]、監督に東映専属の佐藤純彌[8]と同じく主演に東映専属の高倉健[8]を借りるため[8]、永田が岡田茂東映社長に頭を下げ[8]、承諾を得た[8][9]。高倉のギャラは1500万円[8]。高倉の他社出演は勝プロ製作、東宝配給の『無宿』に続いてのもの[8]。岡田から配給など他の協力は勘弁してほしいといわれ[8][9]、配給先に難航し空中分解になりかけた[8]松岡功東宝副社長には正式に断られ[8]、他のキャスティングも、永田の復帰作として旧大映スターの山本富士子京マチ子南田洋子宇津井健勝新太郎田宮二郎らが出演するのではといわれたが出演はなかった[9]松竹も自社の製作が減っているのに他社作品を配給することに組合がうるさかったが[9]、1975年9月に入り、永田と城戸四郎松竹会長とのトップ会談が行われ、9月4日、正式に松竹での配給が決定し、予定より遅れ1975年9月20日過ぎからクランクイン、1976年2月頃公開と発表された[8]。松竹恒例の正月映画「男はつらいよ」が1976年正月は製作が危ぶまれていたため[12]、1976年正月映画に『君よ憤怒の河を渉れ』を持ってきたらという案も出たが[12]、監督と主演が東映では道義的にムリと1976年2月以降の公開に決まった[12]

1975年9月20日、クランクインに先立ち、調布大映撮影所で『君よ憤怒の河を渉れ』製作発表があり[13]、"永田ラッパ"が吹き荒れるかもと期待し大勢の報道陣が集まった[13]。会見で永田は「老い先短いが、大作と言われるものを年に一本は作りたい。十年生きれば十本は作りたい。その中で三本ぐらいグランプリを狙いたい」と少しラッパを吹いた[13]

リメイク映画編集

マンハント』(原題:追捕)は、2017年の中国映画。

脚注編集

  1. ^ “福山雅治、ジョン・ウー監督作「追捕」イベントで「アクション撮影が楽しみ」”. 映画ナタリー. (2016年6月20日). http://natalie.mu/eiga/news/191482 2016年6月20日閲覧。 
  2. ^ “福山雅治:主演映画の邦題「マンハント」に決定 特報&ポスター解禁 ジョン・ウー監督最新作”. まんたんウェブ (株式会社MANTAN). (2017年11月21日). https://mantan-web.jp/article/20171120dog00m200028000c.html 2017年11月21日閲覧。 
  3. ^ 「興行価値 日本映画 成功するか大作2本立」『キネマ旬報1982年昭和57年)4月下旬号、キネマ旬報社、1982年、 180頁。
  4. ^ a b 福島香織 (2014年11月26日). “中国人が愛した高倉健 文化の力、再考”. 日経ビジネス (日経BP). http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20141124/274189/ 2017年2月18日閲覧。 
  5. ^ 中野良子、高倉健さんしのび涙 結婚報告時に「真っ赤なバラを送って下さった」と告白、映画.com、2015年10月26日 17:30。
  6. ^ 中野良子「何が起こっても克服」健さんの思い出語る日刊スポーツ、2015年10月26日 20:09。
  7. ^ 君よ憤怒の河を渉れ オリジナルサウンドトラック - ディスクユニオン
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “永田さんの一徹、城戸会長を動かす 再起映画、松竹が配給 『君よ憤怒の―』やっと撮影へ”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年9月5日) 
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m 「映画界東西南北談議 各社早くも夏季大攻勢に大童わ 永田雅一氏、プロデューサーとしてカムバック」『映画時報』1975年5月号、映画時報社、 34–36。
  10. ^ 「映画界東西南北談議 企画製作にもっと自信をもて 下半期の見通しも苦難の道か?」『映画時報』1975年8月号、映画時報社、 37頁。
  11. ^ 杉作J太郎植地毅『東映スピード・アクション浪漫アルバム 『坂上順インタビュー』』徳間書店、2015年、49頁。ISBN 978-4-19-864003-3
  12. ^ a b c “なになにッ! "寅さんで初笑い"絶望か 城戸御大の説得にかかる”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年9月9日) 
  13. ^ a b c “早速永田ラッパ『君よ憤怒の―』撮影入り”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年9月21日) 
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外部リンク編集