和田誠
和田 誠(わだ まこと、1936年(昭和11年)4月10日 - 2019年(令和元年)10月7日)は、日本のイラストレーター、エッセイスト、映画監督。大阪府生まれ。
わだ まこと 和田 誠 | |||||||||
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![]() 誠文堂新光社『アイデア=Idea』第13巻第75号(1966)より | |||||||||
生年月日 | 1936年4月10日 | ||||||||
没年月日 | 2019年10月7日(83歳没) | ||||||||
出生地 |
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民族 | 日本人 | ||||||||
職業 |
イラストレーター エッセイスト 映画監督 | ||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||
活動期間 | 1959年 - 2019年 | ||||||||
配偶者 | 平野レミ(1972年 - 2019年・死別) | ||||||||
著名な家族 |
和田精(父) 山本紫朗(伯父) 和田唱(長男) 上野樹里(長男の妻) 和田明日香(次男の妻) | ||||||||
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家族編集
実父は築地小劇場の創立者メンバーの1人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精。日劇レビューで演出家を担った山本紫朗は伯父にあたる。
妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。長男はロックバンド・TRICERATOPSの和田唱で、その妻は上野樹里。次男の和田率は元電通勤務で、現在は母・平野レミの料理サイト「remy」のクリエイティブ・ディレクター[1]。率の妻は和田明日香。 和田がレミを紹介するよう頼んだのは当時レミとラジオ番組でと共演していた久米宏であったという。久米は「レミさんだけはやめた方がいいと思いますよ。」と返したという[2]。
人物編集
精が勤務していたJOBK(現在のNHK大阪放送局)の当時の赴任地である大阪市で生まれる[3]。1945年(昭和20年)、精の失職に伴い3月に一家で東京都世田谷区代田に転居。しかし誠は家族と一人離れて疎開した千葉県で敗戦を迎える。
東京へ戻り世田谷区立代沢小学校3年次に転入し、東京都立千歳高等学校(現・東京都立芦花高等学校)、多摩美術大学図案(現・デザイン)科卒業。『グレン・ミラー物語』(1954年)を観て、ジェームズ・ステュアートに似顔絵付きのファンレターを出して、返事で絵を褒められたのが絵を職業にしようと決心した理由の一つだという[4]。
1959年(昭和34年)に広告制作プロダクションライトパブリシティにデザイナーとして入社し、同年、日本専売公社が発売予定の新商品の紙巻きたばこ「ハイライト」のパッケージデザインコンペに参加し採用される。ちなみに、同製品のデザインは、1964年開業の東海道新幹線の車体の色を決めるときに配色の参考にされたといわれている。他にも自社のライトパブリシティ及び、社会党のロゴマークを手掛け、キヤノンや東レといった国内有数の企業の広告デザインを長らく担当した後、1968年(昭和43年)退社。
退社後はフリーランスとなり、「週刊文春」の表紙、星新一著作の挿絵などを手掛けたり、他にも、星新一・丸谷才一の一連の作品や村上春樹の『アフターダーク』、三谷幸喜、阿川佐和子作品を始め、数多くの装丁を担当する。通常、書籍のバーコードは裏表紙のカバーに直接印刷されるが、これを嫌い、ISBNの数字のみが表示されたデザインを採り入れている。結果、バーコードは帯に印刷されることが多い。
映画にも造詣が深く、1984年(昭和59年)に「角川映画」として初監督作品である真田広之主演『麻雀放浪記』を手掛けた後は、小泉今日子主演の『快盗ルビイ』など数作品でメガホンをとった。ちなみに、他分野出身の監督が第一、二作連続でキネマ旬報ベストテン入りを果たしたのは、後にも先にも和田一人である。監督業以外にも『お楽しみはこれからだ』等、映画がテーマのエッセイ集を出している。
