国道160号
石川県から富山県に至る一般国道
国道160号(こくどう160ごう)は、石川県七尾市から富山県高岡市に至る一般国道である。
一般国道 | |
---|---|
国道160号 | |
能登立山シーサイドライン | |
地図 | |
総延長 | 45.3 km |
実延長 | 45.3 km |
現道 | 45.3 km |
制定年 | 1953年(昭和28年) |
起点 | 石川県七尾市 川原町交差点(北緯37度2分31.03秒 東経136度58分11.17秒 / 北緯37.0419528度 東経136.9697694度) |
主な 経由都市 |
富山県氷見市 |
終点 | 富山県高岡市 四屋IC(北緯36度45分42.54秒 東経137度0分25.31秒 / 北緯36.7618167度 東経137.0070306度) |
接続する 主な道路 (記法) |
国道159号 国道249号 国道8号 |
■テンプレート(■ノート ■使い方) ■PJ道路 |
概要
編集多くの区間で風光明媚な富山湾や、灘浦海岸沿岸を通っており、湾を挟んで立山が見えることから能登立山シーサイドラインの愛称が付されている[1]。
路線データ
編集歴史
編集- 1953年(昭和28年)5月18日 - 二級国道160号七尾高岡線(七尾市 - 高岡市)として指定施行[5]。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 道路法改正により一級・二級区分が廃止されて一般国道160号として指定施行[2]。
- 1965年度(昭和40年度) - 氷見市新町(現・中央町) - 氷見市小竹間が指定区間に指定され、国の直轄管理となる[6]。
- 1968年度(昭和43年度) - 氷見市脇 - 氷見市新町(現・中央町)間が指定区間に指定され、国の直轄管理となる[6]
- 1971年(昭和46年)5月 - 愛称が『能登立山シーサイドライン』に決定する[7]。同年度中、全線の舗装工事が完了した[8]。
- 1977年(昭和52年)10月26日 - 長慶寺バイパスが開通し、四屋インターチェンジが終点となる。同時に海老坂峠 - 守山間の改良も完成[9]。
- 1979年(昭和54年)11月22日 - 氷見高岡道路(氷見市下田子 - 高岡市四屋間6.3 km)が開通[10]。
- 1996年(平成8年)12月6日 - 氷見バイパス全線開通[11]
路線状況
編集バイパス
編集道の駅
編集- 石川県
- いおり(七尾市)
地理
編集通過する自治体
編集交差する道路
編集橋梁
編集- 守山橋(富山県高岡市)
ギャラリー
編集-
起点の川原町交差点
石川県七尾市川原町 -
石川県境付近
石川県七尾市大泊町 -
石川県と富山県の県境
-
富山県氷見市朝日丘
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “能登・立山シーサイドライン”. 高岡・氷見・七尾広域観光事業促進連絡協議会. 2013年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月17日閲覧。
- ^ a b “一般国道の路線を指定する政令(昭和40年3月29日政令第58号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2012年10月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g “表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況” (XLS). 道路統計年報2023. 国土交通省道路局. 2024年4月9日閲覧。
- ^ “一般国道の指定区間を指定する政令(昭和33年6月2日政令第164号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2012年10月18日閲覧。
- ^ ウィキソースには、二級国道の路線を指定する政令(昭和28年5月18日政令第96号)の原文があります。
- ^ a b 『氷見市史 通史編二 近・現代』(2006年3月31日、氷見市発行)821ページ。
- ^ 『氷見市史2 通史編二 近・現代』(2006年3月31日、氷見市発行)905頁。
- ^ 『北日本新聞』1971年5月8日付夕刊3面『視角'71 格別"ドライブの味" 能登立山シーサイドライン』
- ^ a b 『北日本新聞』1977年10月27日付朝刊11面『歩行者の安全を確保 高岡 海老坂 - 四屋間の新道完成』より。
- ^ 『北日本新聞』1979年11月23日付朝刊15面『氷見高岡道路 待望の開通 国道160号バイパス 難所・海老坂峠もスムーズ』より。
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第3巻』(2000年11月26日、北日本新聞社発行)256ページ。