垂井線(たるいせん)は、東海道本線南荒尾信号場 - 関ケ原駅間の東海道本線下り線線路の通称である[1]

垂井線
(東海道本線南荒尾信号場 - 関ケ原駅間下り線)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 岐阜県
区間 南荒尾信号場 - 関ケ原駅
駅数 3駅[注釈 1]
開業 1946年(昭和21年)11月1日(下り線復活年月日)[注釈 2]
所有者 東海旅客鉄道(JR東海)
運営者 東海旅客鉄道(JR東海)
車両基地 大垣車両区
使用車両 東海道線 (名古屋地区)#使用車両を参照
路線諸元
路線距離 10.7km
軌間 1,067mm
線路数 単線(正式路線上では複線[注釈 3]
電化方式 直流1,500V 架空電車線方式
最大勾配 25‰
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 ATS-PT
最高速度 85km/h
下図の本線・垂井線は列車運行上での扱い。
垂井線は正式には東海道本線下り線。
旧・新垂井駅経由は正式には東海道本線支線。
路線図
垂井駅付近の東海道本線
垂井駅付近の東海道本線
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国土交通省監修の『鉄道要覧』では、垂井駅経由が東海道本線の「本線」である[2][3]が、戦中に一度線路が撤去され、戦後になって敷設し直した経緯があり、それ以降当区間の下り線線路はこの通称で呼ばれている[1]

概要 編集

東海道本線大垣駅 - 関ケ原駅 - 近江長岡駅 - 米原駅間は、関ヶ原・伊吹山越えの難所として知られ、その東側斜面の垂井駅 - 関ケ原駅間は、ほぼ直線ながら20 - 25‰(パーミル)の急勾配が連続する区間で[注釈 4]、下り列車が関ケ原駅へ向かう場合は、登り勾配となる[4]。そのため、大垣駅 - 関ケ原駅の改良を行い、上り線を1線、下り線は2線として、合計3線構造となっている[5][6]

大垣駅 - 南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間は複線であるが、そのうち南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り線線路は、通称:垂井線と呼ばれている[1]太平洋戦争中の輸送力増強のため、この区間の勾配で補機を連結せずに輸送できるように下り列車用の勾配緩和(最大10‰)別線(新垂井線)が建設された際、南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り線は撤去された[1][6]。垂井線は、戦後それを敷設し直したものである[1][6]

垂井線は原則として普通列車[注釈 5]のみが走行し、特急列車貨物列車は入線しない[1][6]。そのため、最高運転速度も85km/hに抑えられている。なお、南荒尾信号場 - 垂井駅間は下り専用で、垂井駅 - 関ケ原駅間は上下双方向に運転可能な単線となっており、垂井駅に停車する下り列車及び関ケ原始発の上り列車[注釈 6]は垂井線を走行する(配線略図参照)。

垂井線と新垂井線の関係 編集

垂井線と新垂井線の関係性は下表のようになる。

南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間における垂井線および新垂井線の関係
路線 正式上の路線名称 運行上の名称 方向 経由 走行列車 最高速度
垂井線 東海道本線(本線下り線) 垂井線 南荒尾信号場ー垂井駅:下りのみ
垂井駅 - 関ケ原駅:双方向に走行可能
垂井駅 普通列車[注釈 5]のみ 85km/h
新垂井線 東海道本線(支線) (東海道本線)下り本線 下り 新垂井駅(廃駅) 特急列車、貨物列車のみ 120km/h

表中にある「正式上の路線名称」と「運行上の名称」の関係は、前者が国土交通省監修の『鉄道要覧』上[2]および国鉄時代に制定された日本国有鉄道線路名称[7]やそれを基にした国鉄時代の時刻表の線名索引[8]上の路線名称[注釈 7]で、後者は、JR東海が運行上で制定した名称で、JR東海が国土交通省に提出している書類である「事業基本計画」[9]では、本項区間における東海道本線は「熱海〜米原」「大垣〜関ケ原(垂井経由)」と記載[10]されている。これは、旧・新垂井駅経由の支線を本線と扱い、垂井駅経由を別線扱い[11][12]としている。よって当該区間は運行上、「下り本線」が旧・新垂井駅経由の支線、「上り本線」が垂井駅経由の本線上り線線路、「垂井線」が垂井駅経由の本線下り線線路である[注釈 8]