1992年、伯父の山本紫朗に国内レビューの黄金時代を取材した内容をまとめた著書『ビギン・ザ・ビギン』をモチーフに、『日劇物語』を映画化する話がもち上がった。和田が脚本を手掛け、クランク・イン寸前まで進んだが、資金不足のため撮影は中止された[5]。
アニメーション作家としての実績もあり、1960年(昭和35年)に久里洋二・柳原良平・真鍋博が「アニメーション三人の会」を結成し、草月ホールで定期的に上映会を行っていた際に、横尾忠則や手塚治虫等と共に参加し、個人制作の作品を発表した。1961年(昭和36年)NHKで放送開始の『みんなのうた』に参加し、初のアニメ映像作品『誰も知らない』を始め、他9曲の映像を製作した。また、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』のオープニングタイトルを手掛けている。
2019年10月7日、東京都内の病院にて肺炎のため死去[6]。83歳没。
受賞歴編集
- 1958年(昭和33年) - 『夜のマルグリット』のポスターにより日本宣伝美術会賞受賞。
- 1960年(昭和35年) - たばこの「ハイライト」のデザイン・コンペに入賞。
- 1964年(昭和39年) - 短編アニメ映画『殺人 MURDER』により毎日映画コンクール大藤信郎賞受賞。
- 1969年(昭和44年) - 似顔絵その他で文藝春秋漫画賞受賞。
- 1974年(昭和49年) - 似顔絵集『PEOPLE』で講談社出版文化賞(ブックデザイン部門)受賞。
- 1981年(昭和56年) - 講談社出版文化賞(さしえ部門)受賞。
- 1982年(昭和57年) - 『ビギン・ザ・ビギン』で角川書店日本ノンフィクション賞受賞。
- 1984年(昭和59年) - 映画『麻雀放浪記』で報知映画賞新人賞受賞。山路ふみ子文化財団特別賞を受賞。
- 1989年(平成元年) - 映画『快盗ルビイ』でブルーリボン賞受賞。
- 1993年(平成5年) - 『銀座界隈ドキドキの日々』で講談社エッセイ賞受賞。
- 1994年(平成6年) - 幅広い活躍により菊池寛賞受賞。
- 1998年(平成10年) - 『ねこのシジミ』で日本絵本賞受賞。
- 2006年(平成18年) - 『どんなかんじかなあ』で日本絵本賞受賞。
著作編集
- 『People : 和田誠肖像画集』 和田誠 著 美術出版社 1973年
- 『デザイン街路図』 和田誠 著 昭文社出版部 1973年
- 『にっぽんほら話』 和田誠 著 講談社 1974年
- 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ』 和田誠 著 文芸春秋 1975年 のち文庫
- 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ Part2』 和田誠 著 文芸春秋 1976年
- 『日曜日は歌謡日』 和田誠 著 講談社 1976年
- 『ポスターランド』 和田誠 画 講談社 1976年
- 『People : 和田誠肖像画集 2』 和田誠 画 美術出版社 1977年
- 『いつか聴いた歌』 和田誠 著 文芸春秋 1977年 のち文庫 のち愛育社
- 『倫敦巴里』 和田誠 著 話の特集 1977年
- 『和田誠百貨店』 和田誠 著 美術出版社 1978年
- 『たかが映画じゃないか』 山田宏一、和田誠 著 文芸春秋 1978年
- 『落語横車』 和田誠 著 講談社 1980年 のち文庫
- 『にっぽんほら話』 和田誠 著 講談社 1980年 のち文庫
- 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ part 3』 和田誠 著 文芸春秋 1980年
- 『シネマッド・ティーパーティ』 和田誠 著 講談社 1980年 のち文庫
- 『サニーサイドアップ : 和田誠漫画集』 和田誠 著 CBS・ソニー出版 1980年
- 『きなきな族からの脱出』 和田誠 著 角川書店 1981年 のち文庫
