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尾崎豊 > 尾崎豊の作品 > 回帰線 (尾崎豊のアルバム)

回帰線』(かいきせん)は、日本のミュージシャンである尾崎豊のセカンド・アルバム。英題は『TROPIC OF GRADUATION』(トロピック・オブ・グラデュエーション)。

回帰線
(TROPIC OF GRADUATION)
尾崎豊スタジオ・アルバム
リリース
録音 ソニー信濃町スタジオ
ソニー六本木スタジオ
ジャンル ロック
時間
レーベル CBSソニー
プロデュース 須藤晃
チャート最高順位
ゴールドディスク
  • 第27回日本レコード大賞
    優秀アルバム賞
  • 尾崎豊 アルバム 年表
    十七歳の地図
    1983年
    回帰線
    (1985年)
    壊れた扉から
    (1985年)
    『回帰線』収録のシングル
    1. 卒業
      リリース: 1985年1月21日
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    背景編集

    ファースト・アルバムがリリースされ、ライブの計画が立てられるなど本格的にミュージシャンの活動を始めた尾崎であったが、一方で停学の解けた高校へ戻ると、教師から留年になることを告げられ、さらに毎日反省日記を書くよう命じられた尾崎は、押し問答の末1984年1月に卒業を間近に控えながらも退学届を学校側に提出する[1]。 その後、卒業式の日である3月15日に自らのデビューライブを実施する事を決定する[2]

    その前に、リハーサル代わりとして2月に千葉マザースと藤沢BOWでのシークレットライブを行った。千葉ではたった5人の観客を前に演奏する事となった。しかし、3月15日の新宿ルイードで行われたデビューライブには、定員300名をはるかに上回る600名を動員する。前日にはライブ告知のポスターを自ら街の電柱などに貼り、ポスターには「みんなよくがんばった!卒業おめでとう!」というメッセージを書き加えていた。当日は尾崎自身が40度近い熱があったものの、全11曲、2時間超のステージを行った[2]

    その後、6月には全国6都市を回るライブハウスツアーを敢行、8月4日には日比谷野外大音楽堂で行われた「アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティバル'84」と題されたライブイベントに参加、この時演奏の最中に7メートル以上ある照明のイントレに上った尾崎はそのまま地面へと飛び降りるパフォーマンスを行い、右足捻挫、左足複雑骨折という全治3か月の大怪我を負ってしまう[2]

    2週間程度で退院した尾崎は、3か月の療養期間中に本作のレコーディングを開始する。本来であれば9月より初の全国ホールツアーが実施される予定であったが、骨折のため12月からへと変更された。このツアー中にシングルとして「卒業」がリリースされ、オリコン20位にランクインする[2]

    ちなみに、アルバムタイトルの「回帰線」とは、「迂回してくる・ある地点に到達して・そこからまた同じような場所に」との意味が込められている。

    録音編集

    プロデューサーは前作に続き須藤晃が担当している。

    レコーディングはコンサートツアーである「FIRST LIVE CONCERT TOUR」が実施されている合間を縫うようにして行われた。

    前作に続き、全曲の作詞、作曲を尾崎が行っており、編曲も西本明町支寛二の2名が担当している。ただし、前作でオーバープロデュース気味であったアレンジが抑えられ、ボーカルを全面に押し出した作品となっている[3]

    アートワーク編集

    前作に続き、全てのアートワークは田島照久が担当している。

    ツアー編集

    「TROPIC OF GRADUATION TOUR」というタイトルで、1985年5月7日の立川市民会館を皮切りに、38都市38公演が行われている。ツアーファイナルには追加公演で8月25日に大阪球場でライブが行われ、2万6000人を動員している。

    本ツアーの音源は、後にライブ・アルバム『MISSING BOY』(1997年)、『OSAKA STADIUM on August 25th in 1985 Vol.1』(1998年)、『OSAKA STADIUM on August 25th in 1985 Vol.2』(1998年)にてリリースされている。

    批評編集

    専門評論家によるレビュー
    レビュー・スコア
    出典評価
    文藝別冊 尾崎豊
    (松井巧)
    肯定的[3]
    文藝別冊 尾崎豊
    和合亮一
    肯定的[4]
    音楽誌が書かないJポップ批評 尾崎豊肯定的[5]

    音楽評論家の松井巧は、「ボーカルに関して、10代であるためあどけなさは残るが、その青臭さ自体が歌詞と密着した特色である」、「字余りの歌詞を無理にメロディーにはめ込んだボーカル・スタイルは、切実な心情を描写する尾崎特有の手法として特筆すべき点である」と述べている[3]

    詩人である和合亮一は「若者の教祖的存在、あるいは時代の代弁者として、逃れられない位置を決定的なものとした一枚」とのべている[4]