歴史 編集

大垣駅 - 関ケ原駅間が開業から戦前まで 編集

東海道本線には、25‰の急勾配区間が3か所あり、そのうちの1つが関ヶ原・伊吹山越え(他2か所は箱根越えと逢坂山越えで、それぞれ丹那トンネル東山トンネル・新逢坂山トンネルへの付け替えにより解消)と呼ばれていた[13]。1884年(明治17年)5月25日に大垣駅 - 関ケ原駅間が開業した[14][注釈 9]が、伊吹山の東側斜面にあたる当区間は、東海道本線の難所越え区間で最後まで急勾配が残り、垂井駅 - 関ケ原駅間は、ほぼ直線ながら20 - 25‰の急勾配が連続する区間で、下り列車が関ケ原駅へ向かう場合は、登り勾配となるため、本区間は明治時代より改良の調査をしていた[4]。1940年(昭和15)年になると軍事輸送が増加、下り列車の補機連結のため、上り列車の補機の回送があるなどで、線路容量が極度に切迫、東海道本線中最大の隘路となった[4]。そこで、下り線勾配緩和のため、勾配を10‰に抑えた単線の下り列車用別線を建設、1944年(昭和19年)10月11日に開業した。この線路は新垂井線とも呼ばれている[1][注釈 10]。当初の計画では在来線は複線のままで残し、新線は下り長距離列車のみを通過させ、その他の列車は従来の下り線を通す予定であった。しかし、戦争による軌条の供給状況が切迫しているため、計画変更を余儀なくされ、この迂回線開業と同時に、下り本線は廃止され2線運転となり、さらに、線路も撤去されてしまった[1][17]。このため、垂井町の人々は、下り列車は新垂井駅、上り列車は垂井駅を利用しなければならず、しかも両駅間は3.0km近く離れている。そこで、両駅を連絡するバスも運行されたが、不便この上なかった[1][17]

戦後の垂井線 編集

1946年(昭和21年)11月1日に廃止された下り本線が復活、この区間は3線運転となった。ただし、この線路は普通列車のみ運行であったが、垂井駅で下り・上り両方の列車が利用できるようになった[17]。なお、この線路は今でも垂井線という通称で呼ばれている[1]。戦後、東海道本線の輸送需要の増加を背景に、新垂井線には、特急「こだま」号などの数々の優等列車や「たから号」やフレートライナーなどの貨物列車が通過していった[6][18]のに対し、垂井線には普通列車しか入線せず、その後においても優等列車や貨物列車の入線はない。なお、1986年(昭和61年)11月1日に新垂井駅が廃止され、これ以降普通列車は全て垂井駅経由での運行となった[1][17]

年表 編集

  • 1884年(明治17年)5月25日:官営鉄道大垣駅 - 関ケ原駅開業
  • 1944年(昭和19年)10月11日:東海道本線大垣駅 - 関ケ原駅間に新垂井駅経由の下り線専用新線(新垂井線)開業。同日新垂井駅開業および南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り本線廃止
  • 1946年(昭和21年)11月1日:廃止された下り本線(垂井線)が復活。ただし、この区間は普通列車のみ運行
  • 1986年(昭和61年)11月1日:新垂井駅廃止。これ以降普通列車は全て垂井駅経由での運行となる

運行形態 編集

本節では、2021年3月13日以降の運行形態について説明する。

南荒尾信号場 - 関ケ原駅間 線路配線 編集

南荒尾信号場 - 関ケ原駅間 線路配線略図

大垣・
名古屋方面
 
米原方面
↓ 美濃赤坂駅
凡例
出典:[2][6][12][18][19]
色付き線の名称の凡例
本線上り:正式上は本線上り線
本線下り:正式上は支線(新垂井線)
垂井線:正式上は本線下り線
美濃赤坂線:大垣駅 - 美濃赤坂駅間の支線(美濃赤坂線を参照)


垂井線は、上図のように南荒尾信号場の分岐から上り本線と平行、垂井駅では3番線を使用、垂井駅を過ぎると関ケ原駅垂井方で上り本線と垂井線の間に新垂井線が割り込む配線のため、関ケ原駅では1番線か2番線を使用する。下り列車は南荒尾信号場から垂井線に進入し関ケ原駅まで走行する。また、垂井駅 - 関ケ原駅間は上下双方向運行が可能である。なお、関ケ原駅始発の上り列車および関ケ原駅終着で折り返し大垣車両区に向かう回送列車は、配線上上り本線へは進入できない。そのため、それらの列車は関ケ原駅2番線から出発、関ケ原駅から垂井駅関ケ原方の金蓮寺踏切付近の分岐まで垂井線を走行する。垂井駅は中線(2番線)か3番線に入り、垂井駅大垣方の相川橋梁を通過後上り本線に進入する。これらの列車は垂井駅 - 関ケ原駅間は上り本線の隣(右側)を上り方向に進んでいるため、上り本線側から見ると逆走しているように見える[6][12][18]

