国民精神作興ニ関スル詔書

国民精神作興ニ関スル詔書(こくみんせいしんさくこうにかんするしょうしょ、旧字体國民精󠄀神󠄀作興ニ關スル詔書)は、1923年(大正12年)11月10日大正天皇の名で摂政宮(皇太子裕仁、後の昭和天皇)が渙発した詔書

概要 編集

この詔書は、1923年(大正12年)11月10日、大正天皇の名で摂政宮(皇太子裕仁、後の昭和天皇)が署名して御璽を捺し、山本権兵衛内閣総理大臣以下第2次山本内閣国務各大臣が副署した。翌11日には、詔書の趣旨を一層深く国民に徹底するためとして、詔書の内容を説明する文書を内閣総理大臣告諭として発した。その翌日12日の地方長官会議の席では山本首相の訓示でこの詔書に言及し、翌13日の同会議では後藤新平内務大臣が、翌14日の同会議では岡野敬次郎文部大臣がこの詔書に言及し、重ねてその周知徹底を図った。

1948年(昭和23年)6月19日、国民精神作興ニ関スル詔書は、衆議院における「教育勅語等排除に関する決議」および参議院における「教育勅語等の失効確認に関する決議」によって、教育ニ関スル勅語(教育勅語)などとともに失効確認が決議された。

本文 編集

朕󠄂惟フニ國家興隆ノ本ハ國民精神ノ剛健󠄁ニ在リ之ヲ涵養󠄁シ之ヲ振作シテ以テ國本ヲ固クセサルヘカラス是ヲ以テ先帝󠄁意ヲ敎育ニ畱メサセラレ國體ニ基キ淵源ニ遡リ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ヲ揭ケテ其ノ大綱ヲ昭示シタマヒ後又臣民ニ詔シテ忠實勤儉ヲ勸メ信義ノ訓ヲ申ネテ荒怠ノ誡ヲ垂レタマヘリ是レ皆道󠄁德ヲ尊󠄁重シテ國民精神ヲ涵養󠄁振作スル所󠄁以ノ洪謨ニ非サルナシ爾來趨向一定シテ效果大ニ著レ以テ國家ノ興隆ヲ致セリ朕󠄂卽位以來夙夜兢兢トシテ常ニ紹述󠄁ヲ思ヒシニ俄ニ災變ニ遭󠄁ヒテ憂悚交󠄁〻至レリ

輓近󠄁學術益〻開ケ人智日ニ進󠄁ム然レトモ浮󠄁華放縱ノ習󠄁漸ク萠シ輕佻詭激ノ風モ亦生ス今ニ及󠄁ヒテ時弊󠄁ヲ革メスムハ或ハ前緖ヲ失墜󠄁 セムコトヲ恐󠄁ル況ヤ今次󠄁ノ災禍甚夕大ニシテ文󠄁化󠄁ノ紹復國力ノ振興ハ皆國民ノ精神ニ待ツヲヤ是レ實ニ上下協戮振作更󠄁張ノ時ナリ振作更󠄁張ノ道󠄁ハ他ナシ先帝󠄁ノ聖󠄁訓ニ恪遵󠄁シテ其ノ實效ヲ擧クルニ在ルノミ宜ク敎育ノ淵源ヲ崇ヒテ智德ノ竝進󠄁ヲ努メ綱紀ヲ肅正シ風俗ヲ匡勵シ浮󠄁華放縱ヲ斥ケテ質實剛健󠄁ニ趨キ輕佻詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ歸シ人倫ヲ明ニシテ親和ヲ致シ公󠄁德ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制ヲ尙ヒ忠孝義勇󠄁ノ美ヲ揚ケ博󠄁愛共存ノ誼ヲ篤クシ入リテハ恭儉勤󠄁敏󠄀業ニ服シ產ヲ治メ出テテハ一已ノ利害󠄂 ニ偏󠄁セスシテカヲ公󠄁益世務ニ竭シ以テ國家ノ興隆ト民族ノ安榮社會ノ福祉トヲ圖ルヘシ朕󠄂ハ臣民ノ協翼󠄂ニ賴リテ彌〻國本ヲ固クシ以テ大業ヲ恢弘セムコトヲ冀フ爾臣民其レ之ヲ勉メヨ

