嘉手納飛行場

嘉手納基地から転送)

嘉手納飛行場(かでなひこうじょう、英語: Kadena airfield)は、沖縄県中頭郡嘉手納町沖縄市・中頭郡北谷町[1]の広大な面積に拡がる極東最大の3アメリカ空軍基地嘉手納空軍基地(Kadena Air Base=米での正式名)、アメリカ空軍嘉手納基地、あるいは単に嘉手納基地と呼ばれることも多い。1945年4月、沖縄戦で旧日本陸軍中飛行場を接収し拡張した基地である。

嘉手納飛行場
Kadena Air Base
Kadena Air Base 20100526.jpg
FAC6037
IATA: DNA - ICAO: RODN
概要
所在地 沖縄県中頭郡嘉手納町沖縄市・中頭郡北谷町[1]
種類 軍用飛行場
運営者 アメリカ空軍
開設 1945
所在部隊 アメリカ第5空軍第18航空団ほか
標高 44 m (144 ft)
座標 北緯26度21分06秒 東経127度46分10秒 / 北緯26.35167度 東経127.76944度 / 26.35167; 127.76944
公式サイト http://www.kadena.af.mil
地図
飛行場の位置
飛行場の位置
DNA/RODN
飛行場の位置
飛行場の位置
DNA/RODN
飛行場の位置
飛行場の位置
DNA/RODN
飛行場の位置
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
05L/23R 3,688×91 アスファルト
05R/23L I 3,688×61 アスファルト
リスト
空港の一覧
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米空軍嘉手納基地
嘉手納飛行場の空中写真。(1977年撮影の14枚より合成作成)。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
写真(1)「道の駅かでな」から見える嘉手納基地。
写真(2) 嘉手納基地沖の太平洋上、SH-60Bシーホーク対潜ヘリコプターのAGM-119ペンギン対艦ミサイル発射訓練。2002年7月23日。
写真 (3) 嘉手納基地に配備されているF-15C戦闘機
写真 (4) メースBに搭載用の Mark28 (B28核爆弾の初期型) が嘉手納飛行場で移送される。(1962年10月23日)
写真 (5) アメリカ合衆国が開発した最初の戦術核兵器 Mark7 の搭載準備をする嘉手納基地の第8戦術戦闘機隊のメンバー。(1962年10月23日)


概要編集

施設内容編集

3,700mの滑走路2本を有し、約100機の軍用機が常駐する極東最大の空軍基地、在日空軍最大の基地である。面積においても、日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である。かつてはスペースシャトルの緊急着陸地に指定されていた。

第5空軍の第18航空団の拠点としてだけではなく、居住地区には、学校、図書館、野球場、ゴルフ場、映画館、スーパーマーケット等、多種の米軍向け支援施設を包有し、国道58号西側の嘉手納マリーナ地区は、米軍人等の福利厚生施設でもある。

  • 場所:嘉手納町(水釜、兼久、嘉手納、屋良、野国、国直、東、野里)沖縄市(諸見里、山内、森根、白川、御殿敷、宇久田、大工廻、嘉良川、上地)北谷町(伊平、浜川、上勢頭、下勢頭、砂辺)那覇市(宮城)
  • 面積:19,855,000m2
  • 地主数:11,450人[2]
  • 管理:アメリカ空軍
  • 用途:飛行場

管理運営編集

管理部隊名:第18航空団

 
写真 (6) 嘉手納上空でおこなわれるパラシュート降下訓練のようす。

使用部隊名:第18運用群、第18任務支援群、第18整備群、第18医療群、第18施設群、在沖米海軍艦隊活動司令部、第7艦隊哨戒飛行隊、等

地理編集

  • 嘉手納町の面積の82%が嘉手納飛行場や嘉手納弾薬庫地区に占有されているため、現在、嘉手納町の住民は18%の住居区に暮らす。県道74号沿いに「道の駅かでな」通称「安保の見える丘」があり、滑走路の北東側や戦闘機の駐機場周辺を見ることができる。嘉手納の歴史を紹介する常設展示もある。
  • 東京品川区にほぼ匹敵する面積(東京ドーム約420個分)を、沖縄本島中部に占めている。
  • 嘉手納飛行場が占める膨大な面積のうち、9割以上が私有地。沖縄戦の占領以降も土地の強制接収で拡大し、地主数も11,450人という数になる。このため年間239億円を超える賃借料が日本の税金で土地所有者に支払われている。

