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艦歴
計画 昭和16年度計画(マル臨計画[1]
起工 1942年10月6日[1]
進水 1943年6月5日[1]
就役 1943年12月16日[1]
その後 1945年2月26日空爆により沈没[1]
亡失認定 1945年3月14日[1]
除籍 1945年4月10日[1]
性能諸元
排水量 基準:960トン 常備:1,109トン
水中:1,447トン
全長 80.50m
全幅 7.05m
吃水 4.07m
機関 艦本式22号10型ディーゼル2基
電動機、2軸
水上:4,200馬力
水中:1,200馬力
電池 1号15型240コ[2]
速力 水上:19.8kt
水中:8.0kt
航続距離 水上:16ktで5,000海里 
水中:5ktで45海里
燃料 重油
乗員 61名
兵装 40口径8cm高角砲1門
25mm機銃連装1基2挺
53cm魚雷発射管 艦首4門
魚雷10本
備考 安全潜航深度:80m

呂号第四十三潜水艦(ろごうだいよんじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂三十五型潜水艦(中型)の9番艦。

艦歴編集

1941年昭和16年)の昭和16年度計画(マル臨計画[1]により、1942年(昭和17年)10月6日、三菱重工業神戸造船所で起工。1943年(昭和18年)6月5日進水。1943年12月16日に竣工し、二等潜水艦に類別[1]。同日、舞鶴鎮守府籍となり[3]、訓練部隊である第六艦隊第11潜水戦隊に編入された。

1944年(昭和19年)3月10日、第34潜水隊に編入[3][4]

3月11日、呂43は舞鶴を出港し、トラックへ向かう、19日、トラック周辺海域を哨戒し、米機動部隊を迎撃するよう命ぜられる。しかし同日、艦内タンク空気排水弁が爆発する事故が起きて潜航不能となったため、28日にトラックに到着。31日、トラックを出港し、4月9日に舞鶴に到着し[4]、修理を受ける。

6月4日、呂43は舞鶴を出港し[4]、10日にサイパンに到着。11日、サイパンを出港し、サイパン周辺海域で哨戒を行う。13日、あ号作戦に参加してマリアナ諸島東方沖に移動。16日、マリアナ諸島南東沖の散開線に移動するよう命ぜられる。同日2144、ロタ島近海で浮上航走中、米駆逐艦に発見されて砲撃と爆雷攻撃を受ける。退避のため呂43は潜航するが、この時に安全潜航深度を超えたため損傷。18日に哨戒を中止して艦の状況を報告。その結果、21日に帰投命令が出され、26日に舞鶴に到着[4]。その後に移動して修理を受ける。これをうけ、海軍省は安全潜航深度の1.3倍以上の深度への潜航を禁止した[注釈 1]

9月17日、呂43は呉を出港し、パラオ南東沖に進出して哨戒。10月14日、呉に到着。

19日、呂43は呉を出港し、フィリピン東方沖に進出。31日、多号作戦を妨害する米艦隊の発見と迎撃のため、サンベルナルジノ海峡に移動。11月16日、佐世保に到着[4]

12月8日、呂43は佐世保を出港し、ルソン島東方沖に進出して哨戒[4]1945年(昭和20年)1月4日、呉に到着[4]

2月13日、呂43はセブ島に配備されている甲標的へ97式魚雷を輸送するべく準備中、沖縄周辺海域に米艦隊が出現したため任務は中止となった。16日、呉を出港し、沖縄東方沖に進出。17日、硫黄島周辺海域へ移動するよう命ぜられるが、この時に命令を受け取った反応を最後に消息不明[注釈 2][1][4]

アメリカ側記録によると、25日、硫黄島北西沖で米駆逐艦ベニオン英語版(USS Bennion, DD-662)が潜航中の潜水艦をソナー探知。そのため、米護衛空母アンツィオ(USS Anzio, CVE-57)からTBM アヴェンジャー1機が発進した。26日、アンツィオはアヴェンジャーをもう1機発進させ、潜水艦を捜索する。0220、アヴェンジャーがレーダーで目標を探知[5]。味方の護衛駆逐艦とも思われたが、上空を通過すると丁度急速潜航する潜水艦だった[5]。そのため、ソノブイMk24電池式音響探知魚雷を投下。ソノブイの着水直後に水中から大轟音を聴取した後、後には何も聞こえてこなかった[1][4][6]。翌27日夜明けごろ、この海域で大きな重油の帯が漂っていた。これが呂43の最期の瞬間であり、艦長の月形正気大尉以下乗員79名全員戦死[7]。沈没地点は硫黄島北西沖、北緯25度07分 東経140度19分 / 北緯25.117度 東経140.317度 / 25.117; 140.317[6]

日本海軍は硫黄島に上陸したアメリカ軍に対して回天特別攻撃隊(千早隊)を編成して投入したが、伊368伊370を失い、同時期に硫黄島方面で作戦を行っていた呂43も帰らなかった。アンツィオの航空機はこの日1日で伊368と呂43の2隻の潜水艦を撃沈した[8]

3月14日、硫黄島方面で亡失と認定され、4月10日に除籍された。

歴代艦長編集

艤装員長編集

  • 不詳

艦長編集

  • 西松張尾 大尉:1943年12月16日 - 1944年5月5日[7]
  • 月形正気 大尉:1944年5月5日 - 1945年2月26日戦死[7]

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 呂35型潜水艦の場合、深度104m以上への潜航が禁止とされた。
  2. ^ 2月21日、米駆逐艦レンショー英語版(USS Renshaw, DD-499)を撃破したとされるが、レンショーの被雷位置はシキホル島南方のミンダナオ海であり、呂43の行動区域からは外れている。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『日本海軍史』第7巻、374頁。
  2. ^ 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』72頁。
  3. ^ a b 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』95頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』154-155頁。
  5. ^ a b 『特攻回天戦 回天特攻隊隊長の回想』165頁。
  6. ^ a b 『特攻回天戦 回天特攻隊隊長の回想』166頁。
  7. ^ a b c 『艦長たちの軍艦史』452頁、『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』154-155頁。
  8. ^ Chapter VII: 1945” (英語). The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II. 2011年1月19日閲覧。

参考文献編集

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 小灘利春、片岡紀明『特攻回天戦 回天特攻隊隊長の回想』海人社、2006年、ISBN 4-7698-1320-1