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坊城 中子(ぼうじょう なかこ 1928年昭和3年)5月12日 - )は、日本の俳人。

人物編集

神奈川県横浜市生まれ。俳人高浜虚子の孫で、俳人高浜年尾の長女[1]。俳人稲畑汀子の姉[1]。聖路加看護専門学校(現聖路加看護大学)卒業。1950年、坊城としあつと結婚。1955年、聖路加国際病院に勤務、総婦長を務める。1969年立正佼成会病院、1972年昭和大学烏山病院付属看護学校教務主任、1976年登戸病院看護部長、同年きぬ医師会病院看護学校副校長、2003年内藤病院総婦長。

俳句は幼少時から親しみ、1948年『ホトトギス』に投句、のち同人。夫としあつとともに同誌で活躍した。また、虚子の最期を看護師として看取った。1999年、伊藤柏翠より『花鳥』主宰を継承する。夫の転任にともない3年間滞在したトルコでは、同地の風土に根ざした句を詠んだ。2011年、『花鳥』主宰を息子の坊城俊樹に譲り、名誉主宰に就任する。句集に『櫓櫂』、エッセイ集に『俳句の家』。

脚注編集

  1. ^ a b 『人事興信録 第15版 下』タ46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月14日閲覧。

参考文献編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
  • 『現代俳句大事典』 三省堂、2005年。
  • 『ホトトギスの俳人101』 新書館、2010年。

外部リンク編集