城址大通り

富山市の道路の愛称

城址大通り(じょうしおおどおり)は、富山県富山市富山駅前を起点とし、市街地南部を終点とする富山市道・県庁線、および国道41号の一部区間の愛称。

概要編集

富山大空襲により大きな被害を受けた富山市が復興事業の象徴として計画し、総曲輪などの中心市街地と富山駅をほぼ直線で結ぶ大通りとして建設され、1955年に完成した[1]。『城址大通り』という名称が付けられたのは1973年9月7日[2]、途中に位置する富山城址が名称の由来である。城址公園前交差点と城南公園前交差点の間は、国道41号と重複している。

城址大通り沿いには開通直後から現在に至るまでビルデパート公共施設などが相次いで建てられ、今日では富山市を代表するメインストリートに成長した。道路幅は富山駅前から星井町交差点までは6車線(片側3車線)、城南公園前交差点までは4車線(片側2車線)である。富山駅と古くからの市街地を結んでおり、途中の城址公園前交差点では東・西・南三方からの交通を受ける(国道41号・旧国道8号)ため、富山駅との間を行き来する車の流れが城址大通りに集中する。

毎年8月に開かれる富山まつりの会場となったり、クリスマス前後には街路樹のイルミネーションが点灯するなど、富山市のイベントの中心地としての性格も有している。

路線データ編集

歴史編集

1972年に北陸、中四国など西日本の地方都市で多発した暴走行為の端緒の地となった。富山市では1972年4月から7月にかけて主に土曜の夜に暴走行為が発生しており、この頃から暴走行為を行う若者集団を暴走族と呼び始めるようになった[3][4]ため、ある種「暴走族発祥の地」としての側面を持っている。なお、暴走行為そのものは1963年ごろから見られており、当時は「カミナリ族」などさまざまな呼称が混在していた。

1988年頃には富山駅前から現在の総曲輪フェリオ付近までの大通りの地下に巨大な地下街第三セクター方式で建設費約312億円かけて建設する構想があった[5]が、今日まで工事開始には至っていない。

2003年7月21日、城址大通りの中央分離帯6箇所に『黒部峡谷』『立山連峰』『おわら風の盆』をイメージした飾り付けが行われた。同時に中央分離帯の植え込みとしてヤブランキボウシなどの薬用植物を植樹した[6]

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 『北日本新聞』2020年1月21日付18 - 19面『富山市100年の夢 第2話 富山の近代化を進めた3つの大工事』より。
  2. ^ 『富山市史 第五巻』(1980年3月10日、富山市役所発行)501 - 502ページ。
  3. ^ 警察庁『昭和48年 警察白書』「第6章 交通安全と警察活動 - 4 交通指導取締り - (5) 地方都市に多発した暴走族騒ぎ」
  4. ^ 『新聞に見る90年 下』(1974年10月1日、北日本新聞社発行)983ページ。
  5. ^ 北日本新聞 1988年1月1日付朝刊1面『城址大通りに一大地下街』より
  6. ^ 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)538頁。

関連項目編集