垂井線の運行形態 編集

関ケ原・米原方面の下り普通列車[注釈 5]はすべて垂井線経由で運行される。関ケ原駅発着列車のうち、関ケ原始発は朝上り2本(土休日は1本)、関ケ原終着は夜下り2本(土休日は1本)である。朝の関ケ原発は、浜松行き新快速(全日)と豊橋行き区間快速(平日のみ)、夜の関ケ原行きは、特別快速(全日)と区間快速(平日のみ)で、いずれも豊橋発である。なお、上り関ケ原始発は、前述の通り関ケ原駅2番線から、垂井駅手前まで垂井線を走行する[6][18]。また、垂井駅2番線は上り本線側からの列車の入線も可能であり、2016年(平成28年)3月25日までは特急(ワイドビュー)しなのの通過待ちで使われていた。

なお、2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正までは特急形車両がホームライナーとして当線を走行していた[20]が、これ以降の特急形車両の入線はない。

使用車両 編集

データ 編集

路線データ 編集

駅一覧 編集

全駅・全信号場とも岐阜県内に所在。

駅番号 駅名 駅間
営業キロ
累計
営業キロ
備考 所在地
大垣駅
から
熱海駅
から
東京駅
から
CA77 大垣駅 - 0.0 305.4 410.0 大垣市
南荒尾信号場 3.1 3.1 308.5 413.1 支線(新垂井線)との分岐点
CA78 垂井駅 5.0 8.1
[* 1]
313.5 418.1 当駅 - 関ケ原駅間は上下双方向運行が可能。 不破郡 垂井町
CA79 関ケ原駅 5.7 13.8 319.2 423.8 支線(新垂井線)と合流 関ケ原町
  1. ^ このキロ数は、南荒尾信号場を除いた大垣駅 - 垂井駅間の駅間キロと同様。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 南荒尾信号場を含む。
  2. ^ 大垣駅 - 関ケ原駅は、官営鉄道として1884年(明治17年)5月25日開業。1944年(昭和19年)10月11日の旧・新垂井駅経由の迂回線開業と同時に、下り線(垂井線)は廃止。
  3. ^ 垂井線は、南荒尾信号場 - 垂井駅間は下り方向のみ、垂井駅 - 関ケ原駅は双方向に走行可能となっている。
  4. ^ 垂井駅自体は濃尾平野の端にある。
  5. ^ a b c 日中を中心に大垣駅 - 米原駅を往復する純粋な普通列車が運行されるが、朝の一部および夜の全列車は、岐阜駅 - 米原駅間を各駅停車する米原駅発着の区間快速・快速・新快速・特別快速列車で運行される。
  6. ^ 関ケ原駅で折り返す、日本車輌製造で落成したJR東海の在来線車両の試運転列車(豊川駅 - 豊橋駅 - 関ケ原駅)も含む。
  7. ^ 国鉄時代に制定された日本国有鉄道線路名称の場合、それを取り扱う書籍によっては路線区間表記の違いがあり、日本国有鉄道謹呈の『時刻表 全国ダイヤ改正号 秋号 1980』の「線名索引 東海道線」では「東海道本線〔東京-神戸(新神戸)〕・〔品川-新川崎-鶴見〕・〔大垣-美濃赤坂〕・〔大垣-新垂井-関ヶ原〕」(左記は、貨物支線を除いたものが記載されている)[8]との記載で、JTB発行の『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』では「東京・神戸間、品川・新川崎・鶴見間、東京・新横浜・岐阜羽島・新神戸間、大垣・美濃赤坂間」(左記は、貨物支線を除いたものを記載)[7]と記載されており、前者は新垂井線区間(大垣駅 - 新垂井駅 - 関ヶ原駅間)の記載はあるが、後者には記載がない。ただし、いずれも本項の区間(大垣駅 - 垂井駅 - 関ヶ原駅間)は東海道本線の区間(東京駅 - 神戸駅間)に含まれており、両者ともこの区間が東海道本線であることがわかる。
  8. ^ これらの記載の仕方も書籍によって違いがあり、『鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2』p.14「東海道本線 名古屋~神戸 223.5km 岐阜→関ヶ原」に記載されている路線図[11]では、旧・新垂井駅経由の支線が「下り本線」、垂井駅経由の本線上り線線路が「上り本線」、が垂井駅経由の本線下り線線路が「垂井線(副本線)」との記載[11]で、『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』pp.54 - 56「関ケ原越えのいまむかし」に記載されている路線図[12]では、旧・新垂井駅経由の支線が「東海道下り本線」、垂井駅経由の本線上り線線路が「東海道上り本線」、が垂井駅経由の本線下り線線路が「垂井線」と記載[12]されている。
  9. ^ これにより大垣駅から京都駅または敦賀駅に至る旅客・貨物輸送が、長浜駅 - 大津駅間の太湖汽船会社による琵琶湖湖上連絡を利用することにより開始となった[15]
  10. ^ 新垂井線は垂井駅の北方を大きく迂回するが、大垣駅 - 垂井駅間および大垣駅 - 新垂井駅間の駅間キロ程は、従来の垂井駅経由と同一にしたが、実際の駅間キロ程は新垂井駅経由の方が2.9km長い[16]

