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唐律疏義』(とうりつそぎ、『唐律疏議』とも)は高宗永徽3年(652年)に編纂された唐律の注釈書である。長孫無忌等19人により編纂され、永徽4年(653年)に頒布された。

『唐律疏義』は魏晋南北朝以来の律を集成しそれに注釈(疏)を付した内容となっている。その内容から「疏在律後,律以疏存(疏は律の後に在り、律は疏を以って存す)」と称され、中国のみならず東アジアでの律令体制の重要典籍となり、漢代に開始された「春秋決獄」が正式に廃止されることとなった。『唐律疏義』の正式名称は『永徽律疏』であり、『唐律疏議』の名称は後代の通称である。なお元代には『故唐律疏義』の名称で呼ばれていた。

高宗の詔勅で「律学未有定疏,毎年所挙明法,遂無憑準(律には公式の注釈がなく、毎年の科挙で基準が定まっていない)」と現状を指摘し、太尉長孫無忌・司空李勣・尚書左僕射于志寧・刑部尚書唐臨・大理卿段宝玄・尚書右丞劉燕客・御史中丞賈敏行等に命じ衛禁・職制・戸婚・厩庫・擅興・賊盗・鬥訟・詐偽・雑律・捕亡・断獄の12篇・502条からなる永徽律を編纂させ、条文の後ろに注釈を加え『永徽律疏』が完成した。

『唐律疏義』は唐代にわたり改変されることなく、またその後の『大宋刑律統類(宋刑統)』・『大明律』・『大清律例』などの成立に影響を与えるとともに、日本朝鮮ベトナムでの律令体制確立にも直接の影響を与えた。