国際現代音楽協会
国際現代音楽協会(こくさいげんだいおんがくきょうかい、英: International Society for Contemporary Music)は、新しい音楽の普及・発展を目的として戦間期の1922年に設立された国際組織。略称はISCM。
歴史
編集日本現代音楽協会(会長:坪能克裕)は日本支部として1935年に加盟。第二次世界大戦中は除名となるも、1948年に再加盟が認められ現在に至る。また、日本作曲家協議会(会長:小林亜星)は準会員組織として認められている。
大戦中の3年間を除いて毎年、加盟国持ち回りで国際音楽祭“World Music Days”(世界音楽の日々)を開催。各支部推薦曲のほか、作曲家個人や出版社からも作品を募集。寄せられた膨大な作品の中から国際審査員による選考審査を経て、約2週間に及ぶ音楽祭のプログラムが構成された。
ストラヴィンスキー、シェーンベルクからメシアン、クセナキス、リゲティ、ベリオ、シュニトケ等、日本でも受賞歴のある作曲家達にいたるまで、20世紀の重要な作曲家の多くが、この音楽祭に作品が入選している。
第1回音楽祭は1923年、ザルツブルクにて開催され、以下の作曲家の作品を取り上げた。
- アルバン・ベルク
- アルノルト・シェーンベルク
- ベラ・バルトーク
- ゾルターン・コダーイ
- セルゲイ・プロコフィエフ
- レオシュ・ヤナーチェク
- イーゴリ・ストラヴィンスキー
- アルテュール・オネゲル
- ダリウス・ミヨー
- フランシス・プーランク
- モーリス・ラヴェル
日本では2001年に横浜で大会が開催された。アジアでは1988年、2002年、2007年に香港、1997年に韓国で開催されている。
批判と近況
編集当初から、作曲家を支援するための公募やコンクールを併設している。かつては現代音楽のための作曲コンクールが「全く無く」(他の作曲コンクールは普通に行われていた)、ISCMが全ての現代音楽の鉱脈を拾えることを前提に運営していた。しかし、1990年代に入ると「ISCMの役割は終わったなどとブーレーズにいわれたが、僕はそうは思いません(カン・スキ)」という意見に象徴されるように、必ずしも現代音楽の潮流を考慮した選考が行われにくくなった。
21世紀にはいると、ISCMの役員からも、多くの不満の声が上がるようになった。オルランド・ジャチント・ガルシアはフロリダでISCM入選作の選考を担当しているが、彼ですら「シュトットガルト大会で、ISCMは死んだ![1]」と発言。その発言がISCMのトップページに掲載された。
かつては2週間ほど大規模にフェスティバルを組めたが、今世紀は各国とも財政難が続いており、2013年に入ってはスロヴァキアの経済事情から「一年一カ国」の原則が破られ、複数国での異例の開催となった。現在では最悪の場合6日間(2011年大会)しか組めなくなっている。この状況のためか、審査員を積極的に若返らせ、なるべく新規の作曲家を公募するように、調整している。
音楽祭開催地/日本人の入選作品
編集開催年 | 開催地 | 作曲者名、作品名 |
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2020 | ニュージーランド・オークランド | |
2019 | エストニア・タリン | |
2018 | 中国・北京 | |
2017 | カナダ・バンクーバー | |
2016 | 韓国・統営市 | |
2015 | スロベニア・スロヴェニア | |
2014 | ポーランド・ヴロツワフ | |
2013 | スロバキア・ブラチスラヴァ/コシツェ オーストリア・ウィーン |
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2012 | ベルギー・アントウェルペン/ ブルッヘ/ブリュッセル/ヘント/ ルーヴェン/モンス |
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2011 | クロアチア・ザグレブ | |
2010 | オーストラリア・シドニー | |
2009 | スウェーデン・ヴィスビュー/ ベクショー/ヨーテボリ |
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2008 | リトアニア・ビリニュス | |
2007 | 香港 | |
2006 | ドイツ・シュトゥットガルト | |
2005 | クロアチア・ザグレブ | |
2004 | スイス |
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2003 | スロベニア・リュブリャナ |
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2002 | 香港 | |
2001 | 日本・横浜 |
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2000 | ルクセンブルク | |
1999 | ルーマニア モルドバ |
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1998 | イギリス・マンチェスター |
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1997 | 韓国・ソウル | |
1996 | デンマーク・コペンハーゲン | |
1995 | ドイツ・ルール地方 | |
1994 | スウェーデン・ストックホルム |
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1993 | メキシコ・メキシコシティ | |
1992 | ポーランド・ワルシャワ |
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1991 | スイス・チューリッヒ | |
1990 | ノルウェー・オスロ |
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1989 | オランダ・アムステルダム |
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1988 | 香港 |
他にACLによって日本作品9曲が演奏された。 |
1987 | 西ドイツ・ケルン/ボン/フランクフルト | |
1986 | ハンガリー・ブダペスト |
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1985 | オランダ・アムステルダム | 入選なし |
1984 | カナダ・トロント/モントリオール |