    フリーライターの河田拓也は、「全体にロックンロール色が強まり、孤独でストイックな部分よりも、多少荒っぽい衝動や人懐っこい素顔が前に出てきている。ヤンチャな不良連中を思わずほろっとさせ、一方で真面目な子達にもシンパシーと憧れを感じさせて、どこか両者を結ぶ原っぱのような存在でさえあった。前後どちらの世代からも独特な、尾崎らしい間口の広さがよく発揮されたアルバムだと思う」と評している[5]

    収録曲編集

    A面
    全作詞・作曲: 尾崎豊。
    #タイトル作詞作曲・編曲編曲時間
    1.Scrambling Rock'n'Roll尾崎豊尾崎豊西本明
    2.Bow!尾崎豊尾崎豊西本明
    3.Scrap Alley尾崎豊尾崎豊町支寛二
    4.ダンスホール(Dance Hall)尾崎豊尾崎豊西本明
    5.卒業(Graduation)尾崎豊尾崎豊西本明
    合計時間:
    B面
    #タイトル作詞作曲・編曲編曲時間
    6.存在(Existence)  町支寛二
    7.坂の下に見えたあの街に(Downslope)  町支寛二
    8.群衆の中の猫(Cat In The Crowd)  町支寛二
    9.Teenage Blue  西本明
    10.シェリー(Shelly)  西本明
    合計時間:

    曲解説編集

    A面編集

    1. Scrambling Rock'n'Roll
      渋谷のスクランブル交差点が舞台と言われていて、事実上、最後のライブとなった1991年10月30日代々木オリンピックプール第一体育館でのライブでこの曲を歌った際に、本人がそこで考えた曲だと発言している。1987年の末に広島平和コンサート「ALIVE HIROSHIMA'87」でフラフラになりながら絶叫する映像がNHKにて放送された[注釈 1]。ライブの定番曲のひとつで[注釈 2]、サビの「自由になりたくないかい」以降のフレーズはファンとの掛け合いになるのが定番である[注釈 3]。デビュー初期のライブでは間奏が今アルバム収録バージョンとは異なるシングル「卒業」に収録されているバージョンでのアレンジとなっていた[注釈 4]。BEAT CHILD での模様がTBSで放送されている。「卒業」のB面曲。
    2. Bow!
      社会への懐疑心や、大人たちの堕落への反抗心を歌い上げた楽曲。作中に「午後4時の工場のサイレンが鳴る」とあるが、これは自身のアルバイト体験から描かれた部分であり、本来は勤務終了時間は一般的には午後5時になるのだが、語呂が悪くなるため午後4時となっている。
    3. Scrap Alley
      アマチュア時代、尾崎のバンド仲間だったレーシングドライバー、武井寛史に贈った曲である。この曲はアルバム「十七歳の地図」に収録されている「15の夜」の曲が制作された基となった、実際に仲間と家出をした体験からきており、家出の際に、最後に行き着いた場所が自動車のスクラップ置場だったという実話から作られている[6]
    4. ダンスホール - Dance Hall
      11枚目のシングル『I LOVE YOU』のカップリング曲。尾崎のデビュー以前に制作された曲であり、1983年10月11日に行なわれたCBCソニーのオーディションでも歌われている[6]。1991年10月30日の代々木オリンピックプール第一体育館で行われた生前最後のライブでは、アンコールの際、この曲が最後に歌われた。その半年後の1992年4月25日に尾崎が急死したため、この曲が尾崎がファンの前で最後に歌った曲となった[6]。この曲は、1982年6月6日に発生した新宿のディスコから女子中学生が連れ去られ殺された事件[7]をテーマにしている。
    5. 卒業 - Graduation
      4枚目のシングル曲。社会現象も起こし、尾崎豊の名を一躍有名にした楽曲である[6]。詳しくは「卒業」を参照。

    B面編集

    1. 存在 - Existence
    2. 坂の下に見えたあの街に - Downslope
      この歌に登場する坂は埼玉県朝霞市にある尾崎の実家の近くにある坂だと言われている。尾崎が1985年2月3日埼玉県朝霞市の実家から世田谷区代田のワンルームマンションに引っ越してから最初に作った曲[8]
    3. 群衆の中の猫 - Cat In The Crowd'’
      ライブでは東京ドームでしか演奏されていない
    4. Teenage Blue
    5. シェリー - Shelly
      尾崎が神田川を見ながら考案した[注釈 5]自らの脆弱な心情を吐露した楽曲。1986年1月14日にフジテレビ系列で放送された「YUTAKA OZAKI Last Teenage Appearance 早すぎる伝説 1985・11・15」では、番組スポンサーであった日清食品の商品であるカップヌードルの番組限定CMソングとして使用された[注釈 6]。2008年に中村あゆみがアルバム「VOICE」にてカバーしている。すべてのライブツアーで歌われた曲のひとつであり[注釈 7]、スローテンポでアコースティックギター一本の弾き語りのアレンジで演奏されることが多かった。

