土屋陳直
土屋 陳直(つちや のぶなお)は、江戸時代中期の大名。常陸国土浦藩3代藩主。官位は従五位下・左京亮、但馬守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄8年12月11日(1696年1月15日) |
死没 | 享保19年1月16日(1734年2月19日) |
別名 | 左門(通称)、矩直、啓直(別名) |
戒名 | 顕応瑞英霊鷲院 |
墓所 | 茨城県土浦市大岩田の法泉寺 |
官位 | 従五位下左京亮、但馬守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 常陸土浦藩主 |
氏族 | 土屋氏 |
父母 | 父:土屋政直、母:原易純娘 |
兄弟 |
式部、昭直、定直、陳直、松平乗邑正室、岡部長敬正室、内藤義孝正室 養兄弟:好直、三浦明喬室 |
妻 |
正室:類子(水野忠周娘) 継室:近子(水野忠周娘) 側室:栄寿院(佐藤長右衛門娘) |
子 | 久米五郎、篤直、戸田氏純、以直、松平乗佑正室、松平忠刻正室 |
略歴
編集元禄8年(1695年)12月11日、2代藩主・土屋政直の四男として生まれる。兄の昭直、定直が早世したため嫡子となり、宝永6年(1709年)に従五位下・左京亮に叙位・任官する。享保4年(1719年)5月28日、父が隠居したため家督を継いだ。6月9日に紅葉山三の丸火の番に任じられ、8月16日に大手御門番に任じられる。
享保8年(1723年)3月25日に奏者番に任じられる。享保11年(1726年)2月16日に西の丸大手御門番に任じられる。藩政では新田開発(森沖新田・下沼新田)や城下町の拡大などに尽力している。しかし、享保15年から翌年にかけて洪水により領内が大被害を受けたため、享保16年(1731年)12月には岩間領で強訴が起きている。
享保19年(1734年)1月16日に死去した。享年40。跡を次男の篤直が継いだ。
系譜
編集父母
正室、継室
- 水野忠周の娘(正室)
- 水野忠周の娘(継室)
側室
- 佐藤長右衛門の娘
子女