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呂号第六十六潜水艦

日本の潜水艦
艦歴
計画 大正12年度艦艇補充計画
起工 1925年12月1日
進水 1926年10月25日
就役 1927年7月28日
その後 1941年12月17日沈没
除籍 1942年1月15日
性能諸元
排水量 基準:988トン 常備:1,060.3トン
水中:1,301トン
全長 76.20m
全幅 7.38m
吃水 3.96m
機関 ヴィッカース式ディーゼル2基2軸
水上:2,400馬力
水中:1,600馬力
速力 水上:15.7kt
水中:8.6kt
航続距離 水上:10ktで5,500海里
水中:4ktで80海里[1]
燃料 重油
乗員 48名
兵装 40口径8cm単装砲1門
53cm魚雷発射管 艦首6門
魚雷12本
備考 安全潜航深度:60m

呂号第六十六潜水艦(ろごうだいろくじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂六十型潜水艦(L4型)の7番艦。

艦歴編集

  • 1925年(大正14年)12月1日 - 三菱神戸造船所で起工。
  • 1926年(大正15年)10月25日 - 進水
  • 1927年(昭和2年)7月28日 - 竣工。第27潜水隊に編入[2]
  • 1930年(昭和5年)11月15日 - 予備艦となる[2]
  • 1933年(昭和8年)11月15日 - 予備艦となる[2]
  • 1938年(昭和13年)6月1日 - 艦型名を呂六十型に改正[3]

1941年(昭和16年)12月4日、第七潜水戦隊第27潜水隊(呂65呂66呂67)として、クェゼリンを出航[4]。本艦は第27潜水隊司令潜水艦(潜水隊司令深谷惣吉大佐)[4]ウェーク島攻略作戦に参戦のためウェーク島方面の配備に就く[5][6]。僚艦と共に第一次ウェーク島攻略部隊(指揮官梶岡定道第六水雷戦隊司令官)を誘導[6]

12月13日、第一次ウェーク島攻略作戦失敗により、第七潜水戦隊司令官大西新蔵少将(旗艦「迅鯨」)は第27潜水隊に対しクェゼリンへの帰投を命令[4]。僚艦2隻は了解したが、本艦は通信故障のため受信が届かず、そのまま哨戒に従事。

12月17日20時34分、ウェーク島南西252度25浬地点において[7]、哨戒のためウェーク島に派遣された呂62と衝突して沈没した(両艦とも水上航行状態)[4]。呂62側は呂66の存在を知らず、スコールの中で突如現れた呂66を回避できなかった[8]。この事故で第27潜水隊司令深谷大佐、潜水艦長黒川英幸中佐以下65名が殉職し[4]、呂66号潜水艦艦橋にて当直の3名が救助された[2][5]。この沈没事故により第四艦隊司令長官井上成美中将は、第七潜水戦隊司令官大西新蔵少将を誡告した[4]

歴代艦長編集

※『艦長たちの軍艦史』466-467頁による。階級は就任時のもの。

艤装員長編集

  • 平野六三 少佐:1927年3月15日[9] -

艦長編集

  • 平野六三 少佐:1927年7月28日 - 1928年12月10日
  • 奥島章三郎 少佐:1928年12月10日 - 1930年4月22日[10]
  • 久米幾次 大尉:1930年4月22日[10] - 1931年4月1日[11]
  • (兼)堤道三 大尉:1931年4月1日[11] - 1931年5月1日[12]
  • 鳥居威美 大尉:1931年5月1日 - 1931年11月2日[13]
  • 溝畠定一 少佐:1931年11月2日 - 1933年11月15日[14]
  • (兼)浜野元一 少佐:1933年11月15日[14] - 1934年7月16日[15]
  • 都築登 少佐:1934年7月16日[15] - 1934年11月15日[16]
  • 栢原保親 少佐:1934年11月15日 - 1935年2月28日
  • 揚田清猪 大尉:1935年2月28日[17] - 1936年2月15日[18]
  • 柴田源一 大尉:1936年2月15日 - 1937年3月20日[19]
  • 川崎陸郎 少佐:1937年3月20日 - 1937年7月31日[20]
  • 松村寛治 少佐:1937年7月31日 - 1937年12月1日[21]
  • 井上規矩 少佐:1937年12月1日 - 1938年3月19日[22]
  • 中村省三 大尉:1938年3月19日 - 1938年7月30日[23]
  • 稲田洋 少佐:1938年7月30日 - 1939年3月20日[24]
  • 田岡清 少佐:1939年3月20日 - 1939年7月27日[25]
  • 小比賀勝 少佐:1939年7月27日 - 1941年1月22日[26]
  • 黒川英幸 少佐:1941年1月22日[26] - 1941年12月17日殉職

脚注編集

  1. ^ 『艦長たちの軍艦史』による。
  2. ^ a b c d 『艦長たちの軍艦史』466-467頁。
  3. ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
  4. ^ a b c d e f #海軍生活放談481-482頁『呂六六号潜水艦の沈没』
  5. ^ a b 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』150頁。
  6. ^ a b #海軍生活放談478-480頁『海戦時7Ssの作戦行動』
  7. ^ 昭和16年12月 大東亜戦争経過記録/作戦経過概要第6号~8号』 アジア歴史資料センター Ref.C16120682300 p.46『一七|二〇三四|「ウエイク」島ノ二五二度二五浬ニ於テ呂六二潜監視哨戒中呂六六潜ト衝突、呂六六潜ハ瞬時ニシテ沈没ス(下士官四名ヲ救助セシノミ)呂六二潜ハ艦内異状ナク航行可能ナリ』
  8. ^ 防衛庁防衛研修所 戦史室『戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで』朝雲新聞社、197、199ページ
  9. ^ 『官報』第61号、昭和2年3月16日。
  10. ^ a b 『官報』第992号、昭和5年4月23日。
  11. ^ a b 『官報』第1275号、昭和6年4月2日。
  12. ^ 『官報』第1299号、昭和6年5月2日。
  13. ^ 『官報』第1455号、昭和6年11月4日。
  14. ^ a b 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
  15. ^ a b 『官報』第2262号、昭和9年7月17日。
  16. ^ 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
  17. ^ 『官報』第2446号、昭和10年3月1日。
  18. ^ 『官報』第2735号、昭和11年2月17日。
  19. ^ 『官報』第3063号、昭和12年3月22日。
  20. ^ 海軍辞令公報 号外 第15号 昭和12年7月31日付』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072100 
  21. ^ 海軍辞令公報 号外 第99号 昭和12年12月1日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  22. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第152号 昭和13年3月19日付』 アジア歴史資料センター Ref.C13072073500 
  23. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第218号 昭和13年7月30日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100 
  24. ^ 海軍辞令公報(部内限)第316号 昭和14年3月21日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072075500 
  25. ^ 海軍辞令公報(部内限)第363号 昭和14年7月29日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072076100 
  26. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第585号 昭和16年1月25日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072080300 

参考文献編集

  • 大西新蔵『海軍生活放談 日記と共に六十五年原書房、1979年6月。ISBN 9784562008902 大西は太平洋戦争開戦時の第七潜水戦隊司令官
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。

関連項目編集