- 『装幀パレード : 和田誠イラストレーション集』 和田誠 著 岩崎美術社 1982年
- 『特別飛行便 : 和田誠・週刊文春表紙画選』 和田誠 著 文芸春秋 1982年
- 『SF大会 : 和田誠イラストレーション集』 和田誠 著 岩崎美術社 1982年
- 『映画に乾杯 : 歓談・和田誠と11人のゲスト』 和田誠 ほか著 キネマ旬報社 1982年
- 『わたくし大画報』 和田誠 著 講談社 1982年
- 『CMくらぶ : 和田誠イラストレーション集』 和田誠 著 岩崎美術社 1982年
- 『ビギン・ザ・ビギン : 日本ショウビジネス楽屋口』 和田誠 著 文芸春秋 1982年 のち文庫
- 『ポストカード・ニューヨーク 1 2』 和田誠、篠山紀信 著 文芸春秋 1983年 (文春絵はがき文庫)
- 『プライヴェート・ニューヨーク』 和田誠 文・絵、篠山紀信 写真 文芸春秋 1983年
- 『親馬鹿子馬鹿』 和田唱・誠 著 講談社 1983年
- 『酒の本棚・酒の寓話』 和田誠 ほか著 サントリー 1983年
- 『いろんなもの・いろんなうた』 和田誠 著 新潮社 1984年
- 『モンローもいる暗い部屋』 和田誠 編 新潮社 1985年 (エッセイ・おとなの時間)
- 『新人監督日記』 和田誠 著 角川書店 1985年
- 『A面B面 : 作詞・レコード・日本人』 阿久悠、和田誠 著 文芸春秋 1985年 のち、ちくま文庫
- 『映画に乾杯 : 歓談・和田誠と11人のゲスト 2』 和田誠 ほか著 キネマ旬報社 1985年
- 『日曜日は歌謡日』 和田誠 著 講談社 1986年 (講談社文庫)
- 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ part 4』 和田誠 著 文芸春秋 1986年
- 『ひとコマランド傑作選』 和田誠 編 講談社 1986年
- 『カメラ対ギャルス』 和田誠 著 話の特集 1986年
- 『和田誠インタビューまたは対談 その2』 和田誠 ほか著 話の特集 1987年
- 『和田誠百貨店〈B館〉』 和田誠 著 美術出版社 1988年
- 『心がぽかぽかする本』 和田誠 編 NTT出版 1989年
- 『メイキング・オブ・快盗ルビイ』 和田誠、長谷川隆 著 筑摩書房 1989年
- 『和田誠インタビューまたは対談 その3』 和田誠 ほか著 話の特集 1989年
- 『心がぽかぽかする本 2』 和田誠 編 NTT出版 1990年
- 『旅の絵日記』 平野レミ、和田誠 著、関原彰 写真 講談社 1990年
- 『Cats in Wadaland』 和田誠 著 マガジンハウス 1991年
- 『シネマッド・カクテルパーティ』 和田誠 著 講談社 1991年
- 『3D』 和田誠 著 リブロポート 1991年 (a-tempo ; 9)
- 『ブラウン管の映画館』 和田誠 著 ダイヤモンド社 1991年 のち、ちくま文庫
- 『心がぽかぽかする本 3』 和田誠 編・絵 NTT出版 1992年
- 『映画とジャズ』 和田誠 編著 ビクター音楽産業 1992年 (ビクターブックス)
- 『和田誠インタビューまたは対談 その4』 和田誠 ほか著 話の特集 1992年
- 『和田誠装幀の本』 和田誠 著 リブロポート 1993年
- 『銀座界隈ドキドキの日々』 和田誠 著 文芸春秋 1993年 のち文庫
- 『おさる日記』 和田誠 文、村上康成 絵 偕成社 1994年
- 『怖がる人々を作った人々』 和田誠 [ほか]著 文芸春秋 1994年
- 『ことばの波止場』 和田誠 著 白水社 1995年 のち白水Uブックス
- 『冒険がいっぱい』 和田誠 作、長新太 画 文渓堂 1995年 (おはなしメリーゴーランド)
- 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ part 5』 和田誠 著 文芸春秋 1995年
- 『ことばのこばこ』 和田誠 さく・え 瑞雲舎 1995年
- 『4人目の王さま』 和田誠 作曲・え、八木正生 編曲 理論社 1995年 (うたのほん)
- 『ねこのシジミ』 和田誠 作 ほるぷ出版 1996年 (イメージの森)
- 『日本の名随筆 別巻 63 芸談』 和田誠編 作品社 1996年
