善光寺式阿弥陀三尊

蘇我氏と物部氏によるの崇仏廃仏論争の対象となった、日本初伝の仏像と言われる信州善光寺の本尊を模した阿弥陀三尊像で、鎌倉時代以降に盛んに制作されている

善光寺式阿弥陀三尊(ぜんこうじしきあみださんぞん)は、日本最古の仏像と伝承される、信州善光寺の本尊を模した一光三尊形式の阿弥陀如来像のことで、善光寺式如来とも呼ばれる。南北朝時代 (中国)の金銅仏を源流に持つ善光寺式阿弥陀三尊像は、鎌倉時代以降に日本各地で盛んに制作された。

目次

特徴編集

 
円覚寺 阿弥陀三尊像

彫刻史では「善光寺式阿弥陀三尊像」と称している。

  • 中尊の阿弥陀如来、両脇侍観音菩薩勢至菩薩の3体とも立像である。
  • 三尊全体の背後を大きな1枚の舟形光背がおおっている。これにより「一光三尊」という。
  • 多くの阿弥陀如来は、左手が「与願印」で法衣は「片方の肩」であるが、善光寺式の阿弥陀如来は左手が「刀印(下げた左手の人差し指と中指を伸ばし、他の指を曲げる)」で法衣は「通肩(両方)」である。
  • 両脇侍は胸前で両手の掌を水平にして重ね「梵篋印(ぼんきょういん)」、独特の宝冠をかぶっている。

偽物出現により、1692年12月14日に柳沢吉保の仲介で、敬諶が秘仏の善光寺本尊を検分・報告している『善光寺由来記』。

  • 破損があるが、中尊は高さ一寸五尺(約45cm)で重さ六貫三匁(約24Kg)、脇侍は高さ一尺(約30cm)で重さ百七十匁(約0.6Kg)だったという。

国の重要文化財である前立本尊は、中尊42.4cm、左脇侍30.5cm、右脇侍30.2cmtであると文化財保護委員会指定書(1950年)に記されている。

前史編集

一光三尊形式といえる(一光四尊にも見える)最古の例[1]として、南宋・元嘉28年(451年)の銘がある金銅仏が挙げられ、善光寺如来に似た例として北魏・大安元年(455年)の銘がある張永石坐像 (藤井斉成会有鄰館 蔵)」が挙がるが、両脇侍は、半跏思惟像である。また、上海博物館にある石造漆金仏坐像(南梁大同元年、546年)は、刀印や梵篋印まであり、善光寺如来の酷似例である。

代表的作例編集

善光寺式阿弥陀三尊像は鎌倉時代から室町時代にかけて盛んに造像され、200体以上が現存し、そのうち41例に造像年がある[2]

高さ50センチ内外の銅製の小像が多いが、甲斐善光寺像のような大作や、広島・安国寺像のような等身大の木像もある。

参考文献編集

  • 長野県立歴史館『開館15周年春季企画展 善光寺信仰 -流転と遍歴の勧化-』
  • 宮本健次『善光寺の謎 今明かされる「怨霊封じ」の真実』 主に第四章 日本最古の本尊

脚注編集

  1. ^ 水野清一『中国の仏教美術』
  2. ^ 長野県立歴史館(2009,p64)

関連項目編集