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堀田 弥一(ほった やいち、1909年1月30日 - 2011年2月23日)は、日本登山家1936年立教大学山岳部遠征隊を率いて、ヒマラヤ山脈のナンダ・コート(標高6867メートル)の登頂に成功した[1]

経歴編集

現在の富山県黒部市出身[2]1927年に立教大学山岳部に入部する[3]。当初はスキーをやる目的での入部であったが、実際に立山連峰の冬山に入るとスキーではなくアイゼンで歩けることを知ったという[3]長谷川伝次郎の「カシミールの山旅」という講演を聴いてヒマラヤに興味を抱くようになる[3]

1936年、山岳部OB4人からなる遠征隊を結成し、大阪毎日新聞の記者が同行する形で、当時はイギリス領インドに属していた未踏峰ナンダ・コートの初登頂を目指した[4]。10月5日、登頂に成功し、日本のパーティーとして初めてヒマラヤ山脈での登山を達成した[4]。遠征の模様は同行した大阪毎日新聞記者によって映画フィルムに収められ、2017年現在は毎日映画社が管理している[4]

ヒマラヤ遠征に際しては、1929年にドイツパウル・バウアー英語版隊がカンチェンジュンガで7400メートルまで登った際の記録を日本語に翻訳してもらって登山方法の参考にし、またバウアーが要した費用から日本でもヒマラヤ遠征は可能であると考えたと述べている[3]。遠征先がナンダ・コートになったのは、費用面のほかに、チベットネパールが鎖国状態にあったことも原因であった[3]

太平洋戦争後の1954年日本山岳会による第2次マナスル遠征隊で隊長を務めたが[3]、宗教上の理由による現地人の妨害を受け、登頂はならなかった。

2011年2月23日、肺癌のため102歳で死去[5]。没後、遺品が富山県立立山博物館に寄贈され[4]、同施設の「山岳集古未来館」で展示されている[2]

脚注編集

  1. ^ 堀田弥一 - ブリタニカ国際大百科事典コトバンク
  2. ^ a b 山岳集古未来館 - 立山博物館
  3. ^ a b c d e f 山に生きて94年・立山からヒマラヤへ - 日本山岳会会報『山』2003年12月号(「連続講演会「語り継ぐ黎明期の登山……それぞれの山」第1回)
  4. ^ a b c d “36年立大隊のテント、同行記者の生家に”. 琉球新報. (2017年1月7日). http://ryukyushimpo.jp/mainichi/entry-423460.html 2017年5月7日閲覧。 
  5. ^ “堀田弥一氏(登山家)が死去”. 日本経済新聞. (2011年3月5日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0502T_V00C11A3CC1000/ 2017年5月7日閲覧。 

関連文献編集

  • 『歴史への招待』24(昭和編4)日本放送出版協会、1982年 - 同名テレビ番組の書籍化で、ナンダ・コート登頂を取り上げた回(ヒマラヤ初登頂 昭和11年)の内容が含まれている。
  • 谷甲州『遠き雪嶺』角川書店、2002年(2005年に上下2分冊で角川文庫に収録) - ナンダ・コート登頂を描いた小説。