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k 松本典久、池口英司「東海道本線 名古屋~神戸 223.5km 岐阜→関ヶ原」『鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2』第48巻第1号(通巻561号)、交友社、2008年1月1日、15 - 16頁。 
  2. ^ a b c 監修者 国土交通省鉄道局「東海旅客鉄道株式会社」『鉄道要覧』 各年度、電気車研究会・鉄道図書刊行会、東海道線掲載頁頁。 
  3. ^ (監修)今尾恵介 著「駅名一覧 東海 東海道本線(3)沿線 JR東海道本線(3)豊橋~米原」、日本鉄道旅行地図帳編集部(編集) 編『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線』 7号東海、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年11月19日、35 - 36頁。ISBN 978-4-10-790025-8 
  4. ^ a b c 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、60頁。 
  5. ^ 今田保「東海道本線 歴史の趣味 名古屋-神戸間」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、11頁。 
  6. ^ a b c d e f g h 祖田圭介「東京から福岡まで直行貨物列車のルート」『鉄道ファン1997年11月号 特集:JR短絡線ミステリー』第37巻第11号(通巻439号)、交友社、1997年11月1日、22 - 23頁。 
  7. ^ a b 「日本国有鉄道線路名称 東海道線(1987年3月31日)」『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年10月。ISBN 978-4533029806 
  8. ^ a b 日本国有鉄道 謹呈「線名索引 東海道線」『時刻表 全国ダイヤ改正号』 秋号 1980、日本国有鉄道、432頁。 
  9. ^ 鉄軌道に関する制度の研究”. 内閣府. 2021年8月21日閲覧。
  10. ^ 「JR東海事業基本計画(1987年4月1日)」『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年10月。ISBN 978-4533029806 
  11. ^ a b c 松本典久、池口英司「東海道本線 名古屋~神戸 223.5km 岐阜→関ヶ原」『鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2』第48巻第1号(通巻561号)、交友社、2008年1月1日、14頁。 
  12. ^ a b c d e 「関ケ原越えのいまむかし」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、54 - 56頁。 
  13. ^ 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、57頁。 
  14. ^ 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、57 - 58頁。 
  15. ^ 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、58頁。 
  16. ^ 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、60 - 61頁。 
  17. ^ a b c d 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、61頁。 
  18. ^ a b c d 祖田圭介「東海道沿線の駅構内の今昔 名古屋-神戸」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、67 - 68頁。 
  19. ^ 川島令三、『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第5巻 名古屋駅 - 米原エリア』、pp.20-21, 講談社、2009年7月、ISBN 978-4062700153
  20. ^ 平成28年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2015年12月18日、10頁http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000028822.pdf#page=112015年12月18日閲覧 

参考文献 編集

  • 監修者 国土交通省鉄道局「東海旅客鉄道株式会社」『鉄道要覧』 各年度、電気車研究会・鉄道図書刊行会、東海道線掲載頁頁。 
  • 『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日。 
    • 今田保「東海道本線 歴史の趣味 名古屋-神戸間」p.11
    • 「関ケ原越えのいまむかし」pp.54 - 56
    • 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」pp.57 - 62
    • 祖田圭介「東海道沿線の駅構内の今昔 名古屋-神戸」pp.67 - 68
  • 松本典久、池口英司「東海道本線 名古屋~神戸 223.5km 岐阜→関ヶ原」『鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2』第48巻第1号(通巻561号)、交友社、2008年1月1日、14 - 16頁。 
  • 日本国有鉄道 謹呈「線名索引 東海道線」『時刻表 全国ダイヤ改正号』 秋号 1980、日本国有鉄道、432頁。 
  • (監修)今尾恵介 著「駅名一覧 東海 東海道本線(3)沿線 JR東海道本線(3)豊橋~米原」、日本鉄道旅行地図帳編集部(編集) 編『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線』 7号東海、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年11月19日、35 - 36頁。ISBN 978-4-10-790025-8 
  • 川島令三『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第5巻 名古屋駅 - 米原エリア』、pp.20-21, 講談社、2009年7月、ISBN 978-4062700153

関連項目 編集

外部リンク 編集