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土田 よしこ(つちだ よしこ、女性、1948年2月26日 - )は日本漫画家東京都武蔵野市出身。本名は土田芳子。従来の繊細な少女漫画の世界に、破壊的なギャグ漫画の新風を吹き入れた。

土田よし子名義による作品もある。

経歴・人物編集

子供の頃から漫画を描くのが好きで、吉祥女子高等学校在学中からフジオプロでアシスタントのアルバイトをしていた[1]。そのきっかけは近所にスタジオゼロに勤めている人がいたことで、土田も本来はスタジオゼロで働くつもりだったが、同じビル(西新宿十二社の市川ビル)の4階にあるスタジオゼロと間違えて3階のフジオプロに足を踏み入れたことから[2]フジオプロで採用され、高校卒業後もフジオプロの誘いで赤塚不二夫アシスタントを続けた[1]。土田を採用したのは長谷邦夫であり、兄弟子に古谷三敏高井研一郎などがいたが、とりいかずよしはまだおらず接点がなかった[3]。アシスタントとしては全く適性がなくフジオプロには悪いことをしたと土田自身は語っている[4]

成人式を迎える前、「自分で漫画描きたい」との理由でフジオプロを退社。退社に際して妹を「私よりよく働きますから」と言ってフジオプロに入れたところ、妹は本当に土田よりよく働き、フジオプロの人気者になった。このため、後に土田の仕事が忙しくなって妹を呼び戻したときは「持ってくなよ」と言われたという[4]。この時期の土田について、赤塚は「残業で遅くなった夜、いたずら心を起こしたぼくは、彼女を車に乗せて家に送ってやる途中、ラブホテルが見えるたびに車を寄せ、「ホラ、そこへ入っちゃうぞ」「ここで恋愛しよう」と持ちかけた。だが相変らずの無口である。つまらないヤツだと思いながら、翌日、妹が出勤してくると「アネキ、きのう何か言ってなかったか?」と聞いてみた。すると、「いくじなし! だってさ」という答が返ってきた」と語っている[5]

独立後、1968年、『小説ジュニア』誌の『ハレンチくん』でプロデビューを果たす。それまでは少女漫画を描いていたが、赤塚のアシスタントだったためギャグを描くことを編集者に期待されギャグ漫画を描き始めた[6]。最初に描いたギャグ漫画は同人誌に発表したもので、赤塚の作品を使った内容だったが、それを赤塚から褒められて嬉しくなったのがギャグ漫画に方向転換するきっかけになったかもしれないと語っている[6]1971年、『週刊マーガレット』誌に『よしこで~す』を、『りぼん』誌に『きみどりみどろあおみどろ』を連載開始。

1973年から『週刊マーガレット』誌に連載した『つる姫じゃ〜っ!』が大好評を博し、1975年には第4回日本漫画家協会優秀賞を受賞。また、この作品は1990年にTVアニメ化された。

その他の作品に『わたしはしじみ!』(1973年)、『ねばねばネバ子』(1977年)、『ぼんぼりボンボン』(1978年)、『待ったなし!!よしこはOL』(1982年)、『東海道中膝栗毛』(1997年)、エッセイ集に『怒っか~ん!』(1993年)などがある。

なお、フジオプロの後輩だったとりいかずよしの作品には土田ヨシゴンという怪物が登場する。

作品リスト編集

  • ハレンチくん(1968年小説ジュニア夏増刊、1969年小説ジュニア春増刊、集英社
  • チャオチャオポコチャン(1968年10月号、りぼん、集英社)
  • ララマイ・アイドル(1969年8月号、りぼん)
  • 笑っちゃイヤ~ン!(1969年~1971年、りぼんコミック、集英社)
  • ミミちゃんにチュッ!(1970年4月号~8月号、りぼん)
  • ザ・ブ~(1970年9月号~12月号、りぼん)
  • 偉大なペソコ(1971年1月号、りぼん)
  • よしこで~す!(1971年13号~1972年12号、週刊マーガレット、集英社)
  • 私はたたかう(1971年6月号、りぼん)
  • きみどりみどろあおみどろ(1971年8月号~1972年12月号、りぼん)
  • わらしは白衣の天使ぞな(1971年夏増刊、りぼん)
  • とびだせ!ばあちゃん(1972年22号~1972年41号、週刊マーガレット)
  • ダッチョ島の少女(1972年4月増刊、りぼん)
  • レッツ・ゴー!3びき(1972年46号~1973年12号、週刊マーガレット)
  • 大奥マル秘物語(1973年正月増刊、りぼん)
  • わたしはしじみ!(1973年2月号~1975年12月号、りぼん)
  • つる姫じゃ〜っ!(1973年17号~1979年35号、週刊マーガレット)
  • よしこのええかげんにせ〜よ!(1974年1月号、りぼん)
  • かがやけうめ星流れ星(1976年2月号~1976年6月号、りぼん)
  • よしこのオリバー劇場
    • カバコの海(1976年9月号、りぼん)
    • ペソ子の天使になれない(1976年10月号、りぼん)
    • ネバ子が行く!(1976年11月号、りぼん)
    • ネバ子のアホクサ物語(1976年12月号、りぼん)
  • ねばねばネバ子(1977年1月号~1977年9月号、りぼん)
  • ぼんぼりボンボン(1978年1月号~1978年12月号、りぼん)
  • 待ったなし!!よしこはOL(1982年、週刊ヤングジャンプ、集英社)
  • ウメぼし学園
  • 大奥激伝(フォアレディ BIG COMIC FOR LADY、小学館)
  • つぼみちゃん1985年4月~1987年3月、小学一年生、小学館
  • なの花つぼみ(1985年2月~1988年3月、小学三年生、1987年4月~10月、小学五年生、小学館)
  • くらしの情報どんぶり(1988年、竹書房)土田よし名義
  • 日出子ちゃん(1988年1月28日号~1991年12月5、12日合併号、週刊明星、集英社)
  • 東海道中膝栗毛(1997年2月、中央公論社)

師匠編集

関連人物編集

出典編集

  1. ^ a b KAWADE夢ムック『別冊文藝』総特集 赤塚不二夫(河出書房新社、2008年)「インタビュー 土田よしこ ギャグの感覚は身についたと思う」p.133
  2. ^ ただし赤塚不二夫は土田の採用の経緯について「高校を卒業したばかりの彼女(土田)が創価学会員の中年女性に伴われてやってきた」「もし断わりでもしたら、創価学会員にスタジオを包囲されるのではないかと思い、気の弱いぼくはふたつ返事でOKしてしまった。別に彼女自身が宗教団体に入っていた訳ではないようだ」(『この人を見よ。』p.137。マガジンハウス1988年)と語っている。
  3. ^ KAWADE夢ムック『別冊文藝』総特集 赤塚不二夫(河出書房新社、2008年)「インタビュー 土田よしこ ギャグの感覚は身についたと思う」p.135
  4. ^ a b KAWADE夢ムック『別冊文藝』総特集 赤塚不二夫(河出書房新社、2008年)「インタビュー 土田よしこ ギャグの感覚は身についたと思う」p.134
  5. ^ 『この人を見よ。』p.137(マガジンハウス1988年
  6. ^ a b KAWADE夢ムック『別冊文藝』総特集 赤塚不二夫(河出書房新社、2008年)「インタビュー 土田よしこ ギャグの感覚は身についたと思う」p.136