坂井宏行

日本の料理人、実業家 (1942-)

坂井 宏行(さかい ひろゆき、1942年4月2日 - )は、日本のフランス料理実業家鹿児島県出水市出身。通称ムッシュ。フランス料理に日本の懐石料理の手法を取り入れたことで有名。

さかい ひろゆき
坂井 宏行
生誕 (1942-04-02) 1942年4月2日(82歳)
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮
国籍 日本の旗 日本
出身校 出水市立出水中学校
職業 料理人・実業家
流派 フランス料理
子供 息子、娘
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東京都港区南青山にある「ラ・ロシェル」のオーナーシェフであり、同店の運営会社である株式会社サカイ食品の代表取締役社長を務めている。フジテレビの料理対決番組『料理の鉄人』に「フレンチの鉄人」として出演。身長173cm、A型。

来歴 編集

  • 1942年 当時、併合により日本だった朝鮮半島で3人兄弟の長男として生まれる[注 1]。3歳の頃父親が戦死。
  • 1945年 終戦により母親の実家があった鹿児島県出水市に一家で引き揚げる。
    • 17歳でフランス料理の世界に入り、ホテル新大阪で修行を始める。
    • 19歳の時、単身オーストラリアに渡り「ホテルオリエンタル」にて1年半ほど修行し、帰国。
  • 1963年 銀座「四季」にて、フランス料理の先駆者的存在だった志度藤雄に3年間師事。
    • その後、青山「ココ・パームス」、「西洋膳所 ジョン・カナヤ麻布」にてシェフを務める。
  • 1980年 南青山に「ラ・ロシェル」オープン。
  • 1989年 10月、渋谷に移転。「グランカフェ」を併設(のちにバーとしてラ・ロシェルに併合)。
  • 1994年 2月 フジテレビ「料理の鉄人」出演開始。
  • 1996年 京急百貨店京浜急行電鉄上大岡駅)に「ラ・ロシェル上大岡店」をオープン(後に撤退)
  • 1999年 2月14日「ラ・ロシェル南青山」オープン。
  • 2002年 9月11日「ラ・ロシェル福岡」オープン。
  • 2003年 9月11日 ホテル銀座ラフィナートに「アニエスカフェ」をオープン。
  • 2004年 フランスロワール地方“ガストロミー騎士団”よりシュヴァリエ勲章を受章。
  • 2005年 フランスより農事功労章シュヴァリエを受章。
  • 2009年 11月 厚生労働省より「現代の名工」に選定される。
  • 2010年 12月14日「ラ・ロシェル山王」オープン。
  • 2018年 3月16日 1年間限定で、肥薩おれんじ鉄道の観光列車「おれんじ食堂」の2便(スペシャルランチ)の食事を監修。
  • 2021年 12月1日 文化庁長官表彰[1]

性格・嗜好 編集

  • ファンレターには必ず返事を出す主義[2]。ただそのためか、「鉄人はファンレターを出したら必ず返事をくれるというので書いた」というファンレターも多いという。
  • 軟体動物が大の苦手[3]。そのせいか「料理の鉄人」でも、タコをテーマ食材とした対決(1995年12月8日放送)に敗れている[注 2]
  • 父親が戦死したため家庭は貧しく、母親は和裁をして家計を支えた。母と祖母と弟の4人で食べる食事のために、母が親戚の畑を手伝って食料を分けてもらうという生活をしていた。ひもじかった少年時代を思い起こすため、カボチャサツマイモが苦手。彼が料理人を目指したのも、「料理人なら食べ物には不自由しないから」という理由からだったという。
  • 料理の原点は、少年時代に猟師が食べさせてくれた鍋であるという。
  • 薄給の修行時代もあり、午後6時から午前3時まで厨房で働き、家で仮眠をとった後、午後5時までガソリンスタンドでアルバイトという生活だった[4]
  • 西洋膳所ジョン・カナヤ麻布時代は、開業当初は全く客が来ず、坂井は暇をもてあまし、従業員と将棋ばかり指していたという。そのため、「将棋は強いよ」とジョークを言っている。しかし、その一方で、オーナーである金谷・ジョン・鮮治は坂井を大切にし、坂井も門外の日本料理の勉強会に参加するなど、料理への研鑽を怠っていなかったという。やがて独創的な料理を出す店は繁盛し、人気店の仲間入りをした。
  • オーナーシェフとなった「ラ・ロシェル」は人気店となったものの、バブル崩壊の煽りを受けたこともあり、坂井自身も自殺を考えなければならないほどの窮地に追い込まれる。しかし、店のあった東邦生命本社ビルは、最上階で窓が開かず飛び降りられなかったと、自虐的に語っている。ただし、レストランウエディングを発案してピンチを脱し、更に『料理の鉄人』で知名度が上がり、再び人気店に返り咲いた。
  • フランスで修行をしたことがないことや、平然と鰹節昆布ダシを使うため、「坂井の料理はフランス料理ではない」と異端視されることがある[要出典]。特に、山本益博見田盛雄といった料理評論家からの声が強かった。実際に『料理の鉄人』では、彼らの推薦した脇屋友詞らの料理人が挑戦者として坂井に挑んだことがある。
  • 下戸で酒が飲めない。酒好きの人間が多いことで知られる故郷の鹿児島県では、酒が飲めないことでずいぶん泣かされたとのこと。後にそれが原因かどうかは不明だが、逃げるように上京したとも語っている。
  • 和太鼓ゴルフ水上オートバイなどのマリンスポーツ(一級船舶免許を所持)など、多趣味である。体を鍛えるのも好きで、週に数回はジムに通っているとのこと[5]