- 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ part 6』 和田誠 著 文芸春秋 1996年
- 『かいぞくのうた』 和田誠 著 あかね書房 1996年 (あかねピクチャーブックス ; 4)
- 『ポートレイト・イン・ジャズ』 和田誠、村上春樹 著 新潮社 1997年 のち文庫
- 『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ pt.7』 和田誠 著 文藝春秋 1997年
- 『装丁物語』 和田誠 著 白水社 1997年 のち白水Uブックス
- 『それはまた別の話』 和田誠、三谷幸喜 著 文藝春秋 1997年 のち文庫
- 『似顔絵物語』 和田誠 著 白水社 1998年 のち白水Uブックス
- 『女の小説』 丸谷才一、和田誠 著 光文社 1998年 のち文庫
- 『赤塚不二夫1000ページ』 赤塚不二夫 著、和田誠 責任編集 扶桑社 1998年
- 『ガクの絵本』 和田誠 著 ほるぷ出版 1999年
- 『これもまた別の話』 和田誠、三谷幸喜 著 キネマ旬報社 1999年 のち新潮文庫
- 『今日も映画日和』 和田誠、川本三郎、瀬戸川猛資 著 文藝春秋 1999年 のち文庫
- 『時間旅行』 和田誠 著 メディアファクトリー 2000年
- 『知らない町角』 和田誠 著 白水社 2001年
- 『ジャズと映画と仲間たち』 和田誠、猪腰弘之 著 講談社 2001年
- 『光と嘘、真実と影 : 市川崑監督作品を語る』 和田誠、森遊机 著 河出書房新社 2001年
- 『仕事場対談 : 和田誠と27人のイラストレーター』 和田誠 著 河出書房新社 2001年
- 『ポートレイト・イン・ジャズ 2』 和田誠、村上春樹 著 新潮社 2001年
- 『指からウロコ』 和田誠 著 白水社 2001年
- 『物語の旅』 和田誠 著 フレーベル館 2002年
- 『パイがいっぱい』 和田誠 著 文化出版局 2002年
- 『白い嘘 : 句集』 和田誠 著 梧葉出版 2002年
- 『No idea』 安西水丸、和田誠 著 金の星社 2002年
- 『和田誠鉛筆映画館』 和田誠 著 HBギャラリー 2002年
- 『青豆とうふ』 安西水丸、和田誠 著 講談社 2003年 のち新潮文庫
- 『旅のスケッチブック』 和田誠 著 新書館 2004年
- 『シネマ今昔問答』 和田誠 著 新書館 2004年
- 『誠の話』 椎名誠、和田誠 著 角川書店 2004年
- 『教養主義!』 山田宏一、村上知彦、中条省平、石上三登志、金井美恵子、萩原健太、高橋源一郎、飯沢耕太郎、和田誠、井家上隆幸、鷲田清一、片岡義男 著 フリースタイル 2004年
- 『シネマ今昔問答 望郷篇』 和田誠 著 新書館 2005年
- 『和田誠の絵本の仕事』 和田誠 画、ふくやま美術館 編 ふくやま美術館 2005年
- 『テーブルの上の犬や猫』 安西水丸、和田誠 著 文藝春秋 2005年
- 『ぬすまれた月』 和田誠 作・絵 岩崎書店 2006年 (レインボーえほん ; 3)
- 『和田誠切抜帖』 和田誠 著 新書館 2007年
- 『村上ソングズ』 村上春樹、和田誠 著訳 中央公論新社 2007年
- 『ポケットからなにがでる?』 和田誠 作 福音館書店 2007年
- 『表紙はうたう : 和田誠・「週刊文春」のカヴァー・イラストレーション』 和田誠 著・装幀 文藝春秋 2008年
- 『パートナーズ』 安西水丸、和田誠 著 文藝春秋 2008年
- 『ヒッチコックに進路を取れ』 山田宏一、和田誠 著 草思社 2009年 のち文庫
- 『本漫画』 和田誠 著 毎日新聞社 2009年
- 『ぼくのしょうらいのゆめ』 市川準、内田裕也、大竹伸朗、関野吉晴、祖父江慎、高橋悠治、田中泯、谷川俊太郎、野口聡一、舟越桂、吉本隆明、和田誠 著 文藝春秋 2009年 (文春文庫)
- 『四人四色 : イラストレーター4人への30の質問』 灘本唯人、宇野亜喜良、和田誠、横尾忠則 著 白水社 2009年
- 『東京見物』 和田誠 著 講談社 2009年