  • 読み
朕惟(おも)うに、国家興隆(こっかこうりゅう)の本(もと)は、国民精神(こくみんせいしん)の剛健(ごうけん)に在り、之(これ)を涵養(かんよう)し、之を振作(しんさく)して以て国本(こくほん)を固くせざるべからず。是(これ)を以て、先帝(せんてい)意(い)を教育に留(とど)めさせられ、国体(こくたい)に基(もとづ)き、淵源(えんげん)に遡(さかのぼ)り、皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺訓(いくん)を掲(かか)げて、其(そ)の大綱(たいこう)を昭示(しょうじ)したまい、後(のち)又(また)臣民(しんみん)に詔(みことのり)して、忠実勤倹(ちゅうじつきんけん)を勧(すす)め、信義(しんぎ)の訓(おしえ)を申(かさ)ねて、荒怠(こうたい)の誡(いましめ)を垂(た)れたまえり。是(こ)れ皆(みな)道徳を尊重して国民精神を涵養振作(かんようしんさく)する所以(ゆえん)の洪謨(こうぼ)に非(あら)ざるなし。爾來(じらい)趨向(すうこう)一定(いってい)して、効果大に著(あらわ)れ、以て国家の興隆(こうりゅう)を致せり。朕即位(そくい)以来、夙夜(しゅくや)兢兢(きょうきょう)として常に紹述(しょうじゅつ)を思いしに、俄(にわか)に災変(さいへん)に遭(あ)いて、憂悚(ゆうしょう)交々(こもごも)至れり。
輓近(ばんきん)学術益々(ますます)開け、人智(じんち)日に進む。然(しか)れども浮華放縦(ふかほうしょう)の習(ならい)漸(ようや)く萠(きざ)し、軽佻詭激(けいちょうきげき)の風(ふう)も亦(また)生(しょう)ず。今に及びて、時弊(じへい)を革(あらた)めずんは或(あるい)は、前緒(ぜんしょ)を失墜(しっつい)せんことを恐(おそ)る。況(いわん)や、今次(こんじ)の災禍(さいか)甚(はなは)だ大(だい)にして、文化の紹復(しょうふく)国カ(こくりょく)の振興(しんこう)は皆(みな)国民(こくみん)の精神(せいしん)に待(ま)つをや。是(こ)れ実(じつ)に上下協戮(しょうかきょうりく)振作更張(しんさくこうちょう)の時(とき)なり。振作更張(しんさくこうちょう)の道は他なし。先帝(せんてい)の聖訓(せいくん)に恪遵(かくじゅん)して、其(そ)の實効(じっこう)を挙(あ)ぐるに在るのみ。宜(よろし)く教育の淵源を崇(たっと)びて智德(ちとく)の並進(へいしん)を努め、綱紀(こうき)を粛正(しゅくせい)し、風俗を匡励(きょうれい)し、浮華放縦を斥(しりぞ)けて、質実剛健(しつじつごうけん)に趨(おもむ)き、軽佻詭激(けいちょうきげき)を矯(た)めて、醇厚中正(じゅんこうちゅうせい)に帰(き)し、人倫(じんりん)を明(あきらか)にして、親和(しんわ)を致(いた)し、公徳(こうとく)を守りて秩序を保ち、責任を重(おもん)じ、節制(せっせい)を尚(たっと)び、忠孝義勇(ちゅうこうぎゆう)の美(び)を揚(あ)げ、博愛共存(はくあいきょうぞん)の誼(ぎ)を篤(あつ)くし、入(い)りては恭儉勤敏(きょうけんきんびん)業(ぎょう)に服し、産を治(おさ)め出でては一已(いっこ)の利害に偏(へん)せずして、カ(ちから)を公益(こうえき)世務(せいむ)に竭(つく)し、以て国家の興隆と民族の安栄(あんえい)社会(しゃかい)の福祉とを図(はか)るべし。朕は臣民の協翼(きょうよく)に頼(たよ)りて弥々(いよいよ)国本(こくほん)を固くし、以て大業(たいぎょう)を恢弘(かいこう)せんことを冀(こいねが)う。爾(なんじ)臣民(しんみん)其(そ)れ之(これ)を勉(つと)めよ。

関連項目 編集

外部リンク 編集