周 邵(しゅう しょう、? - 230年)は、三国時代の呉の将、周泰の長子。
父の死後に騎都尉としてその軍勢を受け継いだ。
魏の曹仁が濡須に攻め込んで来た時は、これを迎撃し戦場で功績を立てた。
さらに曹休が周魴の計略にはまり石亭に攻め寄せた時にも陸遜率いる迎撃軍に従軍し、大いに功績を挙げ官位は裨将軍となった。
230年(黄龍2年)に死去し、弟の周承が軍勢と侯位を受け継いだ。
曹仁の没年が223年であることから考えると、父の後を継いだのは222年から曹仁が濡須に攻め込んで来た時までの間と考えることができるであろうか。