キミ (カバネ)

ヤマト王権におけるカバネ
君 (カバネ)から転送)

または(きみ)は、ヤマト政権のもとで行われた(かばね)の一つ。

概要 編集

元々は豪族の尊称で、「首長」(しゅちょう)の意味である。本来、「君」と「公」は別のものであり、「君」の大部分は中小豪族で、330あまりの氏族が数え上げられ、「三輪君」・「犬上君」など畿内及びその周囲に多い。地方豪族にも授けられ、関東の「上毛野君」(かみつけぬのきみ)・「下毛野君」(しもつけぬのきみ)[1]、九州の「筑紫君」や「筑紫火君」[2]などがあげられる。8世紀以降になると、 蝦夷隼人の首長にも与えられたという。

「公」は主として、「息長公」・「多治比公」・「当麻公」など、 応神天皇以後、あるいは 継体天皇以降の 皇族の後裔と称する皇親氏族に与えられた。大和政権の王が 大王(おおきみ)と称するようになると,君・公は「姓」として位置づけられるようになり、「大王」はその大なるものとして豪族を超越するものへと発展していった。

天武天皇13年10月(684年)に八色の姓が制定され、その日のうちに「公」氏族は、最高位の真人(まひと)を賜姓されている[3]。また11月には「君」氏族の一部が「」氏族とともに「朝臣」に改姓させられた[4]が、「君」のまま据え置かれたものも多かったという。天平宝字3年(759年)、「君」も「公」姓と表記するように定められた[5]

脚注 編集

  1. ^ 『日本書紀』巻第五、崇神天皇48年4月19日条
  2. ^ 『日本書紀』巻第十九、欽明天皇17年1月条
  3. ^ 『日本書紀』巻第二十九、天武天皇13年10月1日条
  4. ^ 『日本書紀』巻第二十九、天武天皇13年11月1日条
  5. ^ 『続日本紀』巻第二十二、廃帝 淳仁天皇、天平宝字3年10月8日条

参考文献 編集

関連項目 編集