沿革編集

旧日本陸軍「中飛行場」として編集

  • 1944年(昭和19年)4月:日本軍は北飛行場の補助として北谷村、屋良、嘉手納、東、野里、野国、国直にまたがる約47万3170平方メートルの広大な土地を緊急に強制接収し、5月から昼夜兼行で中飛行場の突貫工事を進めた。
  • 1944年(昭和19年)9月:大日本帝国陸軍航空隊の中飛行場として開設される。
  • 1944年(昭和19年)10月10日:十・十空襲で施設の多くが破壊された。
  • 1945年(昭和20年)3月30日:第32軍は浦添飛行場滑走路の自壊を命令。
  • 1945年(昭和20年)4月1日:米海兵隊の無血上陸で午前中に占領され、その日のうちに修復され米軍の臨時飛行場として使用可能な状態となる。

米軍嘉手納基地として編集

  • 1945年(昭和20年)4月1日:占領後、随時整備拡張が行われ、同年6月には全長2,250mの滑走路が完成、嘉手納飛行場として使用開始。同年にキャンプ・サンソネ、陸軍住宅地域が設置される。
  • 1954年(昭和29年)2月5日日本航空の東京-沖縄線が就航(週2往復)。那覇空港の民間航空地区が工事中だったため、11月まで嘉手納飛行場が沖縄側の空港として使用された[3]
  • 1965年(昭和40年)7月29日グアム台風を避けるため前日から嘉手納に展開していたB-52爆撃機25機が、同日北ベトナム空爆に出撃。以降、成り行きで同機の飛来が定着、嘉手納はアメリカ政府の主張による「補給基地」から、実質的な「出撃基地」のひとつとなる。
  • 1967年(昭和42年)5月:4,000m級の滑走路2本が完成。
  • 1970年(昭和45年):B-52をグアムのアンダーセン空軍基地へ移管。
  • 1972年(昭和47年)5月15日:沖縄の復帰に伴い施設・区域が提供される(このときキャンプ・サンソネ、陸軍住宅地域は嘉手納飛行場に統合)。
  • 1987年(昭和62年)10月:基地内大学への県民の就学受入開始。
  • 1987年(昭和62年)12月14日:ソ連のTu-16バジャー偵察機領空侵犯し、嘉手納基地上空を飛行。スクランブルにより航空自衛隊機が警告射撃
  • 1999年(平成11年)12月27日SACOにおいて合意のあった遮音壁(長さ2.3km 高さ5m)完成。
  • 2001年(平成13年):約40万発の劣化ウラン弾が保管されていた。湾岸戦争使用分の約半分に相当。イラク戦争で使われたとされ、また、住民や米軍兵士に生じたがんなどとの関連が指摘された[4]
  • 2007年(平成19年)2月17日: 第27戦闘飛行隊のF-22 ラプターラングレー空軍基地から派遣(5月10日に撤収)。
  • 2007年1月11日付の米空軍発表のニュースによると、米空軍がイラクでの軍事作戦などを支援するため米軍嘉手納基地から600人以上の空軍兵が派遣されていることが分かった。
  • 2007年2月10日(飛来は17日)から5月10日までF-22戦闘機12機が暫定的に配備された。また、この機会を利用し、沖縄近海において自衛隊との共同訓練が実施された。
  • 常駐しているF-15戦闘機が老朽化しているため、米国本土にある機齢の若い機体との入れ替えを行なうアイロン・フロー計画が実施された。この計画において、米国本土向け発進する際の離陸時刻が未明~早朝であることから「周辺への騒音の影響が大きい」として地元自治体はこれに抗議し離陸時刻の変更を要求しているが、米軍側は「運用上の必要がある」としてその要求に応じない姿勢を示している[5][6]。嘉手納基地報道部によれば、老朽機の米国本土への飛行は2008年4月23日未明で終了した。その他、米国本土への飛行は、米国での到着時刻を勘案することにより当基地の発進時刻が未明~早朝になるよう設定されることが多い。
  • 2007年11月4日、米本国ミズーリ州で発生したF-15戦闘機の空中分解・墜落事故(11月2日)を受けて、嘉手納基地における同型機の飛行訓練も停止された。
     
    写真 (7) 嘉手納でおこなわれた象の行進[7]
    2008年1月14日、前年11月に停止されたF-15戦闘機の飛行訓練を再開。限定的に再開された数日を除けば約2ヶ月ぶりの本格的再開であった。

