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国分寺 (大阪市)

大阪市北区にある寺院

摂津国分寺(せっつこくぶんじ)は、大阪市北区にある真言宗国分寺派の寺院。

国分寺
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所在地 大阪府大阪市北区国分寺1丁目6-18
位置 北緯34度42分37.3秒
東経135度30分51.9秒
山号 護国山
院号 金剛院
宗派 真言宗国分寺派
寺格 大本山
本尊 薬師如来
創建年 斉明天皇元年(655年
開基 道昭
別称 長柄国分寺
札所等 摂津国八十八箇所第9番
近畿三十六不動尊霊場第7番
西国薬師四十九霊場第17番
おおさか十三仏霊場 第9番
公式HP 摂津之国 国分寺
法人番号 5120005000879
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また「国分寺」は北区の町名でもあり、現行行政地名は国分寺一丁目から二丁目まである。2016年平成28年)9月30日現在の人口は2,392人、世帯数は1,506世帯[1]

目次

歴史編集

寺伝によれは斉明天皇の頃、日本法相宗の祖・道昭孝徳天皇の菩提を弔うために難波長柄豊碕宮の一角に建てた長柄寺を起源とする。天平13年(741年)、聖武天皇国分寺創建の発願により、長柄寺が摂津国の国分寺になったという。後には歴代天皇十四帝の勅願道場となっている。

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の戦火にあい全焼。そのまま江戸時代の初期、約百年近くに渡って荒廃してしまう。享保3年(1718年)、中興の祖・快円律師によって復興し、後には関所道中御免の鑑札発行所としての特権を江戸幕府から与えられている。

明治時代となり、廃仏毀釈の混乱で境内が大幅に縮小するも1897年(明治30年)にようやく教昇大僧正が諸堂を営繕して整え聖武天皇尊殿や記念碑を建立している。しかし、1934年昭和9年)の室戸台風により甚大な被害を受けその修復もままならない1945年(昭和20年)6月15日の第4回大阪大空襲で旧書院門(現山門)を残し、寺宝諸共全て灰燼に帰した。

戦後、またしても境内地を大幅に縮小するも、1947年(昭和22年)には真言宗国分寺派本山となって独立する[2]1965年(昭和40年)には昭和金堂を落慶させている。

摂津名所図会』には本尊阿弥陀仏聖徳太子の作、赤不動尊は空海の作とあり、行基の開基とする。摂津国分寺については、別に天王寺区にも国分寺がある。なお、「難波往古図」には当寺を「国分尼寺」として記載している。

札所編集

境内編集

  • 河合雲啼句碑 泳ぎ出て淋しくなりぬ雲の峰 雲啼
  • 天六ガス爆発慰霊堂 1970年(昭和45年)4月8日の天六ガス爆発事故での死者79名を慰霊する。

地名としての国分寺編集

国分寺
 
  日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
北区
人口
2016年(平成28年)9月30日現在)
 • 合計 2,392人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
530-0064

地理編集

大阪市北区の東部に位置。北は長柄西長柄中長柄東、西は天神橋7丁目、北は都島通を挟んで菅栄町樋之口町、東は旧淀川(大川)を挟んで都島区都島本通に接する。

地内中央を天満橋筋、北境を都島通がそれぞれ走っている。

河川編集

施設編集

交通編集

鉄道編集

道路編集

主要地方道

脚注編集

  1. ^ 大阪市 北区 区の統計
  2. ^ 三善貞司「大阪史蹟辞典」(1986)全国書誌番号:86050775

外部リンク編集