- 『ポケットに砂と雪』 和田誠 文・絵 フェリシモ 2010年 (おはなしのたからばこ ; 19)
- 『連句遊戯』 笹公人、和田誠 著 白水社 2010年
- 『Black & White in Wadaland : 和田誠モノクローム作品集』 和田誠 画 愛育社 2010年
- 『和田誠私家版絵本ボックス』 和田誠 絵 復刊ドットコム 2011年
- 『和田誠展書物と映画』 和田誠 デザイン・レイアウト 世田谷文学館 2011年
- 『Coloring in Wadaland : 和田誠カラー作品集』 和田誠 画 愛育社 2011年
- 『五・七・五交遊録』 和田誠 著 白水社 2011年
- 『Posters in Wadaland : 和田誠ポスター集』 和田誠 デザイン 愛育社 2012年
- 『地にはピース』 和田誠 画 たばこと塩の博物館 2012年
- 『みんな猫である』 和田誠 著 玄光社 2013年 ([玄光社MOOK])
- 『画廊の隅から : 東日本大震災チャリティ・イラストレーション作品集』 和田誠 著 講談社 2013年
- 『回文の愉しみ』 土屋耕一 著、和田誠 編 東京糸井重里事務所 2013年 (土屋耕一のことばの遊び場。)
- 『聞いたり聞かれたり』 和田誠 編著 七つ森書館 2013年
- 『生き物が見る私たち』 中村桂子、和田誠 著 青土社 2014年
- 『和田誠シネマ画集』 和田誠 著 ワイズ出版 2014年
- 『Book Covers in Wadaland : 和田誠装丁集』 和田誠 著 アルテスパブリッシング 2014年
- 『Record Covers in Wadaland : 和田誠レコードジャケット集』 和田誠 著 アルテスパブリッシング 2014年
- 『ニャンコトリロジー』 和田誠 著 ハモニカブックス 2014年
- 『ほんの数行』 和田誠 著 七つ森書館 2014年
- 『連句日和』 笹公人、矢吹申彦、俵万智、和田誠 著 自由国民社 2015年
- 『ぼくが映画ファンだった頃』 和田誠 著 七つ森書館 2015年
- 『村上春樹とイラストレーター -佐々木マキ、大橋歩、和田誠、安西水丸』 村上春樹、佐々木マキ、大橋歩、和田誠、安西水丸 著 ちひろ美術館監修 ナナロク社 2016年
- 『もう一度倫敦巴里』 和田誠 著 ナナロク社 2017年
- 『和田誠と日本のイラストレーション』 和田誠 画 たばこと塩の博物館 2017年
- 『定本和田誠時間旅行』 和田誠 著 玄光社 2018年
挿絵担当書籍一覧編集
- 『真説 金田一耕助』横溝正史著 毎日新聞社 1977年 のち角川文庫
- 『金田一耕助の冒険』 横溝正史著 角川文庫 1979年 (1976年版では杉本一文の表紙であったが、分冊化した際に和田誠の表紙に差し替えられた)
- 『戦後史グラフィティ』 色川武大、長部日出雄、村松友視共著 話の特集編集室 1989年
- 『イソップ株式会社』井上ひさし著 中央公論新社 2005年 のち文庫
- 『きまぐれロボット』他、星新一の著書
- 『冷蔵庫より愛をこめて』他、阿刀田高の著書
- 『マイナス・ゼロ』他(『広瀬正・小説全集』全6冊、集英社、1982年)
- 『気まずい二人』他、三谷幸喜著の対談集、エッセイ本
- 丸谷才一著のエッセイ本
- 東海林さだお著のエッセイ本
- ぼくは王さま、ノコ星ノコくん(王さまシリーズの挿絵は1冊目のみ。その後は和歌山静子に交代している。誠は寺村輝夫の同級生の教え子にあたる)
- 『絵本 パパラギ』立風書房 2002年
- 他多数
翻訳編集
- オフ・オフ・マザー・グース
- スチュアート・カミンスキー・「トビー・ピータース」シリーズ(挿絵も担当)[7]
- ロビン・フッドに鉛の玉を
- 虹の彼方の殺人
- 劇団四季ミュージカル『クレイジー・フォー・ユー』訳詞
映画作品編集
- 新しい動画 3つのはなし(1961年(昭和36年)) 監督・作画
- 殺人 MURDER(1964年(昭和39年)) 制作・監督・作画
- パンパの活躍(1970年(昭和45年)) 美術・アニメーション
- 恋の大冒険(1970年(昭和45年)) 美術
- 金田一耕助の冒険(1979年(昭和54年)) タイトルデザイン