所在部隊編集

アメリカ空軍として単一では最大の混成航空団である。第18航空団のほか基地に所在する四軍の部隊を合わせて、チーム・カデナとも呼ばれる。18,000人近いアメリカ人と4,000人以上の日本人からなる要員がチーム・カデナを形成する。[要出典] 航空団は5つのグループに分かれ、それぞれ作戦、メインテナンス、任務補助、土木、医療を担当する。F-15C/D(第44、67戦闘飛行隊の2個飛行隊24機)やKC-135空中給油機)・E-3AWACS機などを保有し、米の西太平洋及び東南アジアでの抑止力の中心を担う在日米空軍の主力部隊。救難飛行隊もあり、救難ヘリコプター、HH-60を使用している。
フロリダ州ハールバート空軍基地空軍特殊作戦コマンドに属する。750人の飛行要員を持つ3つの飛行隊、1つのメインテナンス隊、1つの特殊戦術隊、1つの作戦補助隊からなる。C-130輸送機を改造したMC-130H/Pなどを保有。この部隊に所属する第320特殊戦術中隊などは、2011年3月11日発生の東北沖大地震津波で破壊された航空自衛隊松島基地などの災害復旧にいち早く投入され活躍した。[要出典]
320人以上の要員からなり、嘉手納飛行場の人員と貨物の航空輸送を担当する。毎月650機が飛来し、12,000人を超える人員と3,000トン近い貨物の輸送を行う。
太平洋地域での偵察任務。太平洋軍にとって重要な部隊であり、得られた情報は国防総省及び他の政府機関で活用される。第390情報隊と密接に協力する。RC-135U/V/WWC-135といった偵察機を使用する。
空軍情報局に所属。情報活動、保安活動を行う。


騒音と爆音訴訟編集

離着陸時の飛行コースは、民間地域の上空をも通る。このため、周辺地域では日常的に騒音に悩まされている。嘉手納基地騒音訴訟騒として、音軽減を要求する内容の訴訟も提起された。
1996年に日米両政府が合意した「航空機騒音規制措置」では午後10時から午前6時までの飛行、地上活動の制限が定められているが、米軍の運用上の必要があれば除外できるとする規定があり、十分守られていない[8]

第一次嘉手納爆音訴訟 (1981年-1998年)編集

1982年2月26日、夜間飛行差し止め及び過去、将来の損害賠償等を国に求め那覇地裁沖縄支部に提訴。

1994年2月24日、1審判決。差し止め棄却、損害賠償は将来分却下、過去分認める(W値80以上、危険への接近分減額)。

1998年1月16日、控訴審判決。差し止め却下、W値75以上で過去分の損害賠償認める(但しⅠ類型)。国側の危険への接近論は棄却。健康被害は認めず。原告側に約13億円の支払いを命じた。

第二次嘉手納爆音訴訟 (1999年-2011年)編集

2000年3月27日、沖縄市、石川市、具志川市、北谷町、嘉手納町、読谷村の原告5544人が那覇地方裁判所沖縄支部に提訴。国に加え、アメリカ合衆国も被告とする。予備的に、国に対し、地位協定に基づく合同委員会において外交交渉義務があることの確認を請求。約56億円の支払いを命じた2009年の二審判決が確定。

第三次嘉手納爆音訴訟 (1999年-2011年)編集

周辺住民2万2034人が夜間・早朝の米軍機の飛行差し止めと騒音被害に対する損害賠償などを国に求めた「第3次嘉手納爆音訴訟」。原告2万2020人への総額約261億2577万円の支払いを命じた[9]。賠償の認定基準額を1審から減額し、飛行差し止め請求は1審と同様に退けた。原告側は上訴の意思。

外来機問題と駐機場問題編集

旧駐機場使用問題編集

1996年、日米特別行動委員会(SACO)最終終報告で、嘉手納の住宅密集地に隣接する「海軍航空機の運用及び支援施設」を南側に移転することが掲げられ、日米合同委員会は2009年2月、海軍駐機場の移転に合意、2011年に工事開始し、2017年1月に新駐機場工事が完了。工事費と移転費用約157億円は日本政府が負担した[10]。しかし、今度は新駐機場ばかりか旧駐機場にも他の基地から飛来した外来機を駐機させるという問題が継続しておこるようになり[11]、負担軽減を唱えながらも、実質的な負担増加の実体に県民の不信感を招いた[12][13][14]。市町村や県の幾多の申し入れに、米軍は場所を間違えた[15]、部隊関係者と齟齬があった[16]、などと釈明しながらもまたしても旧駐機場を使用し、騒音や悪臭問題を引き起こした[17][18]。2020年1月10日、日米合同委員会は旧海軍駐機場にある建物を解体することで合意したが、どれほど効果があるのか不透明のままである[19][20]