出演番組 編集

CM 編集

その他の出演 編集

  • 料理の鉄人 KITCHEN STADIUM TOUR(博報堂マルチメディアエンターテイメンツ、セガサターン[注 5]

著書 編集

  • ラ・ロシェル 坂井宏行が提案する大人の厨房
  • 坂井宏行の家庭で作る和素材フレンチ
  • ムッシュ坂井の「僕流フレンチを召しあがれ!」
  • ボクは料理長、ときどき鉄人
  • 鉄人 坂井宏行のフランス料理 
  • 坂井宏行のカジュアルフレンチ …他多数

関連項目 編集

  • 陳建一 - 「料理の鉄人」で共演。ゴルフ仲間でもあり仲が良く、現在も公私ともに交流が続いている。
  • 金谷鮮治 - ジョンカナヤ麻布オーナーで、29歳の坂井宏行を初代シェフに迎えた。坂井の人生の恩人である[9]
  • Sakai Project - 坂井にちなんで名付けられた教育用ソフトウェア。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 坂井が朝鮮半島で生まれたことについては、武田鉄矢がナビゲーターを務めたNHK福岡放送局制作の『九州沖縄スペシャル・ただいま!』(2007年8月24日放送)で明らかにされた。番組では2人が出水市を訪れ、坂井の料理人としての原点を振り返るとともに、坂井がふるさとの食材を使ったフランス料理を創作した。
  2. ^ タコ対決では中華の鉄人・陳建一も挑戦者に敗退したことがあった。
  3. ^ ※何れも『料理の鉄人』内限定CM。
  4. ^ ※ともに「坂井メニューが加わりました。」というテロップがある(原文ママ)。坂井は同グループの顧問を務めている[6]
  5. ^ ただし、内容はこれまで放送したデータベースソフトである。

出典 編集

  1. ^ 令和3年度文化庁長官表彰名簿” (PDF). 文化庁. p. 9 (2021年12月14日). 2023年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月19日閲覧。
  2. ^ 「料理の鉄人大全」(フジテレビ出版)p.164
  3. ^ 「料理の鉄人大全」p.163
  4. ^ 西日本新聞 2004年6月2日
  5. ^ 東洋羽毛スペシャルインタビュー [1][2]
  6. ^ スタッフの想い > 総料理長 前川 健司”. ラ セーヌ マリアージュ 四日市(三重平安閣グループ). 2023年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月19日閲覧。
  7. ^ 平成18年度「秋のSwitch!キャンペーンの概要」” (PDF). 東京電力. 2022年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月25日閲覧。 “(※「鉄人の料理対決」はWebムービーで公開)”
  8. ^ スーパースイーツアカデミー 名誉教授 坂井宏行”. 国際ビジネス学院. 2023年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月29日閲覧。 “(坂井は「国際調理専門学校」(※「スーパースイーツ調理専門学校」の系列校)の名誉教授(フレンチ)に就任。講義の様子は「坂井シェフ特別講義 - Ameba Blog(スーパースイーツ製菓専門学校/スーパースイーツ調理専門学校 公式ブログ(2019年2月24日投稿)」を参照)”
  9. ^ 鬼怒川金谷ホテル『シェフ 坂井 宏行氏』”. 鬼怒川金谷ホテル. 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月28日閲覧。

外部リンク 編集