    スタッフ・クレジット編集

    参加ミュージシャン編集

    スタッフ編集

    • 須藤晃 - プロデューサー
    • 助川健 - レコーディング、ミックス・エンジニア
    • 田島照久 - デザイン、アート・ディレクション、写真撮影
    • 大野邦彦 - セカンド・エンジニア
    • 大森正人 - セカンド・エンジニア
    • 宮田信吾 - セカンド・エンジニア
    • 津久間孝成 - セカンド・エンジニア
    • 森岡徹也 - セカンド・エンジニア
    • 太田安彦 - セカンド・エンジニア
    • 安部良一 - アシスタント・ディレクター
    • 田和一樹 - アシスタント・ディレクター

    リリース履歴編集

    No. 日付 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
    1 1985年3月21日 CBSソニー LP
    CT
    28AH-1838
    28KH-1651
    1位
    2 1985年4月1日 CBSソニー CD 32DH191 - スリムケース
    3 1991年5月15日 ソニー・ミュージックレコーズ CD SRCL1911 4位 通常ケース
    4 1992年12月12日 ソニー・ミュージックレコーズ MD SRYL7081 -
    5 1995年4月25日 ソニー・ミュージックレコーズ CD SRCL3205 5位 CD-BOXTEENBEAT BOX』収録
    6 2001年4月25日 ソニー・ミュージックレコーズ CD SRCL5077 - 紙ジャケット仕様(限定生産品)
    7 2004年10月27日 ソニー・ミュージックレコーズ CD SRCL10012 93位 CD-BOX『TEENBEAT BOX 13th MEMORIAL VERSION』収録
    8 2007年4月25日 ソニー・ミュージックレコーズ CD SRCL6532 80位 CD-BOX『71/71』収録
    9 2009年4月22日 ソニー・ミュージックレコーズ ブルースペックCD SRCL20002 299位 24ビット・デジタル・リマスタリング(限定生産品)
    10 2013年9月11日 ソニー・ミュージックレコーズ ブルースペックCD2 SRCL-30002 -
    11 2015年11月25日 ソニー・ミュージックレコーズ LP SRJL-1101 189位 LP-BOX『RECORDS : YUTAKA OZAKI』収録

    脚注編集

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    注釈編集

    1. ^ インタビュアーの山本コウタローのインタビューに一言も答えられないほど疲れ果てていた。
    2. ^ 1984年5月8日、9日の「新宿ルイード2DAYS」でのライブではじめて歌われ、それ以降のすべてのライブツアーで歌われている。
    3. ^ この掛け合いは1985年5月にスタートした「TROPIC OF GRADUATION TOUR」からはじまっている。
    4. ^ 1985年5月にはじまったライブツアー「TROPIC OF GRADUATION TOUR」以降の間奏は今アルバム収録バージョンとなっている。
    5. ^ 1988年9月12日の「LIVE CORE」でシェリーを歌う際に「この曲は後楽園の近くの川を見て作った曲」と語っている。(ライブ・ビデオ「LIVE CORE 完全版〜YUTAKA OZAKI LIVE IN TOKYO DOME 1988・9・12」で確認できる。)
    6. ^ 「早すぎる伝説」は同年3月25日に再放送され、その際にもこの曲を使用したCMが再び放送されている。
    7. ^ ライブではアンコールの際に演奏されることが多かった。実際に1984年12月に秋田市文化会館でスタートしたライブツアー「FIRST LIVE CONCERT TOUR」以外のすべてのライブツアーでアンコールの際に歌われている。

    出典編集

    1. ^ 「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 1」『地球音楽ライブラリー 尾崎豊』TOKYO FM出版、1999年11月29日、21 - 32頁。ISBN 9784887450417
    2. ^ a b c d 「THE HISTORY OF YUTAKA OZAKI PART 2」『地球音楽ライブラリー 尾崎豊』TOKYO FM出版、1999年11月29日、101 - 112頁。ISBN 9784887450417
    3. ^ a b c 松井巧「オリジナルアルバム紹介」『文藝別冊 尾崎豊』河出書房新社、2001年4月20日、172頁。ISBN 9784309976068
    4. ^ a b 和合亮一「オリジナルアルバム紹介」『文藝別冊 尾崎豊』河出書房新社、2001年4月20日、173頁。ISBN 9784309976068
    5. ^ a b 河田拓也「PART 3 尾崎ソングス完全燃焼レビュー」『音楽誌が書かないJポップ批評 尾崎豊』宝島社、2008年8月2日、144 - 147頁。ISBN 9784796665438
    6. ^ a b c d 日本テレビ 「知ってるつもり?!」 1997年4月13日放送分より
    7. ^ 読売新聞 1987年6月7日朝刊
    8. ^ 尾崎豊オフィシャルサイト
    9. ^ My Chronicle: 尾崎豊”. My Chronicle (2016年5月15日). 2019年4月25日閲覧。
    10. ^ My Chronicle: 尾崎豊”. My Chronicle (2016年5月15日). 2019年4月25日閲覧。