嘉手納基地パラシュート降下訓練問題編集

嘉手納の住宅密集地上空で嘉手納基地がパラシュート降下訓練をおこなっている問題 (写真7) について、パラシュート降下訓練は日米がSACO合意で基本的な訓練場所を伊江島補助飛行場と合意しており、また地元や県も反対しているにもかかわらず、嘉手納基地が夜間も降下訓練をおこなっている[21]。河野防衛大臣も「少なくとも、アメリカ側から、しっかりとした説明がなされていないという認識だ。ゆゆしき問題と言わざるをえない」と米軍側の対応を批判している[22]

嘉手納基地と事件事故編集

 
写真 (8) 1959年宮森小学校米軍機墜落事故

嘉手納基地では近年、外来機が膨大に増え、従来の嘉手納基地所属機種による事故だけではなく、外来機による落下物事故、緊急着陸も増えている。また嘉手納基地所属兵士の飲酒運転逮捕も、2019年の在日米軍のリバティー制度緩和以降に急速に増えている。また嘉手納のF15は油圧トラブルが多く、緊急着陸の頻度が多い。

1959年6月30日、宮森小学校米軍機墜落事故。嘉手納基地所属のF100D戦闘機が住宅地に墜落。宮森小の児童12人を含む18人が死亡(児童1人は後遺症で死亡)。

1968年11月19日、嘉手納飛行場B-52爆撃機炎上事故ベトナム戦争アークライト作戦に出撃するために離陸しようとしたB-52が滑走路をオーバーラン、満載していた燃料と爆弾に引火して大爆発を引き起こした。周辺施設民間人にも被害をもたらす。これをもって、同機の撤去運動が一層高まる。

1974年9月30日、C-130輸送機が嘉手納飛行場に墜落、乗員2人が負傷した。

1986年3月22日、ケリー空軍基地所属C5Aギャラクシー輸送機が、嘉手納基地離発着訓時に第1エンジンを炎上させ不時着した。

1986年6月9日、嘉手納所属のRF-4ファントム偵察機が、離陸直後にガソリンタンク2個を落下させ滑走路で炎上した。

1994年4月4日、嘉手納基地を離陸しようとしたF-15戦闘機が嘉手納弾薬庫内の黙認耕作地に墜落炎上した。

1999年6月4日、AV-8Bハリアー機が嘉手納飛行場離陸時にエンジン部分から火を吹き墜落。

2013年5月28日、F-15戦闘機が3機、沖縄県東方沖の約126キロ地点の訓練空域で空中戦の訓練を行っていた際、1機墜落しパイロットは脱出、航空自衛隊が連絡を受け、那覇救難隊のU-125Aが1機、9時25分に離陸。9時28分にはUH-60Jが1機離陸。9時55分にU-125Aがパイロットを発見し、10時8分にはUH-60Jを要救助者を収容し、アメリカ軍へ引渡した。

嘉手納基地と汚染公害編集

消化剤の流出問題やジェット燃料の流出が頻繁に起こっている[23]。また特に近年重大な問題となっているのが、PFOSとPFASの流出源としての嘉手納基地問題である。PFASは、発がん性が指摘される残留性有害物質「永遠に残る化学物質」(Forever Chemicals) と呼ばれており、除去、浄化などの対応が極めて困難な有害物質である。特に濃度が高かったのが、滑走路脇を流れる大工廻川で、基準値の約20倍の濃度が検出されている[24]

1996年、嘉手納基地の一部北谷町上勢頭が返還され住宅を建てようとしたところ、高濃度のダイオキシンを含む廃棄物が見つかった問題で、除去が進まず、2020年、嘉手納町が地権者から町予算で土地を買い取る方針を固めた。約5400万円を計上しているが、政府が補償する見通しは立っていない[25]

2007年5月、航空機燃料約8.7キロリットルの漏出。1960年代から1970年代の間、PCBを含む廃油を溜池に投棄していたことも明らかになっている。これらの汚染に関し、日米地位協定の定めにより、日本側の調査権は著しく制限されている。地下水は上水道の水源でもあり、これらの汚染物質による環境汚染が懸念されている。

2014年、米軍が1987年に作成した嘉手納基地内の有害物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)による高濃度汚染のデータを記載した書類を隠していたことが明らかになった[26][27]

