7170形は、かつて日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院(官設鉄道)に在籍した蒸気機関車である。

北海道炭礦鉄道9(後の鉄道院7170)

概要 編集

官営幌内鉄道義経クラスに引き続いて、1887年(明治20年)にアメリカボールドウィン社から2両を輸入したテンダー機関車である。製造番号は8969, 8970。同社が日本向けに製作した蒸気機関車の2番目のものである。番号は、義経クラスに続いて7, 8とされ、当時、幌内鉄道が経営を委託していた北有社の社長、村田堤にちなんで、第一村田/第二村田と称していた。

これらは2両とも直接北海道に入っているが、製番8969は1888年(明治21年)に大阪鉄道関西鉄道合併を経て、現在の関西本線)に売却され、1890年(明治23年)に買い戻された。幌内鉄道払い下げの際は、北海道炭礦鉄道に両車とも編入されている。

構造 編集

メーカーの種別呼称では8-22Dと称する車軸配置2-6-0(1C)で2気筒単式の飽和式テンダー機関車で、ダイヤモンド形の煙突やカウキャッチャーを備えた義経クラスと同様の古典的アメリカ形機関車であるが、ボイラーはワゴントップ形ではなくストレートトップ形で、蒸気ドームは第2缶胴上に置かれている。火室を第2動輪と第3動輪の間に置く配置としたため、この間は2,296mmと第1・第2動輪間の1,372mmに対して大きく開いている。

テンダー(炭水車)は3軸で、第2軸と第3軸をボギー台車とした片ボギー式である。

主要諸元 編集

  • 全長 : 13,005mm
  • 全高 : 3,696mm
  • 軌間 : 1,067mm
  • 車軸配置 : 2-6-0(1C)
  • 動輪直径 : 1,016mm(3ft4in)
  • 弁装置 : スティーブンソン式アメリカ形
  • シリンダー(直径×行程) : 356mm×457mm
  • ボイラー圧力 : 7.7kg/cm2
  • 火格子面積 : 1.06m2
  • 全伝熱面積 : 69.8m2
    • 煙管蒸発伝熱面積 : 55.7m2
    • 火室蒸発伝熱面積 : 14.1m2
  • ボイラー水容量 : 2.3m3
  • 小煙管(直径×長サ×数) : 44.5mm×2,489mm×160本
  • 機関車運転整備重量 : 24.33t
  • 機関車空車重量 : 22.05t
  • 機関車動輪上重量(運転整備時) : 20.12t
  • 機関車動輪軸重(第1動輪上) : 7.77t
  • 炭水車運転整備重量 : 15.44t
  • 炭水車空車重量 : 8.43t
  • 水タンク容量 : 4.22m3
  • 燃料積載量 : 1.88t
  • 機関車性能
    • シリンダ引張力 : 3,730kg
  • ブレーキ装置 : 手ブレーキ(炭水車のみに作用)

経歴 編集

輸入当初は7, 8と付番されたが、1889年(明治22年)に幌内鉄道が北海道炭礦鉄道には払下げられたのにともない、同社のB形(9, 10)、後にロ形となった。これは、同年に増備された義経クラス2両(9, 10)の番号を従来車と連番に揃えるために、本形式と番号を交換したもので、8, 7が9, 10(2代)となっている。

その後、1906年(明治39年)に制定された鉄道国有法により、北海道炭礦鉄道は国有化され、これを受けて1909年(明治42年)に制定された鉄道院の車両形式称号規程では、7170形(7170, 7171)に定められた。この間に、煙突は普通のパイプ形に変更され、煙室も前方に延長、拡大されている。

国有化後の配置は、倶知安、室蘭、旭川、函館で、入換用となっていたが、両車とも1920年(大正9年)に寿都鉄道へ払下げられ、同社のNo.1, No.2となった。寿都鉄道では、線区の事情に良く適合した機関車として愛用されたが、1950年(昭和25年)7月2日に発生した衝突事故によって両車とも大破し、翌1951年(昭和26年)3月に廃車となった。事故を起こした列車を救援しに行った機関車が、その列車と正面衝突を起こしたものであった。

参考文献 編集

  • 臼井茂信「日本蒸気機関車形式図集成」1969年、誠文堂新光社
  • 臼井茂信「機関車の系譜図 1」1972年、交友社
  • 金田茂裕「日本蒸気機関車史 官設鉄道編」1972年、交友社刊
  • 金田茂裕「形式別 国鉄の蒸気機関車 III」1985年、機関車史研究会刊
  • 川上幸義「私の蒸気機関車史 上」1978年、交友社刊
  • 高田隆雄監修「万有ガイドシリーズ12 蒸気機関車 日本編」1981年、小学館