メインメニューを開く

呉 徳俊(吳德俊、オ・トクチュン、오덕준)は大韓民国軍人

呉 徳俊
오덕준
生誕 1921年
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮慶尚南道金海市
死没 1980年
大韓民国の旗 大韓民国
所属組織

大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍

Flag of the Republic of Korea Army.svg 大韓民国陸軍
軍歴 少尉(日本陸軍)
少将(韓国陸軍)
テンプレートを表示

目次

人物編集

1921年、慶尚南道金海に生まれる。1943年、関西大学法科卒業。学徒出陣して福知山予備士官学校卒業[1]広島県の部隊に勤務し、ここで原爆にあって顔半分を被曝し皮膚の色が違っていた[2]。終戦時、日本軍少尉。韓国に帰国後は朝鮮建国準備委員会慶南支部軍事顧問[1]

1946年2月26日付で、軍事英語学校卒業の扱いで任少尉(軍番10059番)、第5連隊(釜山)付[1][3]。1948年6月28日、第3旅団参謀長[4]。同年8月8日、第5旅団参謀長[4]。1949年4月15日、第22連隊長[5]。同年5月、護国軍朝鮮語版参謀副長補佐官[1]。同年7月25日、第10連隊長[6]

1950年3月に来日して第24師団で研修を受けていたが[7]朝鮮戦争が勃発すると帰国。部隊(呉徳俊部隊と呼ばれる)を編成して西南部で第6師団の遅滞に任じた。1950年11月、第9師団長。1951年1月2日、第1軍団参謀長(1月13日まで)。1951年5月23日、第11師団長[8]。1952年8月、済州地区衛戍司令官兼第1訓練所長[9]。1953年6月17日、第15師団の3代目師団長に就任して陣地の補強や部隊整備に専念していたが、アメリカ陸軍指揮幕僚大学留学のため、6月25日に離任[10]

1955年、合同参謀本部長。

1957年、第2訓練所長。7月、第3軍団長。

1959年7月、第5軍団長。

1960年5月、戦闘兵科教育司令官。

1961年、予備役編入。11月、農業協同組合中央会長。

1963年、韓国輸出貿易公社代表理事。

1964年、大東工業株式会社会長。

勲章編集

出典編集

  1. ^ a b c d 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、436頁。
  2. ^ 白善燁 『若き将軍の朝鮮戦争』 草思社〈草思社文庫〉、2013年、427頁。
  3. ^ 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、87頁。
  4. ^ a b 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、212頁。
  5. ^ 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、209頁。
  6. ^ 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、198頁。
  7. ^ 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国編 中巻』、101頁。
  8. ^ 6・25戦争史 第8巻 (PDF)” (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 517. 2016年10月23日閲覧。
  9. ^ 4.3歴史館”. 4.3遺族会. 2016年1月17日閲覧。
  10. ^ 韓國戰爭史第9巻 對陣末期(1953.1.1~1953.7.27) (PDF)”. 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 69. 2018年10月16日閲覧。
  11. ^ Jun Duk Oh”. Military Times. 2015年11月10日閲覧。
  12. ^ Oh Duk Jun”. Military Times. 2015年11月10日閲覧。

参考文献編集

  • 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』 原書房、1976年。 
  • 白善燁 『若き将軍の朝鮮戦争』 草思社、2000年。ISBN 4-7942-0974-6 
軍職
先代:
張都暎
  大韓民国陸軍第1訓練所長
第10代:1952.8.14 - 1953.6.15
次代:
李應俊