2014年~2017年、嘉手納基地内の13カ所で飲料水の生涯健康勧告値の最大1億倍以上の汚染があった[28]。県や環境団体は立ち入り調査を求めているが、一度もおこなわれていない[29]

2016年1月~2017年11月まで、ジェット燃料など有害物質の流出事故が少なくとも95件あり、確認されているだけでも2件は同基地の外へ流れ出していたことが、米空軍の内部資料で判明した。有害物質の流出総量は少なくとも6万3366L (ドラム缶317本分) だが、日本側への報告はなかった[30]

2019年、嘉手納PFOSとPFOAの値はそれぞれ830ng/l、1400ng/lであることが調査で判明。米国の環境保護庁が2016年に設定した生涯健康勧告値は70ng/lである[31]

基地経済と雇用問題編集

米軍専用施設があることによって、基地周辺整備資金あるいは基地交付金調整交付金という名目で、国から周辺自治体に補助金が支払われる。また、米軍基地への協力という国策への貢献を政府与党が評価して、振興策が提起されることもある。通称「軍雇用員」と呼ばれる日本の民間人雇用者は、米軍が採否を決定し人件費は日本政府が負担するが、近年は非正規雇用が多く、日本の法律で守られない、不当な解雇がおこなわれる、職場のハラスメントと差別などがあるという苦情が寄せられている。基地内アスベスト対策も対応が遅れた[32]

2019年、嘉手納基地で働く日本人従業員11人と米軍キャンプ瑞慶覧で働く日本人従業員1人が出勤停止など不当な処分を受けたとして、雇用主の国を相手に処分の撤回などを求める訴訟を31日、那覇地裁に起こした[33]

基地公開編集

過去には「カデナカーニバル」最近は「アメリカフェスト」と呼ばれるオープンハウスが概ね合衆国独立記念日前後に行われる慣習であるが、アメリカ同時多発テロ事件の影響により近年続けて中止となっている。過去のオープンハウスでは、本土の米軍基地公開では通常厳しく制限される自家用車の乗り入れが原則自由であったり、滑走路(05L/23R)を駐車場にした例もあった。

2008年7月5日、実質4年ぶりに基地公開(アメリカフェスト)が行われた。飛行展示がなく、機体の見学は写真撮影も可などの条件は従来の公開と同様であった。当時の基地司令官ブレット・ウィリアムズ准将は、翌年(2009年)の開催では飛行展示の実施も考慮していることを明らかにしていたが、基地を抱える3市町はいずれも飛行展示に反対していた。

2009年には7月3日(軍人、軍属、従業員等、基地ID保有者限定)、7月4日(一般開放日)の両日にアメリカフェスト2009と題して基地が一般に公開された。今年はラングレー空軍基地から展開中のF-22ラプター戦闘機が一般には日本で初めて公開され人々の注目を浴びた。基地の通常業務に関わる航空機の運行はあったもののフェスティバルの為の飛行展示は行われなかった。 なお、海外の米軍基地で働く兵士・従業員の慰問のために俳優のゲーリー・シニーズ Gary Sinise率いるLt. Dan Bandがライブで演奏を行った。

航空管制編集

 
嘉手納飛行場
CLR 123.300 235.000
GND 118.500 275.800
TWR 126.200 236.600 315.800
APP/DEP(北方面) 119.100 335.800
APP/DEP(南方面) 126.500 258.300
18 WG COMD POST 311.000 355.200
AIRLIFT COMD POST 128.000 349.400
PTD 131.400 266.000
BASE OPS 266.000
MET 344.600
ATIS 124.200 280.500
管制は、米空軍(第5空軍)が担当する。ただし、ターミナルレーダー管制業務については、那覇空港に設置された那覇進入管制区(国土交通省所管)が担当する。

那覇進入管制区編集

沖縄周辺の空域の航空管制については、沖縄の施政権返還後も、「日本国政府がこれらの飛行場へのレーダー進入管制業務を提供できるまでの暫定期間中、これらの飛行場に対する進入管制業務を行う」として、当飛行場設置の沖縄進入管制区("Okinawa Approach Control"、通称「嘉手納ラプコン」。当飛行場の上空約6000m・半径約90km、および久米島上空約1500m・半径約55kmの空域。ただし、当飛行場および那覇飛行場普天間飛行場の各管制圏を除く。)の管制官が担当してきた。2000年3月16日コーエン米国防長官(当時)が当管制区の日本への移管方針を表明し[34]2004年12月10日日米合同委員会にて3年後(2007年度)をめどに日本への移管が決定され[35]、同12月15日から国土交通省所属の航空管制官の訓練が開始された[36]。もっとも、管制方式の違いを主因として管制官の訓練に時間を要したことにより移管は遅れた。2010年2月までに訓練は終了し、同3月18日の日米合同委員会にて、同3月31日午前0時(日本時)に移管されることが決定された[37]

