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四日市空襲(よっかいちくうしゅう)とは、第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた三重県四日市市への空襲戦略爆撃)のことである。 1980年6月、鵜の森公園に四日市空襲殉難碑が建立された[1]

概要編集

人的被害は、被災者47,153人、死者736人、負傷者1,500人、行方不明者63人。約1時間の絨毯爆撃で全市の35%が焼失、市街地は焦土と化した。
  • 以後、8月8日まで合計9回の空襲を受け、海軍燃料廠をはじめとする工場群は壊滅的被害を受けた。
全空襲による人的被害は、被災者49,198人、死者808人、負傷者1,733人にのぼった。

日程編集

  • 空襲のあった日は昭和20年6月18日、22日、26日、7月9日、24日、28日、30日、8月2日、8日の計9日間であった。

脚注編集

関連項目編集