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在日アフガニスタン人(ざいにちアフガニスタンじん)は、日本に一定期間在住するアフガニスタン人ないしアフガニスタン国籍の人々である。また、日本に帰化や亡命した人、およびその子孫のことをアフガニスタン系日本人と呼ぶ。

在日アフガニスタン人
アフガニスタンの旗日本の旗
総人口
2,978人
(2017年12月末)[1]
居住地域
千葉県(特に四街道市佐倉市)、愛知県
言語
ダリー語パシュトゥー語
ウズベク語日本語
宗教
イスラム教

目次

概要編集

2015年6月現在、日本に長期滞在している民間のアフガニスタン人は2323人(194国中37位)であり、そのうち永住・定住しているアフガニスタン人やその家族は283人(54位)である[2]。職種としては技術・人文知識・国際業務が最も多く610人(23位)であり、次いで留学が309人(30位)である[2]。比較的に経営者が多く(229人)、在日外国人のTOP10に入っている(9位)[2]。家族の同伴率(35%)が非常に高く(6位)、820人(16位)が来日している。日本人の配偶者は21人で人数的(90位)にも比率的(1%)にも少ない(90位)[2]。男女比は74対26であり、30代(646人)と20代(603人)、幼児(419人)が多い。世界平均と比べると30代(28%)・10代(11%)・幼児(18%)の比率が高く、特に幼児は世界平均の3倍である[2]

歴史編集

冷戦時代編集

冷戦時代に来日したアフガニスタン人としては、レシャード・カレッドや虎山ニルファが挙げられる。レシャード・カレッドは京都大学医学部を卒業後、戦乱により帰国できずに医師として日本に留まった[3][4][5]。一方、虎山ニルファは日本に亡命していた官僚の父を頼って1990年に来日した[6]

2000年代編集

2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生した。アフガン難民は世界各地に保護を求め、2001年の申請者数は5万人を超え[7]、日本に対しても78人が難民申請を行った[8]。日本はアフガニスタンに対して巨額の資金援助は行ったがアフガン難民の受け入れには消極的で、1999年からの3年間で132人のアフガン難民が難民申請を行ったにも関わらず、難民認定したのは9人だけだった[8]在留特別許可ですら厳しく、1999年からの3年間で17人しか受ける事が出来なかった[9]。アフガン難民の中にはアリ・ジャンやアブドル・バセルのように難民不認定処分の取消しを求めて訴訟を行う者も居たが、なかなか上手く行かなかった[10][11][12]。2002年1月から始まった第154回国会では「在日アフガニスタン人の人権擁護等に関する請願」が提出された[13]。同年8月、在留特別許可で日本に滞在していたアフガン難民のユノス・タヒリが妻子の空爆死を知って自殺した[14]。その後も日本はアフガン難民の受け入れには消極的で、人道的配慮により2003年に2人、2004年と2005年に4人ずつ、2006年に1人[9]、2007年と2009人に3人ずつ[15][16]の在留を認めただけだった。しかし日本にはアフガニスタン人が居ない訳ではなく、2006年時点で646人の在日アフガニスタン人が居り、居住地のトップ5は千葉県156人・愛知県103人・東京都78人・北海道34人・茨城県埼玉県32人だった[17]

2010年代編集

2010年になってもアフガニスタンの政情不安は続き、アフガニスタンは世界最大の難民発生国のままだった[18]。2010年時点の在日アフガニスタン人は1148人であり、居住地のトップ5は千葉県381人・東京都138人・愛知県126人・茨城県71人・埼玉県47人だった[19]。2011年からは「未来への架け橋・中核人材育成プロジェクト」が始まり[20]、2015年の留学生は245人だと言う[21]。一方、犯罪者も居り、2010年の警察白書には日本・ブラジルスリランカ窃盗団から自動車を買い受けてナイジェリアに転売するアフガニスタン人グループが紹介されている[22]

その後2017年末時点での在日アフガニスタン人は2,978人で、トップ5は千葉県1093人・愛知県249人・茨城県219人・東京都134人・福岡県130人だった。

