和田 義直(わだ よしなお)は、鎌倉時代初期の武将

 
和田義直
時代 鎌倉時代前期
生誕 治承元年(1177年
死没 建暦3年5月3日1213年5月24日
別名 金窪四郎[1]
氏族 和田氏
父母 父:和田義盛
兄弟 常盛義氏朝比奈義秀義直義重義信秀盛杉浦義国
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経歴・人物編集

建暦3年(1213年)弟の義重と従兄弟の胤長と共に泉親衡の乱の企てに加担する[1]建暦3年(1213年)2月、企てが発覚すると、伊東祐長のもとで禁固に処されるが、父義盛の嘆願により北条義時の同意の上、弟の義重と共に赦免される[1]。この際、胤長は赦されず、陸奥国岩瀬郡へ配流となった[1]。この幕府の裁断に不満を持った義盛は一族を集め挙兵(和田合戦[1]。義直は建暦3年(1213年5月3日酉の刻伊具盛重に討ち取られた[2]。享年37。

脚注編集

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  1. ^ a b c d e 安田元久編 『鎌倉・室町人名事典』 新人物往来社、1985年、668頁。 
  2. ^ 吾妻鏡』建暦三年五月三日条