現在は国土交通省所管の那覇進入管制区(当飛行場の上空約6000m・半径約90km、および久米島上空約4900m・半径約55kmの空域。ただし、当飛行場および那覇飛行場、普天間飛行場の各管制圏を除く。)となっている。

航空灯台編集

局名 種別 識別信号 周波数 運用時間
嘉手納 VOR KAD 112.000 24時間
TACAN - 1018.000
保守は、米空軍が担当

最近の動静編集

  • 2009年1月10日ヴァージニア州ラングレー空軍基地所属のF-22戦闘機12機が嘉手納基地に飛来、3ヶ月の予定で訓練を行う。これでF-22戦闘機の嘉手納基地展開は2度目となる。
  • 2009年5月30日、ヴァージニア州ラングレー空軍基地所属のF-22戦闘機4機が嘉手納基地に到着。在日米空軍の発表によると全部で12機が4ヶ月にわたって嘉手納に展開する予定。これでF-22の嘉手納基地展開は3度目となる。
  • 2009年6月2日、5月30日に続いて、別のF-22戦闘機4機が嘉手納基地に到着。翌3日には地元嘉手納基地所属のF-15戦闘機や在韓米軍所属のF-16戦闘攻撃機との訓練を行った。また、F-22の嘉手納基地展開は4度目となった。
  • 2009年6月2日、5月30日に続いて、別のF-22戦闘機4機が嘉手納基地に到着。翌3日には地元嘉手納基地所属のF-15戦闘機や在韓米軍所属のF-16戦闘攻撃機との訓練を行った。また、F-22の嘉手納基地展開は4度目となった。
  • 2012年7月28日、ヴァージニア州ラングレー空軍基地第1戦闘航空団(1FW)所属のF-22戦闘機12機が飛来、6ヶ月の予定で訓練を行う。
  • 2012年9月12日、アラスカ州エルメンドルフ空軍基地太平洋空軍第3航空団(3WG)第90戦闘飛行隊(90FS)所属の10機が目的地グアム・アンダーセン空軍基地へ飛行する経由地として飛来。
  • 2013年1月、ヴァージニア州ラングレー空軍基地第1戦闘航空団とバージニアANG第192戦闘航空団(192FW)所属の12機が飛来。

国防総省の公表した「2015会計年度・基地構造報告」によれば、最も資産価値の高い在外基地(75億ドル。第2位は横須賀海軍施設の74億ドル、第3位は陸軍グラーフェンヴェーア航空基地の65億ドル)。

脚注編集

  1. ^ a b 防衛省・自衛隊:在日米軍施設・区域(共同使用施設を含む)別一覧
  2. ^ FAC6037嘉手納飛行場/沖縄県”. www.pref.okinawa.jp. 2020年3月3日閲覧。
  3. ^ “最初は国際線、着陸は米軍基地内 JALの沖縄―東京便が就航65年”. 琉球新報. (2019年2月10日). https://ryukyushimpo.jp/news/entry-871640.html 
  4. ^ 毎日新聞 2006年8月2日 第1・2・25面
  5. ^ 琉球新報 (2006年6月16日). “米軍、未明離陸を強行/嘉手納基地 F15など4機”. 2006年6月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2009年3月12日閲覧。
  6. ^ 琉球新報 (2008年4月23日). “嘉手納F15 未明離陸”. 2008年4月30日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2009年3月12日閲覧。
  7. ^ 北朝鮮攻撃を想定し嘉手納で訓練 在日米軍基地では珍しい「象の行進」とは…? | 沖縄タイムス+プラス ニュース” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月4日閲覧。
  8. ^ 渦巻く民意:普天間移設(毎日jp 2009年11月4日)[リンク切れ]2009年11月7日閲覧
  9. ^ 飛行差し止め認めず 賠償261億円に減額 第3次嘉手納爆音訴訟 高裁那覇支部判決” (日本語). 毎日新聞. 2020年3月3日閲覧。
  10. ^ 嘉手納基地旧海軍駐機施設解体へ 日米合同委で合意”. ryukyushimpo.jp. 琉球新報. 2020年3月11日閲覧。
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関連項目編集

外部リンク編集