なお千葉県の四街道市内の2017年の外国人登録者数2123人のうち、アフガニスタン人は467人で市内第1位だった[23]。さらに隣接する佐倉市でも2018年の外国人登録者数3037人のうち、アフガニスタン人は403人を数え第3位となっている[24]。両市を合わせると約1000人弱のアフガニスタン人がこの地域に集住している。つまり、およそ在日アフガニスタン人の3人に1人が四街道市、佐倉市周辺に住んでいることになる。これは、四街道市や佐倉市周辺に多い自動車・産業廃棄物の解体業やその輸出業に従事しているアフガニスタン人が多いためであり、特にハザラ人が中心となっている[25]。四街道市のホームページでは全国でも珍しいアフガニスタンの公用語であるペルシャ語版(ダリー語)が提供されている。

脚注編集

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  1. ^ 法務省:在留外国人統計(旧登録外国人統計)統計表
  2. ^ a b c d e 在留外国人統計(旧登録外国人統計)”. 総務省 統計局 (2015年). 2016年4月20日閲覧。
  3. ^ 加藤真希 (2013年3月26日). “アフガンスタッフ島田市に行く”. 日本国際ボランティアセンター. 2015年11月17日閲覧。
  4. ^ 医師のご紹介”. レシャード医院. 2015年11月14日閲覧。
  5. ^ 道傳愛子 解説委員 (2013年11月1日). “くらし☆解説「日本の保健室 アフガニスタンへ」”. NHK解説委員室. 2015年11月17日閲覧。
  6. ^ 虎山ニルファ「アフガニスタンの少女、日本に生きる 」(草思社、2005年)
  7. ^ Asylum Levels and Trends in Industrialized Countries, 2014”. UNHCR (2014年). 2015年11月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成15年における難民認定者数等について”. 法務省 (2004年2月27日). 2015年11月16日閲覧。
  9. ^ a b 衆議院議員郡和子君提出アフガニスタン人に対する人道的配慮にもとづく特別在留資格の付与に関する質問に対する答弁書”. 衆議院 (2007年9月25日). 2015年11月14日閲覧。
  10. ^ 第159回国会 法務委員会 第27号”. 衆議院 (2004年5月19日). 2015年11月16日閲覧。
  11. ^ 【ゲストトーク】JICA若松英治さんとアリ・ジャンさん”. 第9回UNHCR難民映画祭 (2014年11月5日). 2015年11月16日閲覧。
  12. ^ 5 難民不認定処分関係訴訟事例”. 法務省 (2005年2月24日). 2015年11月16日閲覧。
  13. ^ 第154回国会 請願の要旨”. 参議院 (2002年). 2015年11月16日閲覧。
  14. ^ 毎日新聞2002年8月11日
  15. ^ 平成19年における難民認定者数等について”. 法務省 (2008年2月15日). 2015年11月16日閲覧。
  16. ^ 平成21年における難民認定者数等について”. 法務省 (2010年2月26日). 2015年11月16日閲覧。
  17. ^ 在留外国人統計(旧登録外国人統計)”. 総務省 統計局 (2006年). 2015年11月14日閲覧。
  18. ^ 活動報告書 At A Glance-アフガン難民問題の戦略的解決”. 国連難民高等弁務官事務所 (2012年). 2015年11月14日閲覧。
  19. ^ 在留外国人統計(旧登録外国人統計)”. 総務省 統計局 (2010年). 2015年11月16日閲覧。
  20. ^ 未来への架け橋・中核人材育成プロジェクト - プロジェクト概要”. JICA. 2015年11月16日閲覧。
  21. ^ アフガニスタン国農村復興開発大臣と駐日アフガニスタン国大使が本学を訪問されました”. 東京農業大学 (2015年3月25日). 2015年11月16日閲覧。
  22. ^ 特集:犯罪のグローバル化と警察の取組み 第1節 犯罪のグローバル化の脅威”. 平成22年版 警察白書 (2010年). 2015年11月16日閲覧。
  23. ^ 四街道市統計書 人口”. 四街道市 (2017年). 2019年1月11日閲覧。
  24. ^ 佐倉市統計書 人口”. 佐倉市市 (2018年). 2019年1月11日閲覧。
  25. ^ 第58回 千葉で見つけたアフガニスタンの小さなオアシス 人口”. ナショナルジオグラフィック (雑誌) (2017年). 2019年1月11日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集