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1983 | デンマーク・オーフス |
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1982 | オーストリア・グラーツ |
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1981 | ベルギー・ブリュッセル |
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1980 | イスラエル・テルアビブ | |
1979 | ギリシャ・アテネ | |
1978 | スウェーデン・ストックホルム フィンランド・ヘルシンキ |
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1977 | 西ドイツ・ボン | |
1976 | アメリカ合衆国・ボストン |
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1975 | フランス・パリ |
<電子音響部門> |
1974 | オランダ・ロッテルダム |
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1973 | アイスランド・レイキャヴィーク | |
1972 | オーストリア・グラーツ |
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1971 | イギリス・ロンドン |
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1970 | スイス・バーゼル |
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1969 | 西ドイツ・ハンブルク |
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1968 | ポーランド・ワルシャワ |
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1967 | チェコスロバキア・プラハ |
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1966 | スウェーデン・ストックホルム | 支部失格(会費納入遅延のため) |
1965 | スペイン・マドリード | |
1964 | デンマーク・コペンハーゲン |
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1963 | オランダ・アムステルダム |
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1962 | イギリス・ロンドン |
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1961 | オーストリア・ウィーン |
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1960 | 西ドイツ・ケルン | 入選なし |
1959 | イタリア・ローマ |
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1958 | フランス・ストラスブール |
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1957 | スイス・チューリッヒ |
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1956 | スウェーデン・ストックホルム |
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1955 | 西ドイツ・バーデン=バーデン |
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1954 | アイスランド・ハイファ |
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1953 | ノルウェー・オスロ |
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1952 | オーストリア・ザルツブルク |
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1951 | 西ドイツ・フランクフルト |
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1950 | ベルギー・ブリュッセル |
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1949 | 支部再加盟 | |
1948 | イタリア・パレルモ/タオルミーナ | 1940年から1948年まで、日本は第二次世界大戦中の枢軸国だったため支部を除名された |
1947 | オランダ・アムステルダム | |
1946 | イギリス・ロンドン | |
1939 | ポーランド・ワルシャワ |
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1938 | イギリス・ロンドン |
入選なし |
1937 | フランス・パリ |
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1936 | スペイン・バルセロナ | |
1935 | イタリア王国・フィレンツェ | 日本現代作曲家連盟として支部加盟 |
1933 | オランダ・アムステルダム | |
1932 | オーストリア・ウィーン | |
1931 | ブルガリア・オックスフォード/ロンドン | |
1930 | ベルギー・リエージュ/ブリュッセル | |
1929 | スイス・ジュネーヴ | |
1928 | イタリア王国・シエーナ | |
1927 | ドイツ国・フランクフルト | |
1926 | スイス・チューリッヒ | |
1925 | チェコスロバキア・プラハ イタリア王国・ヴェネツィア |
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1924 | チェコスロバキア・プラハ オーストリア・ザルツブルク |
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1923 | オーストリア・ザルツブルク |