- 麻雀放浪記(1984年(昭和59年)) 監督・共同脚本
- ヒロシマという名の少年(1987年(昭和62年)) イラスト
- 快盗ルビイ(1988年(昭和63年)) 監督・脚本 主題歌「快盗ルビイ」の作詞もした
- 怪盗ジゴマ 音楽篇(1988年(昭和63年)) 製作・監督・作曲
- フィルムは生きている 手塚治虫フィルモグラフィー 1962-1989(1990年(平成2年)) タイトル字慕デザイン
- 怖がる人々(1994年(平成6年)) 監督・脚本
- しずかなあやしい午後に(第1話 ガクの絵本)(1997年(平成9年)) 監督・脚本
- 真夜中まで(1999年(平成11年)) 監督・脚本
- みんなのいえ(2001年(平成13年)) 出演
- かあちゃん(2001年(平成13年)) タイトル画
- 照明熊谷学校(2004年(平成16年)) 監修
- ふしぎな岬の物語(2014年(平成26年)) 題字デザイン
みんなのうた編集
無印は映像が現存する曲。▲マークは現存しない曲。
- 誰も知らない(楠トシエ) - 『みんなのうた』初のアニメ。2種類有り。
- ビビディ・バビディ・ブー(スリーグレイセス)▲
- ママごめんなさい(中尾ミエ)
- つむじ風(立川澄人、東京放送児童合唱団)▲
- 小さなカレンダー(東京放送児童合唱団)▲
- お化けなんてないさ(弘田三枝子)▲
- ねこふんじゃった(天地総子、東京放送児童合唱団)
- 四人目の王さま(坂本九) - 初のカラー作品。
- パパのバイオリン(友竹正則、杉並児童合唱団)▲
- みんみんぜみの歌(荒木一郎、みすず児童合唱団)▲
- バケツの穴(熊倉一雄、東京放送児童合唱団)
初のアニメ作品を手掛けたものの、その映像はわずかしか現存せず、2011年開始の「みんなのうた発掘プロジェクト」でも、音声曲は提供されたが、映像曲は提供されなかった。
その他映像作品編集
レコード編集
- 三木鶏郎ソングブック(和田プロデュース、1971年)
- ちいさな地球 和田誠・うたの絵本ちいさな地球(和田誠:作詞/作曲、歌:平野レミ・中山千夏、1977年)
- 和田誠寄席(和田誠の新作落語集、1979年)
- EVE『EVE LIVE』(和田プロデュース、1983年)
CD編集
- いつか聴いた歌 I've heard that song before (ソング・アンド・ダンス) 和田誠 監修・選曲 2013
- いつか聴いた歌 I've heard that song before 2 (ソング・アンド・ダンス) 和田誠 監修・選曲 2014
- 和田誠ソングブック The Wada Makoto song book 和田誠 [作曲]、デューク・エイセス、岸洋子 ほか歌 ウルトラ・ヴァイヴ 2015 (TV age)
関連文献編集
- 12人のグラフィックデザイナー(第2集)・美術出版社編集部編・美術出版社・1977年(昭和52年)([1])
脚注編集
- ^ https://remy.jp/abouts/
- ^ 久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった
- ^ 「プロフィルには大阪生まれと書きますので、雑誌の大阪人特集などで取材の依頼を受けることがありますが、たまたま父親の都合で大阪で生まれただけで、親戚もいないし、大阪人という意識はないんです。と言って東京人でもないし、郷土意識が何もありません」と当人は発言している。(『似顔絵物語』p.14)
- ^ 『ジェイムズ・スチュアート&和田誠」(和田誠『ぼくが映画ファンだった頃』七つ森書館 2015年pp.218-228)。
- ^ 『怖がる人々を作った人々』(文藝春秋)のプロローグに記載あり。
- ^ “イラストレーター 和田誠さん死去”. NHK NEWS WEB (NHK). (2019年10月11日) 2019年10月11日閲覧。
- ^ 12年振りの翻訳出版となった3作目の『我輩はカモじゃない』では訳者が田口俊樹に代わり、解説と挿絵を担当。この経緯について解説の中で「カミンスキーは次々書いていたのだが、翻訳を約束していた私がサボっていたのである。(中略)わたしは絵と解説という形で辛うじてシリーズに踏みとどまらせてもらった。」とある。