国鉄HD53形蒸気機関車(こくてつHD53がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が、昭和時代戦中に展開した弾丸列車計画の一環として旅客用に考案した蒸気機関車[1]。完成すれば世界最大級の蒸気機関車になったが、太平洋戦争の激化により計画が中断され、設計段階に留まり製造されることはなかった。

国鉄HD53形蒸気機関車
基本情報
設計者 鉄道省
製造年 (製造中止)
製造数 0
主要諸元
軸配置 2D2
軌間 1435mm
動輪径 2300mm
燃料 石炭
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構造 編集

日本勢力圏で現存する資料の中では2形式ある4-8-4のノーザン型蒸気機関車である。設計上では、動輪直径は欧米諸国で用いられていたものと同じく、軸配置の中では巨大な2.3メートルが採られ、軌間は弾丸列車路線を標準軌にすることが決まったため1435ミリメートルとなり、最高速度は時速200キロメートルに定められた。もっとも研究者の間では、当時の日本の基礎工業力で上記の能力を備えた蒸気機関車を製造できたかどうかは甚だ疑問であるとされており、しかも完成したとしても、まともに走行するのは困難だったろうと言われている[† 1]。 運輸省、各鉄道関係者との交流も深かった臼井茂信は未決定項目が多く机上の空論として、計画そのものに疑問を呈している[2]。下記の鉄道博物館に所蔵されている形式図も予定値すら書き込まれていない空欄が多く、シリンダー数どころか弁装置の種類についての記述すらない。基本的なことすら決まらず弾丸列車計画そのものが中止になったのか、単なる検討案で煮詰める気もなかったのかは不明である。

埼玉県さいたま市鉄道博物館は、同じく弾丸列車用の機関車として計画されたHC51形蒸気機関車やHEH50形電気機関車の図面とともにHD53形蒸気機関車の形式図を所蔵している[1]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 鉄道研究家の斎藤晃は、アメリカ合衆国のユニオン・パシフィック鉄道800形蒸気機関車と構造比較を行い、世界でも前例のない巨大な動輪と流線形のカバーが足かせとなってドイツ国鉄05形蒸気機関車と同じ煙管長が7メートルの細長いボイラーとなり、更に燃焼室を延伸したとしても長距離運転に適した4-8-4の特徴を否定する結果になっただろうと結論を出している。高木宏之も、この機関車ができていれば、関係者は詰め腹を切らされていただろうと断言している。

出典 編集

  1. ^ a b HITNET(ヒットネット)産業技術史資料共通データベース、2020年3月1日閲覧。
  2. ^ 日本蒸気機関車形式図集成 臼井茂信著

参考文献 編集

  • JTBキャンブックス『幻の国鉄車両』2007年11月、JTBパブリッシング
  • 齋藤晃『蒸気機関車の技術史(改訂増補版) (交通ブックス117)』成山堂書店、2018年。ISBN 978-4425761623 
  • 高木宏之『国鉄蒸気機関車史』ネコ・パブリッシング 2015 ISBN 978-4-7770-5379-7
  • 『弾丸列車』(前間孝則、実業之日本社) ISBN 4408340545
  • 『弾丸列車計画 - 東海道新幹線につなぐ革新の構想と技術 - (交通ブックス122)』 (地田信也、成山堂書店) ISBN 978-4425762118
  • 第7章.東京下関間新幹線 第8節.車両」『鉄道技術発達史 第1篇 (総説)』1958年、151-154頁。doi:10.11501/1371989https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1371989/182